星々の内緒話が聞こえそうなほど静かでも、眠れない夜がある。疲れて心身共にヘトヘトになっても、思うように感情が表に出てきてくれない夜がある。やりたいことやらなきゃいけないことが並行して、やりたいことが出来ない夜がある。
 家に帰って、全てを床に放り捨てて、ベッドの上に寝転がると、自分が起きているのか寝ているのか、境界線があやふやになってしまう夜がある。これが夢なのか現実なのか、分からなくなってしまう夜がある。
「やあやあお疲れ様」
「流石に、これは夢かなあ」
 ベッドに腰かけている私の目の前には、正しく、魔法少女と呼ばれるような格好をしている十二歳くらいの女の子がいた。
 ピンクでフワフワなスカート衣装に、杖先に星がついていてパステルピンクのリボンで結ばれた夢かわなスティック……多分だけれど魔法の杖を持って。室内なのに可愛らしい丸みを帯びたつま先のヒールを履いて。確か、私がとっても幼い頃に「大人になったら何になりたい?」という問いかけに対して、『こうなりたい』と答えてしまうくらいに憧れていた魔法少女ではないだろうか。当然夢が叶うわけもなく、私は大人になってしまったわけだが。そんな魔法少女の格好をした女の子は、こちらに満面の笑みを見せていた。
 流石にこれが現実だったら怖すぎるだろう。不法侵入された、というのも怖いが、私が知らない間に連れ込んだ、という事実だったとしても怖い。どうか夢であってほしい、夢であってくれ。
 額に手を添えていると、目の前の少女は首を傾げて、少し伏せえている私の顔を覗き込んでくる。
「あれ? こうした格好、好きじゃなかった?」
「魔法少女が好きだったのは、小さい頃だよ……」
 今は、昔ほど好きなわけじゃない。アニメや漫画として、大人でも楽しめるジャンルではあるかもしれないが、私は特別に好きという訳では無いのだ。可愛らしいな、と思う程度で。
 小さく息を吐くと、少女は「そっかそっか、もうそんな歳なのか」と頷いていた。些か腹が立つ。まるで年増のような言い方をするじゃないかこの魔法少女は。
 少しだけ苛立ちを露わにすると、少女は笑顔で謝りながら、私の隣のスペースに腰掛けた。
「えへん、私こと魔法少女いちごはあなたを助けに来たのです」
「助けなんていらないですよ……」
 また可愛らしい名前で。小さい子が、ごっこ遊びをする時に自分に名付けるような、そんな名前で。そんな彼女は助けに来てくれたみたいだけど、私は別に助けを求めていたわけではない。小さく息を吐いて、来てくれたことには感謝を、けれど必要ないのでお引取りを、という大人の対応で言葉を返す。
 だが、隣の少女は些か諦めが悪かった。小さく頬をふくらませて。「じゃあ勝手に助ける」と言う始末。
「最近つらいとかしんどいとかない?」
「あるよ。大人だもの。だけど、大人だから我慢しなくちゃ」
「何で大人になったら我慢しないといけないの?」
「君にはわからないだろうけどね」
 もう嫌だも逃げたいも怖いも言えない日々。失望の眼が怖くて悪いか、呆れられたくないと見栄を張って悪いか。だから必死に走り続けて、何度転んで怪我もして、じくじくと痛む膝と心からは血は流れ、それでも脚を止めることは許されなかった。
「大人は頑張らないといけないのです」
「ふんふん、大変だったねえ」
 女の子は、よしよしと私の頭を撫で始めた。
「大人だからって全部を我慢しなくても良いんだよ。辛い時は辛いと言って良いし、無理に笑わないで良いのだ。頑張らなくても良いのだ。無理をしないでも良いのだぞ」
「そんな簡単に言わないでよ」
「案外この世界って許してくれるよ。吃驚した? 君は十分頑張ってる。だからねえ、良いんだよ。誰かを頼ったり、寄りかかってみても」
 少女はまるで親が子に言い聞かせるように……というよりは、年上のお姉さんが幼子に言い聞かせるように、ゆっくり少しずつ言った。その言葉は、私の胸に優しく響いて、じわりと何かを温めた。
彼女は夢かわな杖先をこちらに向けて、くるくると回し始める。今時の魔法少女は強引なんだろうか。
「ええと、なんだったかな。びびでばぶ~だっけ」
 呪文も曖昧とは恐れ入った。もしかしたら、これが夢だから、私の魔法少女としての知識があまりにもないから、ここまであやふやなのだろうか。そうなると、少女に申し訳なくなってきたぞ。
 それでも、彼女が杖をクルクルと回して呪文を口にすれば、キラキラと細かい光の粒が、まるで天の川のようにして私に向かってくる。そのまま私の顔の周りをクルクルと回ると、何かが混み上がってくるような感覚がくる。
 ぐ、と胸が締め付けられるように苦しい感覚がして、つんと鼻の中が少しだけ痛くて、目先が熱くなる。まるで、今から泣く前兆だった。
 魔法で泣かされてしまうのか、と思っていると、ぽろぽろと目からこぼれ落ちてきた。
 やれやれ、魔法で人を泣かす魔法少女だなんて、前代未聞だ。
 こぼれ落ちてきたものを拭おうとするが、拭うために擦り付けた手の甲が一向に湿らないし濡れない。
 はて、と首を傾げる。
 なんと、こぼれ落ちてきたのは、湿って濡れる塩辛い雫の涙なんかではなく、色とりどりの可愛らしい金平糖だったのだ。
「え?」
「うんうん、沢山沢山出てくるねえ」
 そう言いながら、隣の少女は私の目からこぼれ落ちてきた金平糖を一つ摘んで、そのまま口の中に放り込んだ。
「これはねえ、悲しみの金平糖と言ってね。魔法をかけた相手の悲しみを食べてあげるのだ。ちなみに金平糖なのは私が好物だからだ」
 人の目からこぼれおちたよく分からない金平糖を食べられて、ぎょっと目が開かれる。流石に大丈夫かと問い掛けようとすれば、彼女は、ふむふむと頷きながらぽりぽりと音を立てて金平糖を口の中で転がして舐めて、少しだけ噛んでいた。
「うんうん、優しい味がする。君は相変わらず優しい子に育っているんだなあ」
「はあ?」
「こちらの青いのはどうかな? ふむふむ、どうにかしたくてもできない、悲しい感情がするのに優しい味がするなあ」
 まるでテイスティングをするように、一つ一つを口に運んでは、こんな味がすると口にしていく。私はそれをただ見守ることしか出来ない。
「おやおや、これは寂しい味がする。こっちは我慢の味もする。だけどやっぱり甘くて優しい味がするなあ」
 頷きながら、優しい優しいと口にする少女の表情こそ、その言葉が似合うような気がした。
「ふ、ふふ。何それ」
「ああ美味しい。優しくて愛おしい、大好きな味がする」
 少女は何度も美味しいと言っては金平糖を食べる。本当に金平糖が好きなんだなと思った。
「沢山の気持ちを抱えていたんだね。少しは軽くすると良い。大丈夫、私が残らず食べてあげるからね」
 そう言って、彼女は言葉通り私から作り出される星々を、それはもう美味しそうに食べ尽くした。まるでリスのように頬を膨らませながら食べる姿は、何だか幼くて可愛らしかった。
 全部食べ終わり、私の涙も金平糖になることがなくなると、彼女はうっとりするような顔で優しく微笑みながら、口元をハンカチで拭った。
「……ありがとね」
「良いの、私はただ君に会いたくて、金平糖を食べたかっただけだから。いやあ、とっても美味しかったよ」
 心の中に存在していた邪魔なものが、すべて無くなったようにすっきりとした気分だった。きっと、この魔法少女のおかげなのだろう。
「それじゃあ、私はそろそろ帰るね」
「もう帰るの?」
「そう、もう朝になるからね。よかったら、今度は君が会いにきてね」
 それだけ言って、彼女が今一度杖を構えて、天井に向かってくるくると回した。
 呪文何だったっけ? と私に問いかけてくるのはどうかと思うけれど、何とも愉快で可愛らしく、何だかんだで心強い魔法少女だと思ったのだ。

 目が覚めたら、カーテンの隙間から光が漏れていた。
 ぱっちりと目蓋が開かれて、むくりと何の苦もなく体が起き上がる。思わす後ろ頭を掻くと寝癖がついていて、さっきまでのは夢で、今は現実なのだと実感させられるような気がした。
 不思議な夢だった。ところで何で、あんな魔法少女が助けてくれたのだろう。魔法少女の姿を思い浮かべてみると、違和感。あの子は、私の知っている、幼い頃に見ていた魔法少女の顔ではなかった。つまり、別の少女が魔法少女の格好をして私の前に現れたということになる。
 側から考えれば少し恐ろしい事実にたどりついてしまったが、夢の中に出てきた少女の顔を思い浮かべれば、小さく声をこぼしながら笑みが浮かんだ。
 即座にスマホを取り出して、会社の上司に連絡をつけた。「体調が悪いので休みます」と。上司は何か言いたげな雰囲気だったが、押し切るような勢いで電話を切り、スマホを放り投げた。
「お土産に金平糖でも買って帰ろうかな」
 ベッドからおりて、とりあえず外出用の服を選び、着替えてから再びスマホで相手を呼び出した。
「……お母さん久しぶり。うん。急だけど、ちょっと今日寄っても良い? うん。姉さんに礼を言いたくて。仏壇ってさ、金平糖、大丈夫だったっけ」
 冷蔵庫を開けて、朝食を吟味する。お礼をしたいとはどういうことだと問われたけれど、思わず笑い声が溢れた。
「姉さんがね、当時私が憧れていた魔法少女になって、私を助けに生きてくれたのよ」
 そう、幼い頃、私が幼稚園で姉さんが亡くなった小学六年生の時、私が大好きだった魔法少女。姉さんは、私が好きだったものを覚えていてくれてはいたようだ。
「綺麗な星を、いっぱい見せてくれて、勇気をくれたの」
今回は魔法少女として来てくれたけれど、姉さんは昔から変わらない、私の憧れだったんだよ。それと、助けてくれてありがとう。大好きよ。今なら照れ臭いことも、言えそうな、そんな気がした。