千鶴子の歌謡日記

 でも、この方がよかったのかもしれない。この方が、あの人の心がわかるというもの。もし、あの人が、わたしに好意を持っているのならば、ノートのお礼をしていないからという理由で、再び別のデートを申し込んでくるだろう。それに、わたしの代わりに川村さんがいけば、わたしの方からノートを貸したという一方的な行為は、わたしが行かなったことによって、相殺される。あの人は、わたしの心がわからなくなるはず。ノートを積極的に貸したことと、自分が行かずに川村さんを行かせたこととは、明らかに矛盾するから。そこで、彼が、どちらの行為がわたしの本心なのかを確かめようとしたら、それは紛れもなく、彼がわたしに好意を持っていることの証左になる。でも、このことが彼と川村さんを結びつけてしまったらどうしよう。すれ違いが、すれ違いのまま、修正されずに心が離れて、時が過ぎて行ってしまうかもしれない。そこで、北山修の『さらば恋人』のような歌が生まれる。

  今日はあなたの誕生日
  角のスーパーで
   あなたの好きなワイン
 線路際の細い路
  わたしが夢中で
   走り抜けてきたら
    テーブルの上に白いナプキン
     もう住めない
     もう住めない
    あれはあなたの走り書き

  何となく気があった
  街の夕暮れ
   あなたに似てる人と
  心弾む狭い部屋
  わたしが何気なく
   CDきいてみたら
    アーカイブ録音に残る呟き
     ごめんなさい
     ごめんなさい
    あれはあなたの涙声

  いつの間にかその人と
  暮らし始めていた
   あなたと燃えたように
  だけど何かが欠けていた
  わたしはアパートに
   心重く帰る
    郵便受けから花の便箋
     すてきな人
     すてきな人
    あれはあなたの走り書き


七月八日

 わたしは、ヴィクトル・ユーゴの『レ・ミゼラブル』のジャン・ヴァルジャンが私服警官ジャヴェールから逃げ回ったように、白井さんから再び逃げ回ることにした。彼に会って、彼がもし、
「ノート、ありがとう」
と言ってしまえば、それで終わりになるから。こうして、わたしが彼に会わなければ、彼は、何らかの手段でわたしにノートを借りた礼を言わない限り、わたしに対して負債を負うことになる。その負債が、
「ありがとう」