僕はその時──というか今もだが──、新種の花を開発する仕事に携わっていた。
なぜこうなったのか自分でも不思議なぐらいなのだが、何故か僕にはこの仕事の才能があったらしい。
そして、理夏の話を聞いて驚いた。
「私は、お花屋さんやってるよ! 子供の頃からずっと夢だったんだ。凄いでしょ!」
そうやって無邪気に笑える彼女がとても羨ましかった。
と同時に、生まれて始めて“運命”というあやふやな存在を明確に感じた。
花を創る僕と、花を売る理夏。
彼女に関しては小さい頃からの夢だったみたいだが、僕はそんなの全然知らなかった。 そもそも、花の名前もろくに知らなかったほどで、気付いたらこの職に就いていた、って感じなのに。
でも、目指していたものじゃないからこそ、余計に何か非現実的な何かの気配を感じずにはいられなかった。
なによりも、時間を忘れるぐらいとにかく喋りまくって分かった確かなこと。
それは……シンプルに、僕と理夏はもの凄く気が合う、ってこと。
何時間でもひたすら話し続けることができて、価値観も似通っていて、お互いの見た目も気に入ってる……そんな2人が付き合うのに、時間がかかるわけがなかった。
最初は普通の恋人同士だったが、お互いに“もっと一緒にいたい!”という気持ちが抑えきれなくなり、早々に同棲することになった。
そのまま結婚しても良いと本気で思ったが、さすがに時期尚早すぎるだろと自重。
……が。
奔放な理夏は、ごく自然な流れで結婚に関する話を振ってきた。
「ねえ、結婚したら家事の分担どーする? 私、掃除好きだから掃除大臣やる!」
「オッケー。そんじゃ、僕は料理大臣だな。理夏に任せたりなんかしたら、腹がいつまで持つのやら……」
「ちょっと順平! それは失礼発言じゃない? 私のミスなんて砂糖と塩を間違えちゃったり、フライパン使ったら確実に焦がしまくったり、お皿に乗らないほど大量に作り過ぎちゃったりするぐらいなもんで……って、やばっ! お腹持ちそうにない! 順平正解!」
なんて、いちいち笑わせられたり。
「子供の名前どーする? キラっちゃう? それとも無難系? あっ、やっぱ私たちの子なら、花の名前を入れたいよね!!」
「パパ、ママ、じゃなくてずっと下の名前で呼び合いたいな~」
「順平と喋ってる時が1番幸せなんだから、おじいさんおばあさんになっても喋りまくるから覚悟しといてよね!」
などと、無邪気に話しかけてくる理夏。
人によっては、それを重く感じてしまったりする場合もあるのだろうが、僕は結婚するなら理夏以外考えられないって思っていたので、そんな会話を普通にニヤニヤしながら楽しんでいた。
少なくとも、彼女が“いつでもOK”なのは間違い無い。
それに関しちゃ僕も同じなのだが、理夏が好きだからこそ、彼女との結婚に対して真剣に向き合っていた。
幸せな結婚生活に必要なものは、現実と愛情の調和であると考えた僕は、自分の中であるハードルを設定した。
それは、僕がリーダーとして開発に携わっている新種の花〈ロンガヴィタ〉の完成。
ある画期的な特徴を持つ花、正直かなりの強敵なのだが、開花予想CGを理夏に見せたとき「めちゃくちゃ綺麗! 完成したらうちの店に置かせてね!」と大はしゃぎする姿が今も瞼に焼き付いている。
その高いハードルを越えたとき、僕は理夏にプロポーズする。
本当に自分勝手で何の根拠も無いものだけど、それを成し遂げた時、僕は心から本気で「理夏を幸せにするよ」と言えるような気がしていた……。
──そして現在。
僕と理夏はまだ結婚していない……どころか、別れの危機に直面していた。
気持ちが冷めたわけでも無く、浮気をしただの、性の不一致だのでもない。
ロンガヴィタの開発は順調に進み、奇しくも今日、ついに試作品第1号が完成し、通常環境で花が咲くかどうかを確認するため、種を家に持ち帰ってきた。
しかし、その家に理夏はもう居ない。
その理由は……特定ヒトアレルギー症候群。
数年前に初めて発見された新種の病。発症頻度は数千万人に1人という、治療法の手がかりすら掴めていない難病に、理夏が蝕まれてしまった。
その症状は『特定の人間と一定時間近くに居るだけで死んでしまう』という恐ろしいもの。
1番身近な人が発病の対象になることがほとんどで、別名〈離恋病《りれんびょう》〉とも呼ばれていた。
そして、理夏にとってその『特定の人間』が僕、という残酷な現実。
つまり、大好きな理夏のそばにいるだけで、この僕自身が原因で彼女を死に至らしめてしまう。
その上、特効薬も治療法も何も無い、不治の病と言われていて……。
「『近くに居るだけで』ってどれぐらいの距離なんですか!?」
日本でも数人しか居ないという、離恋病の研究をしている医者の1人と話をしたとき、思わず興奮して詰め寄ってしまった。
「それは彼女の体調や病気の進行状況によって変わります、としか言えず、本当に申し訳ありません」
先生は優しく答えてくれた。
「気休めにしかならないかも知れませんが、これを使ってみてはどうでしょうか」
そう言って、先生は一対のブレスレットを手に取ってみせた。
銀色に光る、2つの輪。
1つが送信機で1つが受信機。
離恋病の発症者が送信機を身に付け、アレルギーの対象となる人間が受信機を身に付ける。
すると、送信機側のブレスレットが発症者の症状をリアルタイムでチェックし、悪化の兆候が出始めると受信機側に警告動作(バイブレーション)を促す。
つまり、僕が少しずつ理夏に近づいていき、ブレスレットが震えた場所。
そこが僕たちの境界線……ってわけだ。
病気が発覚してからしばらく、理夏は今まで通り僕と一緒の家に住み続けていた。
向かい合って食事をする距離でも大丈夫だったが、隣り合って皿を洗おうとするとブレスレットが激しく震えた。
距離を取ろうとする僕に対し、理夏は「やだっ! こっち来て!」と無理矢理腕を引っ張ろうとする。
僕だってもちろんそばに居たかったが、理夏が死ぬのはもっとイヤだったので、そっと距離を取る。
「やだよ! 順平ともっと近くに居たいし、キスしたいし抱きしめたい!!」
あんなにずっと笑いっぱなしだった理夏が、泣きながら何度も何度も叫び続ける。
僕だって全く同じ気持ちなのに、そうしてやれないジレンマで心が押しつぶされそうになった。
その辛さに加えて、近くに居ることで離恋病の症状が進行して2人の境界線がどんどん広がって行く、という現実的な理由から、理夏は実家に戻ることになった。
幸い、僕に近づくことさえしなければ、理夏の体は全くもって健康そのもので、日常生活はもちろん、仕事も今まで通り問題無く続けられた。
だとすれば、僕が理夏を幸せにするために出来ることはたったひとつ。
このまま……彼女と距離をとり続けること。
もっと言えば、彼女と別れて──。
ブルブルブルッ。
突然、右手首のブレスレットが激しく震えた。
「ま、まさか……!?」
この振動は、理夏が境界線の中に入ったという証。
僕はいま、静かなリビングのソファに1人じっと座りっている……と言うことは、理夏がここに近づいて来てるのか!?
ブルブルブルッ。
振動が収まらない。
とにかく急いでこの家から出よう……い、いや、そうすることで逆にもっと理夏に近づいたらどうする!?
もしかしたら、たまたま境界線の中を間違って通り過ぎただけかも──。
ブルブルブルッ!
ブルブルブルッ!
ブレスレットの震えがどんどん激しくなっていき──。
ガチャッ。
玄関の扉が開いた。
「……理夏!」
「順平!!!」
廊下の向こうに理夏の姿が見えた。
呆気にとられる僕に向かって、理夏が全速力で駆け寄ってくる。
ブルブルブルッ!
ブルブルブルッ!
ブルブルブル……ピー!!!
ピーピーピー!!!
今まで聞いたことの無い警告音がけたたましく鳴り響く。
気がつくと、僕たちは強く抱きしめ合っていた。
「理夏! 今すぐ離れないと……理夏が……」
「やめて! 離れないで! もう耐えられない! 順平から離れたら私の心が死んじゃうよ!!」
理夏は号泣しながら耳元で叫んだ。
「でも……このままじゃ……」
僕も泣きながらそう呟いてはいるものの、両手は言葉に反してギュッと理夏を抱きしめたままだった。
加速度的に激しさを増す警告音。
このままでは、理夏を殺すことになってしまうのが分かっているのに、離れることが出来なかった。
頭では、無理矢理にでも彼女を振り払って廊下を走り、家の外に飛び出して、とにかく少しでも遠くに離れなければ……と思っているのに、心がそれに従わない。
僕たちは泣きながら、ずっとその場で抱き合っていた。