千鶴子の歌謡日記

一月二日

 家族で、浅草の浅草寺に初詣に出かけた。祖父母も、父も母も演歌が好きだ。祖父母は流行歌専門だが、両親は若いころはポップスファンだった。歳を重ねるにつれ情愛のもつれを見聞きするにつれ、演歌の歌詞の意味が理解できるようになり、共感に包まれるようになったという。祖父母が生き抜いた昭和の面影が、浅草にはある。平成になってから賑わいを見せる浅はかな町と比べると、町のたたずまいにしっとりとした潤いを感じられる。そこで、八代亜紀の『居酒屋「昭和」』をスタンダード・ナンバーにしたような歌が生まれる。

  箪笥の上に白黒テレビ
  チャンネル捻って紅白を見た
  おじいちゃんが白勝てと
  おばあちゃんが紅勝てと
  家族みんなが卓袱台囲んで
  年の暮れ
  昭和は遠くなりにけり

  買ったスバルは360
  家族が5人でお盆の帰省
  おとうちゃんが暑苦しい
  おかあちゃんがあっち行け
  家族みんなが田舎に着いたら
  疲れ果て
  昭和は遠くなりにけり

  団地の居間に黒塗り電話
  ダイヤル回してアイラブコール
  お兄ちゃんが早く切れ
  お姉ちゃんが次わたし
  家族みんなんが受話器を囲んで
  夜が更けた
  昭和は遠くなりにけり

 仲見世通りをそぞろ歩きながら、唐突に、
「演歌は歌詞がすべてだ」
と父は言う。そこで、藤田まさとの『浪花節だよ人生は』のような歌が生まれる。

  歌えと請われりゃ謡いもするが
  惚れた腫れたは記憶の彼方
  残り僅かな人生懸けて
  唄う誠の愛ひとつ
  艶歌嫌いの女の 女の 女の演歌節

  御世辞と諭吉で頬撫でられて
  義理も人情も木の葉の軽さ
  愚痴は言うまい 女がすたる
  馬鹿を承知で意地を張る
  援歌嫌いの女の 女の 女の演歌節

  頼むと拝まれ ひと肌脱いだ
  掛けた情けがあだになっても
  恨み辛みはさらりと流し
  せなで風切る女意気
  怨歌嫌いの女の 女の 女の演歌節

 父と母とは、月と太陽ほど性格が違う。
「男歌よりも、女歌の方が好き」
と母は言う。そこで、吉岡治の『いのちくれない』のような歌が生まれる。

  たった一度の人生だから
    悔いを残さず生きて果てたい
    あなたは私の初恋青春
   愛し尽くして 命枯れても

  想い出すのは 誓いの言葉