千鶴子の歌謡日記

   人生は一度きり いざ行かん桃源郷へ
    いざ いざ いざ行かん桃源郷へ

   己が心の浅ましさに堪えきれず
   己が身のしがらみを打ち捨てて
    いざ行かん桃源郷へ
    歴史に埋もれ去ることが
       夢に描く生き方ではないが
        苦しい足掻きに心苛まれ
         全ての希望 欲望 忘却の彼方
   人生は一度きり いざ行かん桃源郷へ
    いざ いざ いざ行かん桃源郷へ
  女を忘れ去ることに
       未練一つないわけではないが
        切ない想いに心引き裂かれ
         全ての慕情 愛情 忘却の彼方
   人生は一度きり いざ行かん桃源郷へ
    いざ いざ いざ行かん桃源郷へ

 でも、まだ大丈夫。わたしの機智は、まだわたしのもの。わたしは、松本さんからのあの人の名前を聞きだしたように、この勝ち目のない一方的な戦いに勝利を収めるかも知れない。凱旋の日は、意外に早いかもしれない。そうわたしは、言葉で形創る虚構にかけては、天才に近い。今日のことがそう。三時間目の倫理の時間に、わたしは、彼女の隣に腰かけた。そして、偶然、隣に腰掛けたかのように、わたしはびっくりして見せた。
「あら、松本さん、今日はボーリングじゃなかったの?」
「山本君、今日は麻雀だって。会員証出して、『行って来いよ』って言ったけど、一人で行ったってしょうがないし、他に一緒に行ってくれる人はいないし、仕方がないから、授業に出ることにしたの。そういえば、わたし、まだ先生の顔見ていないんだワぁ」
 彼女は案の定、誘いにのってきた。わたしはほくそ笑む。そこでさりげなくわたしはこう言った。
「足がいたくて…」
「ヘェッ、アレで足がいたくなるなんて初耳だわ」
「バカァ、生爪が割れちゃったのよ」
「長く伸ばしているからよ、サルみたいに。エナメル塗ってないの?あれっ?サルの爪って長かったかしら?じゃないわね。きっと靴が小さいのよ。馬鹿の大足を小さく見せようとするからよ」
「じゃないの、足を踏まれたから」
「えっ?白井さんに?」
 彼女は、再び黙した。この前と同じように。立場は逆転する。今度は、わたしの方から話しかけなくてはならない。わたしは、舌なめずりする。