幼少時のその年の大晦日は、身重の母が体調を崩し関西の実家に帰省していて不在だった。長男の私を産んだ後、母は2度流産を経験していて、やっと順調に臨月まで漕ぎつけた母に、祖母が救いの手を差し伸べた。と後年述懐した。
 父は暴力を振るう人だった。幼心に恐怖心と、絶えず緊張していたのを鮮明に覚えている。金遣いが荒く、女癖が悪かった。
 子供心に、母の泣き叫ぶ声に耳を塞ぎ、父による母への日頃の憂さ晴らしが始まると、押し入れに逃げ込み唇を噛み締めながら、嵐が過ぎ去るのを待った記憶が意識の片隅に残っている。
 運命の大晦日の前のクリスマスの日、湯船に浸かっていると玄関の鍵が解錠され父以外の人物の声を耳にした。
 入浴を済ませ、食卓へ向かうと、父の姿はなく、テーブルの上にケーキの箱が置いてあった。私はその箱を、毎年、父が帰宅する前の夕刻早い時間に母から提示されてでしかお目にかかったことはない。父がそういう気遣いを家族に施すのは皆無だった。私は、息子の私へのクリスマスプレゼントだと思い、箱に手を伸ばした。
 その時だった。父が見ず知らずの若い女性と食卓に現れた。女性は、私が見慣れた母が普段着用している普段着を身に纏っていた。
 
 父は私の胸倉を掴み、「なに勝手に触っているんだ! 勘違いするな!」
 と激高し、私を冷蔵庫と戸棚に立て続けに押付けながら数回叩きつけた。
 咄嗟に、同席していた女性が仲介に入ってくれたが、真剣に介入したわけではなく、うわべだけでそうしていると、子供の素直さからくる観察力から直感した。
 私は早く床に就くよう促され自室に籠った。
 
 夜中トイレに立った。自室からトイレに向かう途中とその帰りすがら、女性の呻き声が、澄み切った冬の空気の中で支配された静寂を切り裂いてしまう程に何度となく響いた。

 翌朝、私が起きると、父も女性ももう居なかった。
 私は今まで感じたことのない感覚、追々年齢を刻む毎に、その感覚は嫌悪感だったと今では自認できるが、当時はただ得も言われぬ吐き気を催すような感覚が私の全身を駆け巡っていた。

 母に連絡を試みた。だが、それまでと同様、祖母が私に対応した。
 返答は同じだった。「今お母さんは具合を悪くしてるの。もうすぐお兄ちゃんになるのだから、お母さんが居なくても頑張りなさい」と・・・

 以来、私はもう逝去した祖母と今現在、痴呆気味な母を、心底では信頼を置いていないと、時々、別の自分が私に呼びかけている。

 大晦日の夜、私は、独り炬燵の中でうたた寝をしていた。蜻蛉のような幻想をみていたのかもしれない・・・しかし強烈な痛みとそれから延々と続く、心の中のシコリが今でも消えることなく私の中を充満している。
 
 年の瀬も押し迫った時間だったと記憶している。
 
 私の髪の毛を撫でる掌を感じた。うつらうつらした中で、男の姿が映った。
 私は咄嗟に目を瞑った。嫌な予感めいたものがよぎった。
 男が立ち上がり、椅子に座る音がした。
 薄目を開けて目前を確認した。
 ビールを注ぐ時の独特の聞き覚えのある音がした。
 父はいつも帰宅後必ずビールを欠かさず飲み干す人だったので、音は私の耳奥に逃げ場はなく、こぶりついていた。
 私は再び目を閉じ、体を硬直させた。出来るだけ丸みを帯び、冬眠する動物のような気持ちで、想定される出来事から自分の身を護ろうとした。

 父が泥酔して帰宅した後、自宅でビールを飲んだ日は決まって母の泣き叫ぶ声や呻き声を耳にした。もうこの時すでに、私は心の中で泣き出した。

 暫くすると、男が忍び寄る気配が漂い、私の真上を覆う感覚が迫って来た。

 私は肌の寒気を感じると同時に苦痛と悪寒が私を襲った・・・

 除夜の鐘が鳴り出した。

 男がせせら笑った笑い声は、私の中に棲み付き消え去る事はない・・・

 鐘が一つなる度に、私の体内を激痛が襲った・・・

 朝を迎えた時、私は、肉体は残存しても、精神はこの世になかった・・・


 私は後年、自らの殻に閉じこもり、社会との関係性を絶った。
 人間性を徐々に回復したのは、二十歳も過ぎ二十代半ばになってからだ。
 それでも、同志と巡り合うまで、誰にも本心を垣間見せることは皆無だった。

  
 拝殿で参拝を済ませた後、社務所で同志と二人分の『延命長寿のお守り』を購入した。那智の滝の滝壺から汲み上げた水が収められたもので、「これを身に着けて滝壺に向かおう」と僕が提案した。
 同志は少し笑いながら、「それなら、滝に行った時、自分で水を汲み上げて持ってかえればいいのに。お金かからないし」と意見を述べたが、僕の提案に準じてくれた。
 
 神にもすがる思いで、同志の中で微かに灯る灯を絶やさぬよう考え付く最善を尽くした。でもきっと、同志をこのお守りの所有者として、この世で最も短命の人にしてしまった。と、後年、切なさが月日を増すごとに堆積していった・・・

 神社を後にする前に、僕は同志を、大樟(おおくす)と呼ばれる『胎内めぐり』
に誘った。
 樹齢約850年・樹高27メートルの樹木の空洞した幹の中に、護摩木または絵馬に氏名と願い事を記入したものを手にして、潜り抜けるものだ。

 同志は参拝最後のこの趣向をことの他興奮し、素直に喜んだ。この時の同志の表情はお花畑の中をウキウキしながら飛び跳ねる少女のようだった。
 初めてかもしれなかった・・・無垢な子供のような表情と自分の行動を楽しんでいる同志の姿を見るのは・・・

 胎内めぐりを終え、石段を降りていた時、同志がフイに僕に告げた。

 「これあげるよ。受け取っといて」
 と言って、胎内めぐりで手にした絵馬を手渡された。
 同志は絵馬を手渡すと、先を急いだ。
 私が絵馬を垣間見ると、願い事として記入したと思われる文字が眼に飛び込んで来た。この文字は、その後常日頃すぐに記憶を呼び起こさせる程、私に強烈なインパクトを残した。

 「あなたが、自分で自分を虐めないように」

 同志の後ろ姿は少し肩が揺れ、背中越しに笑っているように見えた。

 僕は同志を追い駆けると、追いつくと同時に、

 「帰りに、ラムネ飲んで帰ろう。きっと『一番』の旅の話をする時、あの時、ラムネ飲んだねえって、懐かしく思い出すと思うよ」

 「ヒリヒリする喉の感覚と風鈴の音色と蝉の声。皆懐かしく思えるかも」
 と僕は微笑みながら答えた。
 ただ、急に心の内を襲った焦燥感が、同志に見抜かれていなかったかは、自信がない。
 
 何気なく、無言で横に相並びながら順繰りに石段を降りている時だった・・・

 同志が、フッとよろけたかと感じた瞬間、ガクッと膝から崩れ落ちた。

 僕は石段の途中で咄嗟に体ごと同志をキャッチしようと試みた。

 同志は目は虚ろで口を手で覆っていたが、鈍い音がすると同時に何か吐き出したようだった。僕は両手の掌で水を汲むように、同志の目の前に腕を差し出した。

 同志は首を左右に振る仕草を見せたが、すぐに嗚咽を繰り返した。

 遠くで雷鳴が轟いた。
 辺りが徐々に薄く暗闇出した。
 雨がパラついた。

 真夏の熱気を押しのけるような冷風が肌を通り抜け、体感温度を急激に下げた。
 
 私の手首のあたりにどす黒さを含んだまったりとした赤い飛沫が点々と横たわるようにへばり付いていた・・・

 足元を見ると、ゆっくりと角張った石段を滑り降りていく真っ赤な濁り水のような液体が石段の表面に放射状に拡がっていった。

 私の腕の中で同志が目を伏せ殆ど無表情で、蝋人形のように身動きもせず、時間の感覚も皆無だった。
 私は声すら喉を通らず、胸の中で同志に叫び続けていた。
 それは状況こそ違えど、幼少期に遭遇した大晦日の夜と同じ怯えを私に与えていた・・・

 同志と私の旅は終わった・・・

 後日、同志とご主人はかなり前に、戸籍上夫婦ではないことが私の耳に届いた。
 しかし、その時すでに、同志のご主人は既に存在していなかった。

 
 私は、いま、那智の滝の滝壺の麓で、上空から舞い降りてくる絶え間ない水の流れを見つめ、その流れが生み出す音色に耳を傾けている。

 そう、同志がしたかったと・・・目の前に繰り出される偽りのない神聖な空間の中で神秘的な体験にその身を投げ出し、一人ひとり個々に感じる・・・それこそが同志にとって必要なものであると、そう、囁いている声が私に響いた気がした。


 (了)