人は皆、生まれ落ちると白い道を歩み出す。赤ん坊の時、幼少の時代。すべての人々はその初期にこの道を歩む。その美しい精神の輝きは白い道に映え、その無垢は全ての人々に清々しさを与える。でも人は皆、成長を余儀なくされる。やがて、この狭い道は、成長しつつある人にとって窮屈なものになる。途中に、アンドレ・ジッドの『狭き門』が、高さ2尺2寸、幅2尺1寸の千利休の『躙り口』のように立ちふさがる。大半の人々は広く黒い道を歩み始める。広く黒い道には、何らの束縛もなく、無自覚という動物的な自由と汚濁がある。狭く白い道は狭隘なるがゆえに光明も見えず、カトリック教会の免罪符もなく、身を削る不安が絶えず付きまとう。蜿蜒と曲折した九十九折りの道は、たまらない焦燥を抱かせる。そこで、石坂まさをの『圭子の夢は夜ひらく』のような歌が生まれる。
青春とはただ名ばかりの
十六 十七 十八に
わたしが歩いた心の小径は
恋に惑うつづら折りのようです
いま想えばあれが初恋
十九と二十歳の青い春
わたしが辿った心の小径は
夢に霞む細い尾根のようです
愛しすぎて 愛が壊れて
逢えば逢うほど遠ざかる
わたしが迷った心の小径は
雨の街の行き止まりのようです
ああ、わたしは身勝手な流浪の民・ボヘミアン。狭く白い道と広く黒い道を交互に歩む。その苦しみに耐えられなくなる時、広く黒い道を行き、全てが滞りなく順調であれば、狭く白い道を行く。
広く黒い道を行く人々は、その行く末が見えていても、若い人びとは未ださきのことだと楽観し、中年の人々は惰性で流されて傍観し、老いた人々はどうにもならないと諦観する。悲しいかな、人の生業。絶えず真の人間としての行為にその狭く白い道を行くことを否定され、それでもなお行かねばならない流浪の民・ジプシー。真の人間であるべきか、それとも孤高の人であるべきか。
相克に背を向ければ、限りない寂寥に襲われる。やはり、この狭く白い道を行こう。あえて、激流の中に身をうずめ、動物としての人間よりも、人間としての人間で、わたしはありたい。
志賀直哉の『暗夜行路』の先に、狭く白い道と広く黒い道の『和解』があるのだろうか。そこで、atsukoの『暗夜航路』のような歌が生まれる。
はるかな彼方に
煌めく篝火
青春とはただ名ばかりの
十六 十七 十八に
わたしが歩いた心の小径は
恋に惑うつづら折りのようです
いま想えばあれが初恋
十九と二十歳の青い春
わたしが辿った心の小径は
夢に霞む細い尾根のようです
愛しすぎて 愛が壊れて
逢えば逢うほど遠ざかる
わたしが迷った心の小径は
雨の街の行き止まりのようです
ああ、わたしは身勝手な流浪の民・ボヘミアン。狭く白い道と広く黒い道を交互に歩む。その苦しみに耐えられなくなる時、広く黒い道を行き、全てが滞りなく順調であれば、狭く白い道を行く。
広く黒い道を行く人々は、その行く末が見えていても、若い人びとは未ださきのことだと楽観し、中年の人々は惰性で流されて傍観し、老いた人々はどうにもならないと諦観する。悲しいかな、人の生業。絶えず真の人間としての行為にその狭く白い道を行くことを否定され、それでもなお行かねばならない流浪の民・ジプシー。真の人間であるべきか、それとも孤高の人であるべきか。
相克に背を向ければ、限りない寂寥に襲われる。やはり、この狭く白い道を行こう。あえて、激流の中に身をうずめ、動物としての人間よりも、人間としての人間で、わたしはありたい。
志賀直哉の『暗夜行路』の先に、狭く白い道と広く黒い道の『和解』があるのだろうか。そこで、atsukoの『暗夜航路』のような歌が生まれる。
はるかな彼方に
煌めく篝火


