千鶴子の歌謡日記

十一月九日

 最近、あの人に会わない。初めて会ったあの教室に行けば会えることは分かっているけれど、あの人がやってくるまで待っていなければならない惨めさが、わたしにはたまらない。それに、松本さんに会うのが苦痛。
 あの人のことも、今ではほとんど忘れかけている。今のわたしには、胸騒ぎも、紅潮もない。そして、わたしはスタンドピアノを弾く。小学生のころ、友達のマネをして、母にせがんでピアノ教室に通わせてもらったものの、先生が弾く和音「ドミソ」「ミファラ」「シレソ」を当てる練習が何のためなのか理解できずに、1年もたたずに止めてしまった。ヤマハのスタンドピアノだけが残った。
 わたしは、結局浮気なのだ。ついこの間まで、あれほど熱狂的だったのに、今は嘘の様に平静。そこで、橋本淳の『草原の輝き』のような歌が生まれる。
 
  追憶の中から
   想い出すままに
    過ぎ去った日々の
     輝きに涙する
      白い靄は春霞
      眩しい夏は蜃気楼
      紅く染まる秋の眩暈
      蒼ざめ凍る冬の別れ
  追憶の中から
   想い出すままの
    過ぎ去った日々の
     輝きは戻らない
 
  追憶の絵本を
   そっと紐解けば
    赤青黄色に
     花びらが舞って散る
      忘れられぬあの花の
      眩しい色をこの庭に
      戻すことは夢陽炎
      冷たく光る花の滴
  追憶の絵本を
   閉じて微睡めば
    藍紅緋色の
     花びらが降りしきる
 
  追憶のあなたに
   不意に出逢うとき
    過ぎ去った日々の
     輝きは戻らない
      忘れられぬあの愛の
      眩しい色を手のひらに
      戻すことは夢幻
      青ざめ光る君の笑顔
  追憶のあなたに
   不意に出逢うとき
    過ぎ去った日々の
     愛しさに涙する
 
 本当は、ピョートル・チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23の第1楽章を弾きたいところだが、・・・気分的には、イーゴリ・ストラヴィンスキーの『春の祭典』は、弾く気にならない。昔の彼は、
「チャイコのピアノコンチェルトは女子供のクラシックだ」
と言っていたが、なんとなくわかるような気がする。その同じ彼は、また、