千鶴子の歌謡日記

    頬ずりしながら涙を拭けば
     愛の言葉で去り行くあなたの
      愛しさ 優しさ 揺れる窓に浮かぶ

 わたしは、CDレコードをかける。ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第1番』がキャビネットの一番上にあったが、とてもかける気分にはなれない。ビートルズのデビュー・アルバム『Please Please Me』もトム・ジョーンズの『Love Me Tonight』も聞く気分ではなかった。結局、ウェス・モンゴメリーの『A Day In The Life』を聞くことにした。でも、だめ。ブランデーと煙草のせいで、熱血は確かに静まった。だけど、その平静さとは裏腹に、慢性閉塞性肺疾患のように呼吸するたびに息が胸の裂け目から漏れていた。
 頭がひどく熱くなった。誰かがセントラル冷房を弱めたのか、次第に体中が汗ばんできた。ステレオコンポが2時に消えるようにタイマーをセットして、再びベッドに倒れ込んだ。
 わたしは何も考えないことにした。動かず、じっとして堪えた。何も考えまいとすることは、マラソン選手が疲労困憊し、歩行への誘惑と闘っているのに似ていた。刻々と時間が消えて行った。ステレオが切れると、たまらない寂しさとたまらない虚しさが、孤独の嵐のように胸にこみ上げてきた。鈴木大拙の『無心ということ』は役に立たない。
 わたしは、耐えきれずにベッドの上に跳び起きた。素肌の上にナイトガウンだけを纏うと、一階のシャワールームに駆け込んだ。バルブをひねると、シャワーの水が白いタイル張りの浴室に散乱する。わたしは、わたしの胸を力いっぱい抱きしめて、水を浴びた。なぜ、人は自分ひとりで心の虚しさを満たすことができないのだろう。そういう人間の業のようなものは、種族を絶やすまいとさせる神の秘術なのだろうか。滴の音が、浴室中に広がった。何て淋しい響きだろう。シャワーの水を止めると、体の冷たさと虚労が、ひと塊になって、わたしを襲った。わたしはバスタオルで、わたしの乳房を思い切りしごいた。そこで、曲先で、詞だけでは楽曲にならない歌が生まれる。

  Hard luv 泣きたくなるようなnite
  投げ出したくなる愛も

  一人が怖くて
  誰でもある 肩を落としている
  あなただけじゃない 

  いいこともある きっとbaby
  泣かないで 笑い飛ばす