人はいずれ死ぬ。死ぬと分っていても、生き続ける。人類はいずれ滅亡する。滅亡すると分っていても、子孫のためによりよい世の中を作ろうとする。今あるということは、いずれなくなるということだ。今ないものが、いずれあるようになるという保証はどこにもない。そうであるとすれば、刹那に生きるしかないのか。エントロピー増大の法則は金剛不壊の真理なのか。
アイドルたちの生きざまには、哀れさしか感じない。小学生の作文のような歌詞を口ずさみながら、発声練習もしていないような喉で、叫ぶ。売り物は同世代の異性へのセックスの代償物でしかない。それを裏で操り、巨万の富を築いている大人たちは恥ずかしくないのだろうか。所得を生み、経済に貢献するのなら、合法である限り、風俗産業も慈善事業も、なんでも同じ。お金に色はついていない。みんながアイドルに熱狂し、CDを買い込み、写真集を集めまくり、テレビにかじりつき、そのお金を稼ぐためにアルバイトに精をだせば、経済活動に貢献する。精魂込めて作り出した製品で稼ぐお金も、いい加減なパフォーマンスで、性を頼りに稼ぎ出すお金も同じお金。
自らの人間性を高めるために、沈思黙考、只管打坐、の生活をすれば、一切お金を生み出すことはない。経済活動は停滞する。景気は悪くなる。
仕事に追われていたお父さんがリストラにあって、毎日家にいれば、子供たちや妻と濃密な時間を共有できる。子供たちにとっては、かけがえのない経験となる。でも、経済活動はゼロだ。
数百年、数千年前と比較すれば、人類は経済的にどれほど豊かになったことか。便利さや経済的に豊かなことが、幸せを測る尺度だとすれば、「不幸」という言葉はとっくに死語になっていいはず。とすれば、便利さや経済的な豊かさを求めることは、「幸福」を求めることではないのか。でも、金持ちは、貧乏人を支配しているのは厳然たる事実だ。家政婦やお抱え運転手がいい例だ。家政婦や運転手を雇う金持ちは、家政婦や運転手の収入を支配している。それで生活をしている貧乏人の生産物を金持ちが買い捲れば、貧乏人の生活は金持ちに支配されていることになる。金持ちが必ず幸福で、貧乏人が必ず不幸ではないとすれば、経済的に豊かになることは、他人を支配することを意味する。
アイドルたちの生きざまには、哀れさしか感じない。小学生の作文のような歌詞を口ずさみながら、発声練習もしていないような喉で、叫ぶ。売り物は同世代の異性へのセックスの代償物でしかない。それを裏で操り、巨万の富を築いている大人たちは恥ずかしくないのだろうか。所得を生み、経済に貢献するのなら、合法である限り、風俗産業も慈善事業も、なんでも同じ。お金に色はついていない。みんながアイドルに熱狂し、CDを買い込み、写真集を集めまくり、テレビにかじりつき、そのお金を稼ぐためにアルバイトに精をだせば、経済活動に貢献する。精魂込めて作り出した製品で稼ぐお金も、いい加減なパフォーマンスで、性を頼りに稼ぎ出すお金も同じお金。
自らの人間性を高めるために、沈思黙考、只管打坐、の生活をすれば、一切お金を生み出すことはない。経済活動は停滞する。景気は悪くなる。
仕事に追われていたお父さんがリストラにあって、毎日家にいれば、子供たちや妻と濃密な時間を共有できる。子供たちにとっては、かけがえのない経験となる。でも、経済活動はゼロだ。
数百年、数千年前と比較すれば、人類は経済的にどれほど豊かになったことか。便利さや経済的に豊かなことが、幸せを測る尺度だとすれば、「不幸」という言葉はとっくに死語になっていいはず。とすれば、便利さや経済的な豊かさを求めることは、「幸福」を求めることではないのか。でも、金持ちは、貧乏人を支配しているのは厳然たる事実だ。家政婦やお抱え運転手がいい例だ。家政婦や運転手を雇う金持ちは、家政婦や運転手の収入を支配している。それで生活をしている貧乏人の生産物を金持ちが買い捲れば、貧乏人の生活は金持ちに支配されていることになる。金持ちが必ず幸福で、貧乏人が必ず不幸ではないとすれば、経済的に豊かになることは、他人を支配することを意味する。