千鶴子の歌謡日記

とは決して尋ねない。彼女は、わたしの指し示した指先を見やって、華やかな声を上げた。
「あら、白井さんじゃないの」
 あのお喋りな彼女が、それだけ言うと口を固く噤んだ。彼女にも言えない言葉があったのらしい。その言えない次の言葉とは一体何だったのだろう。とても気になる。あの人の背に釘付けになった彼女の視線・・・それは電気掃除機の吸引口に吸い寄せられた紙片のように、べったりとあの人の背中に張り付いていた。嗚呼、たまらなく気になる。美の理解者は、かけがえのない美の理解者は、白井さんの理解者は、わたしだけであってほしい。わたしの心の叫びを誰か聞いてほしい。そこで、オスカー・ハマースタイン2世の『サウンド・オブ・ミュージック』のような歌が生まれる。

  あああ 聞いて下さい いまわたし 見たのです
   まばゆいばかりの朝 めくるめく陽の光
   いまでなければ 泣けないのです
    日陰の部屋から 出てきたわたし
   いまでなければ 愛せないのです
  人の愛の光は さまざまな色合いね
   この仕合せに酔って 舞い踊るわたしです
  何物にさえ 代えられないの
   愛されることの眩しさは
  なぜに今迄 知らずに生きてきたのでしょうか
   このわたし

  あああ 聞いて下さい この胸の ときめきを
   灯ともし頃夕闇 冷たそな 街明かり
   ここでなければ 泣けないのです
    氷の部屋から 出てきたわたし
   ここでなければ 愛せないのです
  人の愛の心は いろいろな温もりね
   この仕合せに酔って 融けて行くわたしです
  何物にさえ 代えられないの
   愛されることの暖かさ
  なぜに今迄 知らずに生きてきたのでしょうか
   このわたし

  あああ 聞いて下さい そよ風の 歌声を
   小鳥達がさえずる 公園の木の梢
   そこでなければ 泣けないのです
    孤独の部屋から 出てきたわたし
   そこでなければ 愛せないのです
  人の愛の響きは さまざまなハーモニー
   この仕合せに酔って 歌い出すわたしです
  何物にさえ代えられないの
   愛されることの夢心地  
  なぜに今迄 知らずに生きてきたのでしょうか
   このわたし


十月六日