でも、この叫びは、わたしでは無い。エドガー・アラン・ポーの『黒猫』のように、闇夜に喉を鳴らせる夏目漱石の『吾輩は猫である』の猫の叫びのように、わたしのこの叫びは、モノとしてのわたし。もし、わたしと同じような好みを持った女性がいたら、きっとわたしと同じような叫び方をするに違いない。その叫びは、精子を卵巣が吸引するのと、本質的には大差はない。わたしは、モノにはなりたくない。なぜなら、モノは喜劇的だから。わたしが、彼にこれほどまでに支配されるのも、彼の容姿に影響されているからに他ならない。実際、わたしは、彼の隣に座っていた友達が、どんな髪をしていたか、何を着ていたか、どんな顔をしていたか、全然思い出せない。きっと、盲目の人にとっては、わたしが容姿という表層的なものに、身を焦がし、悶々としていることが、滑稽に思えるだろう。ほんの一皮の肉のつき具合、ただそれだけのものに、わたしの心は秋風に舞う枯れ葉の様に惑乱しているのだから。そこで小椋佳の曲で岩崎宏美に歌わせたい歌が生まれる。
湧き水のせせらぎに震える
白い小さな花びらは
語りかけるあなたを
見上げることもできなかったわたし
目映い夕陽に紅く染まる頬は
わたしの恥じらい
逢う度に胸を詰まらせ
瞳を潤ませていたあなたに
魅せられていたわたしの傍らで
風が時を刻み始めていた
草原の輝きに煌めく
蒼い小さな朝露は
抱き竦めるあなたを
見つめることもできなかったわたし
疎らな時雨に打たれ濡れる髪は
あなたの愛しさ
歩くとき腕に寄り添い
項を肩に乗せていたあなたに
魅せられていたわたしの後ろで
風が時を運び始めていた
風がわたしに呟きかけた
この楽しさもいつか終わるだろう
風をわたしは信じなかった
この愉しさいつか終わろうとも
想い出だけは残るはずだから
木枯らしの囁きに戸惑う
白く冷たい雪舞は
別れるときあなたを
振り向くことすらしなかったわたし
銀色の未練に残る足の跡は
あなたの想い出
今はもう胸のときめき
瞳の潤いさえも遠く
想いを馳せるわたしの傍らで
愛が時を戻し始めていた
風がわたしに教えてくれた
湧き水のせせらぎに震える
白い小さな花びらは
語りかけるあなたを
見上げることもできなかったわたし
目映い夕陽に紅く染まる頬は
わたしの恥じらい
逢う度に胸を詰まらせ
瞳を潤ませていたあなたに
魅せられていたわたしの傍らで
風が時を刻み始めていた
草原の輝きに煌めく
蒼い小さな朝露は
抱き竦めるあなたを
見つめることもできなかったわたし
疎らな時雨に打たれ濡れる髪は
あなたの愛しさ
歩くとき腕に寄り添い
項を肩に乗せていたあなたに
魅せられていたわたしの後ろで
風が時を運び始めていた
風がわたしに呟きかけた
この楽しさもいつか終わるだろう
風をわたしは信じなかった
この愉しさいつか終わろうとも
想い出だけは残るはずだから
木枯らしの囁きに戸惑う
白く冷たい雪舞は
別れるときあなたを
振り向くことすらしなかったわたし
銀色の未練に残る足の跡は
あなたの想い出
今はもう胸のときめき
瞳の潤いさえも遠く
想いを馳せるわたしの傍らで
愛が時を戻し始めていた
風がわたしに教えてくれた


