千鶴子の歌謡日記

 時がたって少女は女になった。加藤登紀子の『百万本のバラ』に包まれることを夢見る二十歳の女に。今、女は自己欺瞞を自分の言動の中に見出そうとしない。美人でもないのに、美人だと思い込もうとする。聡明でもないのに、才色兼備を衒おうとする。赤いバラの花びらの繚乱たる光景を夢想することは自惚れ。でもそれは、女にも理解できない突然の想起としてキャンパスに現れた。女は、そのことにをしばらく気付かないでいた。それを心の襞の陰翳の中に閉じ込めようとしていた。女のそういった輪郭もなく模糊としている、ひょっとしたら虚妄であるかもしれない覆盆モノの昔の観念。それこそ、紛れもない魂の深層の真実。擾乱にまみれた心の蕾の中に一瞬、稲妻のように走り、光明をもたらすのは、全てこの潜在的な観念の賜物――それは、つまり、赤いバラ。オーソン・ウエルズ監督主演の『市民ケーン』のダイイング・メッセージは「バラのつぼみ」。女のサブリミナル・メッセージは、少年・赤いバラ・白井。潜在意識に沈潜する固有の情念。他者に伝えようにも、説明しようにも、いかんともしがたい情動。
 オーソン・ウエルズと言えば『第三の男』のアントン・カラスのチターが秀逸。テーマソングが印象に残る名画は多いが、楽器が忘れらないというのは少ない。そこで第二次世界大戦直後のウィーンに流れる歌が生まれる。
 
  枯れ葉舞う墓地  あなたの泣く秋
    あの人は死んだ あなたの友達だった
   暮れなずむ街   あなたの泣く駅
    あの人は無二の あなたの親友だった
   あなたは悲しそうに睫を濡らす
     わたしも悲しい
      友の死に あなた以上
 
   だけどよそうもう 共に泣くのは
    あの人はいない 二度と帰らないから
   少しはわたしにも   泪を分けてほしい
    あの人のことで 無理は承知だけれど
     あなたの悲しそうな瞳が曇る
     わたしも悲しい
      友の死は あなた以上
 
   哀愁のチター   聞けば泣くあなた
    あの人は実は  けちな悪党だった 
   いい加減もう   諦めてみたら
    あの人のことは 綺麗さっぱりと今
     あなたは振り向かずに車で帰る
     わたしは平気よ
      諦めが 悪いから