千鶴子の歌謡日記

 帰宅は東京メトロ。寂寥が身を包んだ。寂しい。窓の外は闇だけ。轟音が耳をつんざく。六本木まで来たのは、まったくの無意味だった。会ってもなくてもいいような時間だった。その間、わたしは死んでいた。息はしていたけど、生きてはいなかった。いずれ記憶からも消えて行くだろう。そこで、伊勢正三の『冬の地下鉄』のような歌が生まれる。

  ドアの外は秋 
  車窓流れ去る 夏の闇が囁く
  「まだあの人を愛している?」

  見上げれば絹 
  A1出口の空に 惑う雨が尋ねる
  「まだその愛に迷っている?」

  失うことが怖くて
  「好き」と言えない
  眼の前のドアが
  また閉じられる

  通り過ぎる秋 
  ドア窓に映る 冬にそっと呟く
  「もうあの人を忘れられない」
 
   喪うよりは想い出
   褪せない煌き
   春の駅を待たずに
   また想い出作り

九月三十日

 1955年の今日、一つの生命が流れ星の様に消えた。彼は、こう言っていた。
「人生の真実を表現すること、それが俳優たるものの義務だと思う。だから俳優は、人生を豊かにするところのあらゆる事柄に興味と研究心を持たねばなるまい。しかし・・・たとえ百年生きたとしても、自分の望むすべてを成し遂げることはできないだろう。それを想うと、時計の刻む音さえ苛立たしい。が、その反面、一分一秒とて無駄にすることなく、たゆまぬ努力を続けなければいけないと痛感するのだ」
 彼は、母の形見として時計を持っていたのかもしれない。そこで、かもまさるの『時計』のような歌が生まれる。

  涙に濡れたあなたの時計が
今またそっと動き始めました
  時間を見ればあなたの想い出
   今またそっと巡り始めました
     十時五分を指してます
     あなたが消えた時間
     でもこの時計に
      あなたは息づいています
     この時計のある限り
      他の人は愛せません

  わたしの愛を捧げた季節が
   今またそっと歩き始めました
  日付を見ればあなたの想い出
   今ごろやっと愛に気付きました
     二十日火曜になってます
    私が泣いた日付
     あなたの形見が 
      私の時を刻みます
     この時計を見るたびに
      なぜかとても仕合せです