千鶴子の歌謡日記

   わたしに 気づいて 立ち止まっても
    知らない 顔して 角を 折れてく
  
  出逢いは いつも 悲しい
   あなたは わたしを 子供と思う
    その優しさが 胸を 引き裂く
      悲しい 出逢いは ちぎれた葉
      雨に打たれて 散るがいい
  出逢いは いつも 悲しい
   あなたの笑みが どんな人にも
    振り向けられると 知っているから


七月十日

 わたしの大好きな『じゃがいもを食べる人々』を描いたフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホが自分の耳を切ったのはなぜだろう。お金持ちの御用画家として注文された絵画を描くこともなく、ただ自分が描きたいと思った絵のみを描いた孤高の画家。絵画は写真ではない。パトロンの注文で描く物でもない。画壇に媚びて描く物でもない。ただひたすらに自らの魂が求めるものを描く物だ。彼の絵は魂の叫びだ。彼は、やがてタヒチに憧れて『タヒチの女』を描くことになるウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャンと仲たがいして、『包帯をしてパイプをくわえた自画像』にあるように単なる狂気から耳を切ったのだろうか。彼は、自分で自分を傷つけることができるかどうか試してみたかったのだろうか。自殺したのも、単なるピストルの暴発ではなくて、耳を切ったのと同じ動機だったのだろうか。彼は、自分に自殺することができるか否か、試してみたかったのだろうか。
 あれほど明晰な『誘惑者の日記』を書いたセーレン・オービエ・キルケゴールが、レギーネ・オルセンに婚約を申し込んだのはなぜだろう。もし、彼が神のように明晰な人間ならば、彼は、婚約を申し込む前に、彼がやがて婚約を破棄するだろうことは、分かったはず。でも、彼は、婚約を申し込んだ。そして、一年後に、それを破棄した。彼は、レギーネ・オルセンを愛していたと自分で語っている。でも彼は、婚約を破棄した。オルセン家の「思いとどまるように」という言葉も、そして、レギーネ・オルセン自身の「捨てないで」という哀願も無視して、彼はドイツに旅立った。彼は、自分のことを実験者と呼んでいる。彼は、自分で自分を試してみたかったのだ。愛する人を、最愛の人を『あれか、これか』と、捨てることができるかどうかを。婚約してしまえば、婚約する前の自分ではなくなる。ひりつくような自意識は、彼にとって『死に至る病』なのだ。