と誘われたとき、わたしは今見てきたばかりの青白い男たちの群れと対照させて、汗にまみれて躍動する男の人の臭いを思い出していた。武田さんに会っていなければ、テニスボールの「ポーン、ポーン」という鼓膜をくすぐる音と、男の人の汗のにおいを思い出して、テニスを再び始めることにあれほど喜びを見出しはしなかっただろう。
そして、わたしは、今日、会った!ロッカールームに通じる狭い廊下を、見覚えのある髪の形をした男の人が、先に歩いていた。項の髪のばらつき具合、肩の盛り上がり加減、腰の容子、引き締まった長く浅黒い足――何一つとして、わたしの記憶と異なるものは無かった。それは、疑うまでもなく、白井ケンイチだった。わたしのからだ中に熱湯を注ぎこんだような戦慄が走った。わたしは不意に胸苦しさに襲われた。わたしの足は、無性に震えた。わたしをとりまくテニス・クラブの廊下の壁が揺れているように見えた。わたしの踵は、歩を進めるたびにガクガクと小刻みに上下した。呼吸をすることが、この上もない苦しさを伴っていた。
「女子ロッカーはここよ」
と彼女が声をかけなかったら、わたしはそのまま男子のロッカーの方に向かって歩いていたかもしれない。女子のピクトグラムが目に入らなかったのだ。
確かにあの人。半年前のわたしに、あれほどの強烈な印象を植え付けた人、その人に全くの偶然から会えたのだ。いや、わたしは白井ケンイチの動線を知らなかったから偶然と思っただけで、ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持ち、未来を含む宇宙の全運動も確定的に知りうる『ラプラスの悪魔』に言わせれば、本当は必然だったのだ。長い冬を経て、浮気なわたしが忘れかけていた人。日記を読み返す以外は絶えて思い出すことのなかった人。その人が、わたしの心の中にかつての情念そのままに、不死鳥のようによみがえった。
わたしは、彼と軽井沢でテニスに興じることを夢見る。そこで山上路夫の『恋する夏の日』のような歌が生まれる。
声をかけてみようかな
テニスウエアのよく似合う人
それともテラスの椅子にもたれて
本でも読んでいようかな
手でも振ってみようかな
テニス焼けした美しい人
にっこりこっちを向いて微笑む
そんな気がする軽井沢
さわやかな風 高原を巡り
そして、わたしは、今日、会った!ロッカールームに通じる狭い廊下を、見覚えのある髪の形をした男の人が、先に歩いていた。項の髪のばらつき具合、肩の盛り上がり加減、腰の容子、引き締まった長く浅黒い足――何一つとして、わたしの記憶と異なるものは無かった。それは、疑うまでもなく、白井ケンイチだった。わたしのからだ中に熱湯を注ぎこんだような戦慄が走った。わたしは不意に胸苦しさに襲われた。わたしの足は、無性に震えた。わたしをとりまくテニス・クラブの廊下の壁が揺れているように見えた。わたしの踵は、歩を進めるたびにガクガクと小刻みに上下した。呼吸をすることが、この上もない苦しさを伴っていた。
「女子ロッカーはここよ」
と彼女が声をかけなかったら、わたしはそのまま男子のロッカーの方に向かって歩いていたかもしれない。女子のピクトグラムが目に入らなかったのだ。
確かにあの人。半年前のわたしに、あれほどの強烈な印象を植え付けた人、その人に全くの偶然から会えたのだ。いや、わたしは白井ケンイチの動線を知らなかったから偶然と思っただけで、ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持ち、未来を含む宇宙の全運動も確定的に知りうる『ラプラスの悪魔』に言わせれば、本当は必然だったのだ。長い冬を経て、浮気なわたしが忘れかけていた人。日記を読み返す以外は絶えて思い出すことのなかった人。その人が、わたしの心の中にかつての情念そのままに、不死鳥のようによみがえった。
わたしは、彼と軽井沢でテニスに興じることを夢見る。そこで山上路夫の『恋する夏の日』のような歌が生まれる。
声をかけてみようかな
テニスウエアのよく似合う人
それともテラスの椅子にもたれて
本でも読んでいようかな
手でも振ってみようかな
テニス焼けした美しい人
にっこりこっちを向いて微笑む
そんな気がする軽井沢
さわやかな風 高原を巡り


