でも、今日からわたしは恐らく存在する。わたしは明らかに明日という日にわたしが生きているだろうことを希望している。そしてわたしは、今、わたしがわたしであることを十分に意識している。こうして日記を書いているときでも、わたしは次に何を書くかを、何を書こうとしているのかを、そしてなぜ書いているのかを意識している。わたしは、一人の男の人のために書いている。その男がわたしの前に現れなかったら、わたしは書きはしないだろうし、その男のことを、こうして書きながら思うことをしようとしなければ、矢張り書きはしないだろう。そこで、山口洋子の『誰もいない海』のような歌が生まれる。
振り向いてごらん
頂へと向かう 峰の小屋から
振り向いてごらん
雲の上に続く 白い梯子から
青く澄んだ湖が
黄金色の田や畑が
見えませんか
見えませんか
死にたいだなんて およしなさい
甘えないで あなた
生きてごらんなさい
振り返ってごらん
昨日までのあなた 生きて来た道を
振り返ってごらん
昨日までの涙 抱いて来た愛を
胸に染みる優しさが
思いやりの温もりが
見えませんか
見えませんか
死んでやるなんて おやめなさい
恨まないで 愛に
生きてごらんなさい
わたしは、今、生きている。わたしは、ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』のアントワーヌ・ロカンタンが嘔吐しそうになったグロテスクなマロニエの木の根ではない。わたしは、あの人に抱きしめられたいと希っていることを認識している。そして、抱きしめられたいという願望を果たしたいと念じている。この願望と認識が、わたしが生きていることの証拠となり、わたしが絶えずわたしになることの契機となる。
振り向いてごらん
頂へと向かう 峰の小屋から
振り向いてごらん
雲の上に続く 白い梯子から
青く澄んだ湖が
黄金色の田や畑が
見えませんか
見えませんか
死にたいだなんて およしなさい
甘えないで あなた
生きてごらんなさい
振り返ってごらん
昨日までのあなた 生きて来た道を
振り返ってごらん
昨日までの涙 抱いて来た愛を
胸に染みる優しさが
思いやりの温もりが
見えませんか
見えませんか
死んでやるなんて おやめなさい
恨まないで 愛に
生きてごらんなさい
わたしは、今、生きている。わたしは、ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』のアントワーヌ・ロカンタンが嘔吐しそうになったグロテスクなマロニエの木の根ではない。わたしは、あの人に抱きしめられたいと希っていることを認識している。そして、抱きしめられたいという願望を果たしたいと念じている。この願望と認識が、わたしが生きていることの証拠となり、わたしが絶えずわたしになることの契機となる。


