美しい想い出
テニスボールを追いかけ
わたしはラケット片手に
高原の駅に駆けて行く
五月二十四日
Tのことを、日記に書かなくなってから久しい、彼は、ひと月に一通ぐらい手紙を書いてよこす。気障な文章の手紙。電話も一ヶ月に一回ぐらいかけてくる。たいてい、
「ドライブしないか」
という誘いだけ。わたしは、
「頭が痛い」
とか、
「宿題がたくさんあるの」
とか嘘をついて断ってきた。彼も、薄々それに気付いているらしい。彼の手紙に対して、わたしは全く返事を書いていないし、もう半年近くデートもしていない。わたしは彼を勝手に買いかぶっていたのだ。彼を出汁にして、自分の理想の白馬の騎士を描いていた。彼にとってはいい迷惑であったのかもしれない。理想の彼氏像を描いて、それに憧れたのはわたし。次第に幻滅を感じて、顔を見るのも嫌になったのもこのわたし。好きと嫌いの振幅が大きく、自分自身がそれに振り回される。自家中毒のような心のありように自分でも手を焼いている。むき出しにすれば、周囲の人が周章狼狽することは分かっているので、日夜、自制しなければならない。心の中の鬼畜を飼いならすことのできないときもある。自分の心の葛藤は自分だけにしかわからない。その苦衷の程度や質を他人と比較することはできない。でも、それを絶対化することは危険だ。単なるわがままか、幼児でしかない。
でも、体の傷の痛みを知るのは自分だけで、他人の傷の痛みは類推するしかない。今痛いということを知っているのは自分だけ。そこで歌が生まれる。
煙草の煙 紫 揺らめく輪の中で
悲しげに煙たそうな
あなたは波止場の涙の鴎か
裸のままで抱きすくめて泣かせた
あの あなたが
潮風臭いとわたしを避ける
そういう あなたじゃ
そういう あなたじゃ
なかったはずなのに
一体どこで電気ブランを覚えたの
あの船出 三月前の
あなたはやさしい頼れる帆柱
泪も拭かず抱きすくめて泣かせた
あの あなたが
酔った振りしてわたしを避ける
そのわけ 言わない
そのわけ 言わない
なにがあったのかを
立ち寄る港 港へ送ったシーメイル
テニスボールを追いかけ
わたしはラケット片手に
高原の駅に駆けて行く
五月二十四日
Tのことを、日記に書かなくなってから久しい、彼は、ひと月に一通ぐらい手紙を書いてよこす。気障な文章の手紙。電話も一ヶ月に一回ぐらいかけてくる。たいてい、
「ドライブしないか」
という誘いだけ。わたしは、
「頭が痛い」
とか、
「宿題がたくさんあるの」
とか嘘をついて断ってきた。彼も、薄々それに気付いているらしい。彼の手紙に対して、わたしは全く返事を書いていないし、もう半年近くデートもしていない。わたしは彼を勝手に買いかぶっていたのだ。彼を出汁にして、自分の理想の白馬の騎士を描いていた。彼にとってはいい迷惑であったのかもしれない。理想の彼氏像を描いて、それに憧れたのはわたし。次第に幻滅を感じて、顔を見るのも嫌になったのもこのわたし。好きと嫌いの振幅が大きく、自分自身がそれに振り回される。自家中毒のような心のありように自分でも手を焼いている。むき出しにすれば、周囲の人が周章狼狽することは分かっているので、日夜、自制しなければならない。心の中の鬼畜を飼いならすことのできないときもある。自分の心の葛藤は自分だけにしかわからない。その苦衷の程度や質を他人と比較することはできない。でも、それを絶対化することは危険だ。単なるわがままか、幼児でしかない。
でも、体の傷の痛みを知るのは自分だけで、他人の傷の痛みは類推するしかない。今痛いということを知っているのは自分だけ。そこで歌が生まれる。
煙草の煙 紫 揺らめく輪の中で
悲しげに煙たそうな
あなたは波止場の涙の鴎か
裸のままで抱きすくめて泣かせた
あの あなたが
潮風臭いとわたしを避ける
そういう あなたじゃ
そういう あなたじゃ
なかったはずなのに
一体どこで電気ブランを覚えたの
あの船出 三月前の
あなたはやさしい頼れる帆柱
泪も拭かず抱きすくめて泣かせた
あの あなたが
酔った振りしてわたしを避ける
そのわけ 言わない
そのわけ 言わない
なにがあったのかを
立ち寄る港 港へ送ったシーメイル


