千鶴子の歌謡日記

 わたしはあの人とすれ違って、その教室から、失意と喜悦と動揺と惑溺をいっしょくたに身に背負って出て行こうとした。興奮は冷めやらず、わたしは酷くぼんやりとしていた。夏空の名残りで、すっきりしない窓外の薄らともやった秋の空が、眼前にあったことが、中原中也の『サーカス』の心象風景のように「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と思い出される。そのとき、松本さんと奇遇。彼女は正にわたしにとっては、蓮っ葉なそばかすのあるキューピッドだった。先週、わたしはこの教室に、彼女に貸した倫理学のノートを返してもらうために来たのだから。彼女にとって、言葉は呼吸と同じ。彼女は、ほんのひと時でも、呼吸だけして、言葉を発しないということはしない。彼女にとって言葉は、鵞鳥の羽根のバドミントンのシャトルコックからちぎられた羽のひとひらよりも軽い。彼女は、確かに、こうわたしに話しかけてきた。
「あんら、水原さん。何でここにいるの?あなた、この時間は川口先生の文学を取っていたんじゃない?」
 わたしはどぎまぎして、とっさに返答することができず、
「あのう、ちょっと・・・」
と口籠ってしまった。
「どうしたの?変な顔して。その顔は、アレの時の顔でもないし、どったの?」
 そんな風に彼女は言った。このほかにも彼女はもっと喋った。こちらが黙っていれば、彼女は際限なく軽機関銃のように喋りまくる。いつもは、絡みつく芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように厄介な彼女の饒舌も、この時ばかりは、あの人の名前を知るための呼び水になった。
 わたしは、彼女に、
「アレの時の顔でもないし」
と言われたとき、自分の顔がひどく呆然としていることに気付いた。それを誤魔化すために、そう、全く無意識のうちに、まるで遊泳している宇宙飛行士のように、あの人の背中を指さしていた。
「ん?」
と彼女は、素早くわたしの指先の延長線上を辿り、何かを言おうと言葉を探していた。わたしは戸惑い、その顔を彼女に見られ、余計なことを言われるのを恐れ、彼女がわたしの指先の延長線上に不特定のものを捜索している間に、自分の右足で茶のパンプスのエナメルを踏みつけて、こう言った。
「あの人、わたしの足を踏みつけて、知らん顔して行ったのよ、だから…」
 それだけ言えば十分だった。彼女は、
「だからどうなの?」