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私が、自分の余命が残り1年ほどであると知ったのはそれから一週間後のことだった。


夜両親にリビングに呼ばれて説明された。


体が大丈夫な限り学校へ通うことはできる。


だけど絶対に無理をしないこと。


なにかあったら、すぐに病院に連絡することを約束させられた。


平塚くんが転校してきたのは、そんなことがあった2ヶ月後のことだったのだ。


「イト」


母親の声がしてテレビから視線を向けた。


「これ、さっきクラスの平塚くんが持ってきてくれたわよ」


そう言って渡されたのは数学のプリントだった。


「そう」


短く答えて一応は受け取る。


でも、もう私にはプリントなんて関係ない。


勉强したって無意味だし、どんな学校行事にも参加できない。


バレーボールがぶつかったあの日から、私は1度も退院できていなかった。


ボールが当たった衝撃が原因なのではなく、心身から来る疲労だった。