千鶴子の歌謡日記

  あの緑の丘まで 走って行きましょう
  陽の光がふたりを 追いかけてくるわ
   帽子のひさしを  人差し指で
   ちょっと上げれば 溢れる緑
  あの緑の丘まで   走って行きましょう
  あなたの頬をハンカチで 拭いてあげるわ

  あの緑の丘まで 走って行けば ほら
  丘の風がふたりを 迎えてくれるわ
   帽子の下から  流れる汗に
   ちょっと休めば 爽やかな風
  あの緑の丘まで   走って行けば ほら
  あなたと腕を組みながら 好きになりそうよ

  この緑の丘まで 走って来たら ほら
  丘の雲がふたりに 日影を作るわ
   飛び跳ねてはしゃいで 煌めくあなたに
   抱きすくめられれば    眩しい光
  この緑の丘まで 走って来たら
  あなたの瞳 輝いて 好きになったみたい

 でも、二人だけになって、あの人に求められたらどうしよう。樋口一葉は『一葉日記』で半井桃水に自宅に泊まることを求められた時、一夜を過ごせば、関係性の破壊されることを恐れた。戸主としての立場にある樋口一葉は、半井桃水と同棲することはできない。半井桃水が樋口一葉の家族を引き取って、扶養してくれるとも思えない。樋口一葉には、家柄も家産も、何もない。一夜を過ごした後、半井桃水は樋口一葉を捨てることが十分予想された。半井桃水の求めに応ずることは、樋口一葉にとって、小説作法の指導のみならず、全てを失うことを意味したのだ。その後の展開がなかったことを見れば、半井桃水が樋口一葉を愛していなかったことがわかる。歴史は、樋口一葉に永遠の命を与え、半井桃水は埋もれた。樋口一葉が半井桃水の求めに応じなかったことは、刹那的には後悔となるかもしれないが、文学的には正しかったのだ。
 わたしもあの人に求められた後の展望を描くことができない。どうする?その場の勢いに流されないためにも、考えておく必要がある。そこで歌が生まれる。

  今宵は泊まれと窓の外の雪が
  わたしを誘う甘い夜のしとね
  そうよ 二人の愛は今 熱く密かに燃え上がり
  今宵こそは唇合わせ ああ この髪に指を絡めて
  愛して あなた この胸に頬埋めて
  愛して あなた 朝の帷 開くまで
  夜の続く限りは抱き締めて離さないで
  あなた 愛して
 
  今宵は帰ると罪に惑う心
  帰ると言っても帰さないでほしい