千鶴子の歌謡日記

 食事にたっぷり時間をかけたが、それでもようやく8時半になるところだった。「マロン」の通りの向かいに着いたのは8時40分だった。2階の作詞家協同組合の窓を見ると、全ての窓からLEDの明かりが漏れていた。「マロン」の入り口の左に2坪ほどのエレベーターホールがある。土岐は外の歩道上のエレベーターホールの出入り口で待った。「マロン」の煉瓦ブロックに腰かけ、首だけ出入り口に向けていた。東京メトロ銀座駅の入り口に向か場合、土岐の前を通ることになる。8時50分ごろ、若い男女が4人、群れるように出てきた。賑やかに話しながら、土岐の足先を通り過ぎた。中年の男女が3人、同じように流れてきた。その後ろから、初老の婦人が二人、土岐の目の前を通った。土岐は後ろから声をかけた。
「すいません、作詞教室の方ですか?」
 ふくよかな婦人がいぶかしげに声の主をさがした。
「そうですが・・・」
 もう一人のごま塩髪の婦人がその半歩先で、立ち止まった。
「突然で失礼ですが、水原千鶴子という女性をご存知ですか?」
 半歩先の婦人がそっけなく答えた。
「知りませんよ」
「ケイコのことじゃない?確か、本名は千鶴子」
「お急ぎのところ、申し訳ありませんが、彼女のことについて、5分ぐらいお話を伺えませんか?」
 半歩先の婦人は歩き始めていた。
「大森さん、私先に帰ります」
「ちょっと待って、鈴木さん」
と言って、土岐に向かって少し頭を下げ、踵を返そうとした。
「実は、彼女自殺したんです」
 婦人の足が止まった。
「大森さん、おさきに」
と言って半歩先の婦人は駅に向かった。
「お時間は取らせません。ほんの5分ほどお願いします」
と言いながら、土岐はそのふくよかな婦人を「マロン」に誘導した。席に着くと土岐は質問攻めに遭った。
「どうして自殺したんですか?」
「それを今調べています」
「あなた、ケイコさんとどういう関係なんですか」
「失礼しました。自己紹介が遅れました」
と言いながら土岐は名刺を出した。
「土岐明調査事務所?」
「なんでも調査します。千鶴子さんのことも調査を依頼されまして」
「でも、ケイコさんとは、この作詞教室で会うだけで、たまに、かえりにライオンでお酒を呑むことはありましたけれど・・・」
「彼女はどういう目的で、この教室に通っていたんですか?」