千鶴子の歌謡日記

      歌さえいらない
     あなたはわたしの
      すべてなの

   別れの日がきて
   逢えないあなたに
    生きているなら 
     いつかは出逢える
    だけど
     どれほど待っても
      逢えないものなら
     死んでしまいたい
      明日にでも
     わたしが死んだら
      あなたは泣くかしら
     わたしは死んでも
      あなただけ


十月二十七日

 今日も会った。わたしが仏語の授業を終えて第5校舎の532番教室から、第4校舎の44番教室に向かう3階の長い廊下を歩いている時、あの人は、二人の男子学生の真ん中に立って歩いていた。身長は180センチ足らず。わたしより15センチほど高い。覚えているのはそれだけ。あの人を認識しようとして、冷静であろうとすればするほど、目を向けることができない。わたしの心とは裏腹にわたしの目は彼から遠ざかり、わたしの胸の鼓動はボンゴのリズムのように激しくなる。
 ああ、わたしはまだわたしになれない。わたしはまだモノでしかない。わたしがわたしになるためには、わたしは冷静に、かつ沈着に、彼を認識しなければならない。彼の頭髪の型、眼窩の形、口唇の色、鼻梁の高さ、胸囲の厚み、四肢の長さ、臀部の張り、――そのほか、全てを知らなければならない。そして、あの人をわたしの前にひざまずかせたそのとき、ピエール・アンブロワズ・フランソワ・ショデルロ・ド・ラクロの『危険な関係』でヴァルモン子爵がツールヴェル法院長夫人を堕としたときヴァルモン子爵がヴァルモン子爵になることができるように、わたしはわたしになることができる。アブラハム・マズローが『自己実現の経営』でいう自己実現が完結する。このとき、彼はわたしにそれを強制されるのではなく、彼自らそうしなければならないように仕向けなければ意味がない。その時、初めてわたしはわたしになり、彼とわたしは同じ生、同じ死を共有することになる。それがわたしの今のすべての望み。すべての欣求。今度こそは明瞭に彼を認識しよう。動悸の高まりを抑え、目を背けたくなるのを我慢して。