わたしが日比谷の映画館で幼児の鳴き声に腹を立てた時のように、心の中でそう叫んだ時、あの人が教室の真ん中の扉に忽然と現れた。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調『運命』の冒頭の4音が鳴り響く。すると、どうだろう、わたしの呼吸は一瞬止まり、その刹那に、階段教室の中の刺々しい騒々しさは掻き消えて、教室の中のありとあらゆる光が、スポットライトのように収斂されて、あの人の頭上に焦点を合わせたように見えた。わたしの耳には、何の音も聞こえてこなくなり、あの人以外のものは、全てわたしの盲点に掃き落とされ、視界から消え去った。わたしは、ヘレン・ケラーのように聾唖で盲目。心眼で見えるのは、ただあの人だけ。わたしは茫然と自失し、考えることを忘れ、全く無意識に徐に座席を離れ、あの人のやってくる花道を、夢遊病者のように、あの人の方に向かって歩いて行った。わたしのこめかみは、削岩機の岩を穿つ音を立てて波打ち、わたしの足は教室の床から浮き上がり、石井桃子の『ノンちゃん雲に乗る』の鰐淵晴子のように、よく滑るローラーの上を歩く感覚が足首にあった。そして、わたしの子宮は収縮し、わたしの胸は激しく鼓動し、鼓動するたびにブラジャーがわたしの鳩胸に食い込み、わたしの体は大海原の中の孤舟のように激しく揺曳した。
その時わたしは、存在していなかった。その時のわたしの顔がどんな表情であり、その時のわたしの手や腕がどんな動きをしていたのか、全くわたしの記憶のアーカイブにはない。唯一つだけ覚えていることは、左の脇に抱えていたノートと教科書を、胸に強く押し当てたり、下から上へ突き上げたりするようにして動かしていたことだけ。それ以外のことは何一つ覚えていない。
その時わたしは、存在していなかった。その時のわたしの顔がどんな表情であり、その時のわたしの手や腕がどんな動きをしていたのか、全くわたしの記憶のアーカイブにはない。唯一つだけ覚えていることは、左の脇に抱えていたノートと教科書を、胸に強く押し当てたり、下から上へ突き上げたりするようにして動かしていたことだけ。それ以外のことは何一つ覚えていない。


