ブラインドを下ろし、部屋の電気を消す。
 真っ暗な部屋の中でぼくはタブレットを机に立てかけ、プロジェクター機能を使って壁に画像を写し出す。

「なに、これ」

 照らされた函館さんを横目に、ぼくは冷静に真実を伝える。

「これが今の日本地図です」

 そこに映された日本列島は彼女が生きていた時代のものとはかけ離れている。
 北海道はほとんどが水没し、太平洋側の本州も輪郭が海でごっそりと削られている。
 ぼくも歴史の授業で以前の日本列島を見たとき、かつての日本はこんなにも大きかったのかと驚いた。

「半世紀前に起きた太平洋火山の噴火が原因です」

 ぼくは今に至るまでの日本の歴史をざっくりと説明する。
 噴火による地震、そして大津波によって大勢の人々が居住区を失ったこと。
 彼らの移住先として白羽の矢が立ったのは九州だったこと。
 九州では人口増加に伴う都市開発が急速に進み、経済も発展したことから、今の日本の首都はぼくたちがいる博多になっていること。
 それから……。

「ちょっと待って」

 函館さんは両方の手のひらを見せて、ぼくを制す。

「あの、今更な質問で悪いんだけど、私どれぐらい眠っていたの?」
「えっと……」

 ぼくはデバイス上のデータを確認するふりをして、函館さんから目をそらす。

 看護師さん、伝えてないのか……。

 当時、函館さんのように病気の根治が不可能だった患者は未来の医療に望みを託し、コールドスリープという人体を時間経過による老化から防ぐ装置に入った。
 長い眠りから覚めた患者に過ぎ去った時の流れを説明する時、ショックから取り乱す場合が多い。

 だけど、患者のケアをするのがぼくの仕事だ。

 ぼくは小さく覚悟を決めて、改めてカルテを確認する。
 函館さんがコールドスリープに入ったのは二〇二二年。つまり。

「九十七年です」
「え?」
「函館さんは九十七年間、眠っていました。今は西暦二一一九年です」
「そっ、か……」

 函館さんは一瞬目を見開いたが、すぐに受け入れたのかそのまま窓の外を眺める。
 取り乱さないのか、とぼくは静かに緊張を解き、説明を続ける。

「函館さんは東日本大震災って知っていますか?」
「知ってるもなにも。まぁ小さかったからなんとなくだけど」
「この噴火は東日本大震災の約五十倍の被害だと言われている」
「五十、……倍?」

 地震による建物の倒壊や、土砂崩れ。そして津波とライフラインが停止したことによって亡くなった人も大勢いたが、それ以上に多かったのは、行方不明者だった。

「それをきっかけに生まれたのがLCT。簡単に言えば人の寿命を計算する人工知能だよ」

 タブレットをデバイスと接続し、壁に投影さえる小さな日本地図の画面からぼくのLCTの画面へと切り替える。
 真っ青な画面には白い小窓がいくつも羅列されており、そこにはぼくの名前や生年月日などあらゆる情報が表記されている。

「その人の遺伝子情報から今後発症する病気や、生活環境から予測される事件や事故、または災害に遭う確率までを総合的に判断する。言ってしまえばその人の未来の予測ができるんです」
「未来の予測って。そんな占いみたいな」

 函館さんの言葉を聞いて、ぼくは大昔の小説家を思い出す。
 小説家曰く、高度に発達した科学技術は魔法と見分けがつかないという。
 百年前に生まれた函館さんにとっては、ぼくには当たり前のLCTも非科学的でスピリチュアルなものに思えてしまうのだろう。

「LCTが寿命を外したことは過去にありません。まぁこの世に絶対はないから『何千兆分の一』とかって表現されるけど」

 ぼくはなんとなく画面をスクロールしていくと、途中で函館さんが「あ」と声を漏らした。その画面にはあなたの余命という欄が表示されており、はっきりと「一年」と表記されている。

「……病気、なの?」
「わかりません。LCTは死の原因までは教えてくれないので。ただ、ぼくは一年後に死ぬってだけです」

 ぼくはタブレットを閉じ、締め切ったカーテンを開く。部屋の中に突然、強い昼間の陽光が飛び込み白い病室を輝かせる。

「じゃあこれから、函館さんもLCTに登録するために手続きを」
「いや」

 函館さんはぼくから顔をそらす。ぼくは函館さんの行動の意味がわからなかった。

「どうしてですか?」
「当たり前でしょ。余命なんか知ったら楽しく生きられないじゃん」
「余命を知っておくのはいいことじゃないですか。自分の人生を後悔なく生きることができるし、家族や大切な人が突然深い悲しみに突き落とされることもないですし」
「家族も大切な人ももういないから」

 函館さんは感情のない声で呟いた。

 しまった。

 長期のコールドスリープから目覚めた人に対して、家族や友人に関する話をする際は細心の注意を払うべきだ。
 なぜなら見知った相手が見知らぬ老人になっている場合や、大概はすでに亡くなっているからだ。
 罪悪感で心臓がぎゅっと苦しくなるが、函館さんは「それにさ」とやけに明るい調子で続ける。

「人は明日死ぬかもしれないから、頑張って今日を生きるんでしょ」

 春の日差しを受けてほのかに輝く函館美和を見て、なぜかぼくはほんの少しだけムカついた。

「……前時代的な意見ですね」
「百年前に生まれたので」

 ぼくの嫌味を知ってか知らずか、函館さんは片方の口角を釣りあげ、ニヤリと笑ってみせた。