とまどい揺れる心
あなたの愛 まだらなの
アラベスクの鹿の子模様
キスがほしいの 目が覚めるから
ハグがほしいの 起きられるから
愛がほしいの 舞い上がるから
やさしい言葉ほしいの
冷たくて暗い氷部屋で
ずっと一人で生きてきて いま
愛されて わたしはとけてゆくの
なにも知らずに生きて 来たけど
なにもいらない 愛してくれる
朝のあなたのほかには
七月二十七日
わたしは愛されたい。愛したいのではない。ペットは愛したい。愛されたいのではない。――それが昨夜の結論だった。
予定通りなら、今日あの人は東京に帰ってきたはず。わたしは、上野に到着する列車の時刻を知っている。もし、帰ってくるのが彼一人なら、わたしは列車から降りる彼を迎えに行くだろう。しかし、状況は関口義明の『ああ上野駅』のように、常に思い通りではない。わたしは今、恵まれた状況に対して一種の飢餓状態にある。
八月から再び、有志だけの練習が行われる。練習に出る気は全くない。わたしと彼との出会いの舞台装置としては、テニスコートは、落第。川村さんとの関係もお坊ちゃん=武者小路実篤の『友情』のように瓦解しそう。
ああ、白井さん、あなたは本当のものをご存知?永遠と言うものを知っていらっしゃる?――それは、黄金の薄いヴェールに包まれて、手をほんのちょっと触れただけでも、壊れてしまうものなの。丁度、金箔のトランプのお城のように、微風のほんのひと吹きで、どうにもならないほどにくずおれてしまうのよ。
あなたは、かけがえのないものを見たことがあるかしら。アルチュール・ランボーが、『永遠』で入り陽の映える海にたとえたもの。繻子のきらめくような金色で彩られた帯の橋。なければならないもの。だけど、目にはさやかに見えないもの。見えない人には、一生の間、見えないかもしれないもの。それがあなたには見えるかしら。
本当の物、何物にも変えることのできない、唯一無二のもの。それは、命を代償とするもの。いかなる妥協も許さない、ゴリゴリの倉橋由美子の『スミヤキストQの冒険』のようなもの。
あなたの愛 まだらなの
アラベスクの鹿の子模様
キスがほしいの 目が覚めるから
ハグがほしいの 起きられるから
愛がほしいの 舞い上がるから
やさしい言葉ほしいの
冷たくて暗い氷部屋で
ずっと一人で生きてきて いま
愛されて わたしはとけてゆくの
なにも知らずに生きて 来たけど
なにもいらない 愛してくれる
朝のあなたのほかには
七月二十七日
わたしは愛されたい。愛したいのではない。ペットは愛したい。愛されたいのではない。――それが昨夜の結論だった。
予定通りなら、今日あの人は東京に帰ってきたはず。わたしは、上野に到着する列車の時刻を知っている。もし、帰ってくるのが彼一人なら、わたしは列車から降りる彼を迎えに行くだろう。しかし、状況は関口義明の『ああ上野駅』のように、常に思い通りではない。わたしは今、恵まれた状況に対して一種の飢餓状態にある。
八月から再び、有志だけの練習が行われる。練習に出る気は全くない。わたしと彼との出会いの舞台装置としては、テニスコートは、落第。川村さんとの関係もお坊ちゃん=武者小路実篤の『友情』のように瓦解しそう。
ああ、白井さん、あなたは本当のものをご存知?永遠と言うものを知っていらっしゃる?――それは、黄金の薄いヴェールに包まれて、手をほんのちょっと触れただけでも、壊れてしまうものなの。丁度、金箔のトランプのお城のように、微風のほんのひと吹きで、どうにもならないほどにくずおれてしまうのよ。
あなたは、かけがえのないものを見たことがあるかしら。アルチュール・ランボーが、『永遠』で入り陽の映える海にたとえたもの。繻子のきらめくような金色で彩られた帯の橋。なければならないもの。だけど、目にはさやかに見えないもの。見えない人には、一生の間、見えないかもしれないもの。それがあなたには見えるかしら。
本当の物、何物にも変えることのできない、唯一無二のもの。それは、命を代償とするもの。いかなる妥協も許さない、ゴリゴリの倉橋由美子の『スミヤキストQの冒険』のようなもの。


