千鶴子の歌謡日記

「それで、文句がいいたいのよ。だって、踏んだって知っていたのよ、あの男。あなた知っているんでしょ?」
 わたしの虚偽の憤怒の口調で、彼女の貝柱が機能していない貝殻は容易に開いた。一旦開けば、あとは、阿部公房の『砂の女』のように、蟻地獄の砂の穴を掘ってやりさえすれば、彼女はその中にどこまでも潜って行く。まずは、砂をひとかき。
「いったい何者なの?」
 彼女は、わたしのあの人に対する好奇心を全く詮索せずに、まんまとわたしの奸計に引っかかってくれた。彼女のように、口の軽い人は、ばかげた無駄口と、退屈な噂話さえ我慢すれば、最高の情報源になる。マタ・ハリことマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレほどではないとしても。おまけに他人を一切、懐疑の目で見ないから、誘導尋問がやりやすい。こっちが一つ尋ねると、彼女は十の返答をしてくれる。わたしは、村越吉展ちゃんを誘拐して、殺害した小原保をおとした平塚八兵衛になる必要はない。彼女は、味方にとっては、とんでもない軽口の裏切り者だが、敵方にとっては、この上もない情報提唱者。細い導火線にたった一本のマッチで火をつけさえすれば、彼女のプロペラのような舌は、数メガトンの爆弾のように、とてつもない規模で際限なく暴発し続ける。わたしはただ、さも興味がないといったような風情をして、しかも彼女の舌の爆発の火種が絶えないように酸素を供給しさえすればいい。さしあたって、時々相槌を打って、火柱のもとを燠のようにして炭壺の中に入れておき、時折取り出して、ちらつかせればいい。
 しかし、重要なことは、あくまでも興味の無いような印象を彼女に与えなくてはならないということ。彼女は饒舌家であるから、彼女の話のネタになるようなことは、決して蒔いてはならない。彼女の極まりないお喋りは、きっとわたしのすることに楔を打ち込むに違いないのだから。