千鶴子の歌謡日記

 父と靖国神社を参拝した。この日は真珠湾攻撃の日だ。海軍記念日だとばかり思っていたが、父によれば、
「海軍記念日は五月二七日だ。日本海海戦のあった日だ」
と言う。昔は父が大すきだったが、いつからか嫌悪するようになった。理由は分からない。父を嫌いにならなければ、若い男を好きになれない。創造主・神のなせる業か。
 父は、慶應普通部に入ってから、祖父と口を聞くことがなくなったという。理由は、祖父が勧める開成中学に進学しなかったからだ。祖父は特攻隊の生き残りで、戦後東京大学の入試に合格したが、受験資格を満たしていなかったことが、入学手続きの時点で発覚し、無念の涙を呑んだらしい。だから、父には開成中学から開成高校に進み、東京大学を受験してほしかったようだ。父は慶應普通部と開成中学を受験し、両校とも合格したが、
「開成中学は丸坊主にならないといけない。丸坊主は、いたずらや悪行の反省の意味があったので、犯罪者のようでいやだった」
というのが、父の本音だ。しかも、祖父は特攻隊にいた慶応大学出身の学徒兵が嫌いだったと言っていた。理由は、その学徒兵は口がうまく、部隊の面会日に恋人といちゃいちゃしていたナンパで、仏教専門学校出身の祖父とそりが全く合わなかったらしい。でも祖母はあかぬけた都会的な慶應ボーイが好きだったらしい。祖父は北陸生まれで無骨な男だ。戦後、東京に出てきて、足立区で町工場を立ち上げ、家族を養った。そこで、生田大三郎の『出征兵士を送る歌』のような歌が生まれる。

  われは大和に生れ落ち
  緑したたる山川を
  駆け巡りつつ
  はぐくまれ
  波打つ岸も
  うるわしく

  われは巷に職を得て
  油したたる町工場
  汗流しつつ
  うもれるも
  匠の技を
  ほこらしく

  われは妻子に囲まれて
  働く日々も満ち足りて
  人と人の和
  助け合い
  尊いことと
  語り継ぐ

 肝硬変から肝臓がんにすすんだ祖父の臨終のとき、父は仕事で立ちあえなかった。母は、
「無理に仕事を入れたのよ」
と言っていた。でも、無念の思いがあったのか、祖父を自宅から霊柩車に送る時、父は初めて落涙していた。そこで、谷村新司の『群青』のような歌が生まれる。

  眼下に舞い散る あなたの花びら
  夕陽に煌き   散り逝く桜
  散れずに遺され  生き恥さらして