あの日、桜の下で交わした約束

 映画に行くことになり、イタリアンのお店で昼食を済ませた後、映画館へ向かった。
 2人が共通して好きなシリーズ物の映画が公開している時期だった。
 映画を観終わり、カフェでのんびりとしながら、映画の感想を口にし合った。2人とも、よかったよねと思うシーンやあれは感動すると思うシーンは同じだった。話していて分かったことは、お互いに、既にその映画を観たことがあるということだった。好きなものだから何度観てもいいよね、と笑い合った。
 ゲームセンターやカラオケに行き、辺りが群青色に染まってきたので、ごはんに行くことにした。昼食はイタリアンのお店に行ったので、夕食は和食のお店に入ることにした。
 食べ終わり外に出ると、空は彩度の低い青紫色のような、暗い色になっていた。都心の街中は明るかったが。
 お互いに次の日からまた仕事があるので、帰ることにした。
 家に着いた頃には、日付が変わろうとしていた。
 電車の中でも、ずっとメッセージを送り合っていた。
 1日以上も濃い時間を共有し合うと、離れることが寂しくなってしまう。涙を堪えながら、メッセージのやり取りを続けた。
 駅の改札まではずっと手を繋いでいた。もう離したくないと思う程に。

 例え、周りに認められなくても、批判されても、好きに生きたい、好きでいたいと思った。

 この幸せがずっと続けばいいのに、と。



 *

 その後も何度も会ったり、出かけたりした。カップルとして考えたら何も問題のない行為だと思う。友達でも問題のない行為しかしないのだから。

 同性というだけで、恋人がいると言っても馬鹿にされ、非難の目で見られる。
 何故いけないのか。答えはなんとなくしか解らなかった。
 どうして、同性愛者、両性愛者はここまで存在否定をされるのか。
 この少子化の中で、子孫を残せないことが問題なのか。ただ単に、気持ち悪いからなのか。
 確かに昔は同性愛なんて考え方はなかった。だからこそ、今のお役所や政治家の方々には理解されないのだった。

 2人でならば、どんな非難にも耐えられ、困難にも立ち向かっていけると思っていた。

 やはり、たくさんの壁が立ちはだかった。
 一番痛かったのは予想通り、周りからの目線や心無い言葉だった。瑠那は耐えきれなくなった。