千鶴子の歌謡日記

 恋愛小説における死は、たとえばアーネスト・ヘミングウェーの『誰がために鐘は鳴る』や『武器よさらば』のように、読者に必ず古代ギリシャのアテナイのディオニュシア祭において上演されていた悲劇のカタルシスを与える。死は、一つの絶頂になる。激烈な恋愛がハッピーエンドになって、例えば、レフ・トルストイの『戦争と平和』のナターシャとピエールのように、凡庸な男と女の関わり合いへと転落するよりは、死を一つの結末とする方が、三島由紀夫の『金閣寺』の炎上のように、はるかに美しい。だから、ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』の後日談を考えると、ぞっとする。マイク・ニコルズ監督の『卒業』についても同じこと。ダスティン・ホフマン演ずるベンジャミンがキャサリン・ロス演ずる花嫁を強奪したところまではいいけれど、その後に続くのは、単調な日常生活しかない。だから、あの映画はハッピーエンドというよりはむしろ、熱烈な恋愛が淡々たる日常性へと転落することを予兆させる悲劇なのだ。三島由紀夫の『真夏の死』では、伊豆の海岸で二人の子どもを失った女が悲劇から、時の経過で癒やされ、悲劇の女主人公のカタルシスの萎えた空虚から、再び悲劇の到来を心待ちにするところまで描かれている。こうした小品にも三島由紀夫の非凡の躍如がある。そこで清水みのるの『星の流れに』のような歌が生まれる。

  手首に滴る赤い血は
   あなたを恨んで流れる泪
  船のマストの行き交う窓辺
   カタカタと小刻みに
    震えるほどに
     咽び泣いてるわたしの肩を
      燈台の青い明かりが
       掠めて巡る

  包帯 巻く手に目頭を
   あなたは押し当て泪を流す
  海の鴎の飛び交う窓辺
   カタカタと小刻みに
    震えるほどに
     咽び泣いてるあなたの肩を
      なぐさめもせずに この部屋
       出て行けましょか

  体の傷跡 癒える頃
   心もいつしか愛に癒える
  沖の潮風 舞い込む窓辺
   カタカタと小刻みに
    震えるほどに
     咽び泣いてるふたりの愛が
 よみがえる遠い汽笛の
       ララバイ港