千鶴子の歌謡日記

   いまはひとたび濁るとも
    嘆くなかれ 悲しむなかれ
     その水面ある限り
     その流れある限り
      とわに濁ることがあろうか

  河の流れよ
   いまは水富み深くとも
    驕るなかれ 留まるなかれ
     その河口ある限り
     その流れある限り
      とわに深いことがあろうか

  河の流れよ
   いまは水涸れ浅くとも
    嘆くなかれ 悲しむなかれ
     その山のある限り
     その雲のある限り
      とわに浅いことがあろうか  

一月十一日

 ある恐れ。それは、成績のよくない科目の教師の嫌味な含み嗤いではない。また、他人からの中傷でもないし、仲間外れや軽蔑や嘲笑や侮蔑でもない。それは、精神と肉体の死でさえもない。どうせわたしは、死の瞬間に全世界の人々から忘れ去られる存在だから。いずれにしても、死んでしまえば、恐れの感情すら認識できない。
 わたしには、もっと、もっと、もっと、死よりも恐ろしいものがある。第三次世界大戦、地球の滅亡、宇宙の破壊――いや、いや、これらでもない。注射を打たれる前の冷ややかな消毒液、自信のない答案の返却、誰もいない映画館での映画鑑賞、愛情を拒絶されかもしれないという懸念、――違う、それらとは全く異質のもの。
 ある恐れ。それは何のことはない。わたしが普通の女であること。例外でも非凡でもないということ。三島由紀夫のいう「別誂え」の人生がないということ。将来、結婚をして子供を生み、そして、年を取り、しわや白髪が増え、極くあたり前の生活にどっぷりと溺れてしまうだろうということ。何の特異性もないこと。とりたてて利口でもないこと――つまり、そういうことは、わたしを日常性の中に首の付け根まで埋没させ、わたしという存在を湮滅させるもの。ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが『カサブランカ』で「君の瞳に乾杯」というラブロマンスを演じた主題歌『As Time Goes By』を堂々とパックって沢田研二が歌った阿久悠の『時の過ぎゆくままに』流れの上に疑似餌の様に浮かばせ、無理やり、知らない間に、わたしを押し流してしまうもの。そして、わたしがこう思っていることが、うぬぼれであるということ、とりわけ、これが最も恐ろしい。