千鶴子の歌謡日記

    かくばかり 細やかな 心根だから
     愛よ その棘を 見せないで

  愛してる なのになぜ 愛していると
  言えず 口ごもる 愛が遠く逃げて行く
    こんなにも 愛おしい 心根だから
     あなた この愛を 抱きしめて


七月十二日

 大いなる歓喜の後、人はしばしば無気力になるもの。たとえば、?ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125を聴き終えた後とか、エリア・カザン監督の『エデンの東』を観た後とか、およそ感動的な体験のすぐ後は、ただその感銘に浸るのが精一杯で、そのほかのことは、何もできなくなる。ただし、映画については、個人の嗜好による。川村さんは、ヴィクター・フレミング監督の『風と共に去りぬ』が感銘深いというが、わたしにとっては、ただただ退屈な映画だった。ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』でアントワーヌ・ロカンタンの昔の恋人アニーが言う「特権的状態」は常に訪れるとは限らない。ロバート・ワイズ監督の『サウンド・オブ・ミュージック』を初めてみた時、「特権的状態」に陥ったが、二回目に見た時は陥らなかった。『エデンの東』も一〇回目までは「特権的状態」に陥ったが、十一回目に見た時は陥らなかった。しかし、一回目で「特権的状態」に陥らなかったものは、二回目も「特権的状態」に陥ることはない。白井さんは前者で、井阪さんは後者だ。
 昨夜は、練習の疲れが少しはあったかもしれないけれど、机を前にして、ボールペンを手にしたものの、何も書けなかった。陶酔の齎した一つの虚脱が、わたしに何もさせなかった。ただ、その陶酔に浸ること以外は。
 昨日、わたしは川村さんが体の都合で練習に出られないことを知っていて、クラウンに行ってみた。果たして、あの人はいた。あの井阪という男と一緒にいつものように練習試合をしていた。相手がいないので、仕方なくわたしはネットの高さに白いラインの書いてある塀に向かって、これみよがしに、テニスボールを打った。しばらくして、井阪という男が、
「一緒に打ちませんか」