「さよなら。不法侵入者さん。最後まで精いっぱい抗えたかしら?」
私は右手をひらひらさせながら、車に押し込まれる男を見下ろしながら鼻で笑った。
「手厳しいですね。ま、そういうところが好ましいと言いましょうか。また、絶対会いに来ますね。」
男は少しも反省している素振りもなく大人しく車に乗り込んで去って行った。
「二度と来るな!」
私は、車の後ろに向かって、吐き捨てるように言い放ち、アパートの自分の一室に戻る。
大変無駄な時間を過ごしてしまった。
おかげで大学の講義には間に合いそうにない。まったく、迷惑なだけであった。
そもそも、こんな無意味な時間を過ごしてしまう羽目になってしまったのは、遡ること30分前。私の安眠を妨害されてしまったことまで思い出さなくてはならない。
「これは、非常に言いにくいことなのですが、あなたの命は残り30分です。」
研究者のような白衣をまとった男が、懐中時計のふたをパタンと閉じる。
男は、20を1つか2つ超えたくらいの年齢で、理知的な研修医といった風貌であった。上品できっちりとしたメタルフレームの眼鏡は、彼の憂いた表情をより際立たせて、より綺麗な美貌を引き出していた。
そんなことよりも超眠い。
昨日は夜遅くまでゲームをしていたせいで、頭がぼーっとする。
寝起きにイケメンの幻をみるなんて、この私もとうとう欲求不満で何かの病気にでもなってしまったのだろうか?一人が寂しいからこんなものを見てしまうのだろう。何やら幻の男は不穏なことを言っていたが、特に引っかかることも無く、私はゆっくりとベッドから起き上がった。いつもの習慣で、洗面所で顔を洗う。少しだけ頭がすっきりしたが、どうも違和感が拭えない。
居間に戻ると、ローテーブルに私の秘蔵のお菓子やら、スコーンやらが並べられ、先ほどみた男が優雅にコーヒーを飲んでいた。
「は?」
私は素っ頓狂な声を朝から上げてしまった。
何、他人の”たけのこのチョコ”を食ってやがるんだ!怒りで眠気なんて吹き飛んだ。
いや私、冷静になれ。
そもそも私は2年近く一人暮らしのプロである。男を家に上げるどころか、彼氏いない歴=年齢のスペシャリストなのだ。
「あんた、だれ?不審者?」
「ああ!私は決して怪しい者ではありません。」
男は慌てた様子で言い訳をしていた。
家に不法侵入した挙句、お気に入りのお菓子とコーヒーを奪ったくせに怪しい者ではない?
「は?十分怪しい要素しかないんですけど。何なの?」
「あなたに余命宣告をするために、参った者でございます。」
「余命宣告?」
「ええ。あなたは25分後天寿をまっとうし、生まれ変わる運命なのです。さあ、やり残したことはありますか?」
こいつは何を言っているのだろう。少しばかり顔が良いからといって言って良いことと悪いことの区別もつかないのだろうか。私に自殺願望はないし、将来はお婆ちゃんになって家族に見送られながら死にたいと思うような死生観を持っているんだが。
25分後に私が死ぬ?何によって?原因は?あり得ないんだけど。
「そんなことを不審者に言われても、信じると思います?だいたい女子大生の部屋に侵入している時点で、信用度はないわよ。あ!もしかして、ストーカー?」
「ストーカーだなんて人聞きの悪い。私はあなたの日々を常に見守っていた存在に過ぎません。これまでも、これからもずっと寄り添っていくつもりです。」
「思いっきりストーカーじゃねえか!」
やはりこいつ、かなり危ない。
おそらく余命あと数分と宣言したのも、強盗する気で侵入し、家主を帰らぬ人にしてしまおうという作戦なのかもしれない。
女が力で男には勝てない。いくらダンスサークルの部長である私でも力比べとなると無理だ。
ここは穏便にお縄についてもらってすぐに引越しをするに限るな。
隙をみて親友にメールを送り、通報を求める連絡を送る。”このままでは、ストーカーに殺されるかもしれない。”と。
「とにかく!そういうことなので、あなたの命は残り25分を切ったと申し上げたのです。」
眼鏡のずれをわざとらしく直すのが何となくむかつく。
早速、我が親友からメールが届いた。無事に警察に連絡をしてくれたのだという。親友も大学の講義を飛び出し、30分以内にこちらに到着してくれるという。
「その言葉そっくりそのままあなたに返すわ。あなたこそ余命25分もないってことをねっ!」
男が私の家に居ることができる時間は、少なくとも30以内に終了する。男の命もそれまでだ。
このように、少し強気になれたのはありがたい。
私はそれまでの時間、この男とつまらない話でもして、男の目的を聞き出さなくては。どうやって侵入してきたのか謎な部分も大きいし。
出席日数が危うい状態の大学の講義があるのに、自宅で犯罪事件に巻き込まれるとは思わなかった。
すると、男は驚いたように頬を紅潮させて言った。
「え?まだ説明もしていないのに同意していただけるのですか?」
同意?何の話だ。自分の都合の良いように解釈するのはストーカーではありがちなのかもしれない。ここは男の思惑を詮索することの方が先に行うべきであったか。
「は?何が。あんたと契約でも約束でも何でもするつもりはない。」
「しかし、25分後に私の命はないとおっしゃったではないですか?」
「ごめん、全体像が掴めないわ。あんたのことを理解もしたくはないけど、なにやら誤解されてるみたいね。ちょっと私にも分かるように説明しなさい。」
「説明する時間も惜しいのですが、分かりました。この先は長いのです。コーヒーでも飲んでゆっくり説明するとしましょう。」
「それウチの家にあるコーヒーなんですけど。」
紳士は無視して、目の前で私にコーヒーを淹れてくれた。
私よりも手慣れた様子で上手に淹れていたのも恨めしく感じる。
「悔しいけど、美味しそうね。それで、不法侵入者さんは何がお望みなの?お金?私の命?悪いけど、どれも渡せないわ。諦めなさい。」
そして、何気にベランダの窓の鍵を開けておく。
「いいえ、いいえ。どれもそそるものではありますが、違います。」
「そそるものではあるんかい。怖いわ。」
「えっと、その言いにくいのですが。あなたの苗字を奪ってもよろしいでしょうか?もしくは私のを奪ってもらっても構いませんが。」
顔を赤らめながら男は自分の懐からリングケースを取り出して、蓋を開けようとした。私は反射的にダンスで鍛え上げた足で、リングケースを素早く蹴り上げて、弾き飛ばした。おお、ごみ箱にホールインワンするとは思わなかった。
我ながらあっぱれ。
「ぜんぜん、まったく、一ミリもよろしくない。」
「どうして……?」
「今まで会ったことも、見たこともないストーカー男と結婚する馬鹿がどこにいるのよ!」
「昔は、顔も見たことのない人同士で結婚することは珍しいことでもなんでもなかったそうですから安心してください。」
「それは、親からの紹介とかお見合い的な、政略的なあれだからノーカンでしょ。いいから話はそれだけ?」
「あなたの今まで生きた証ともいえる苗字、それを奪わせてください。」
「言い直せば良いって問題じゃないんだよなぁ。」
ここまで時間稼ぎをしてきてなんとなく確信は持てないが、男が余命宣告をした理由がわかった気がする。私と結婚し苗字をなくすということが、「今までの私としての人生が終わり新たな人生をスタートさせる」と男が考えているとしたら……。しかし、これを私の口から言うのも気分が悪い。男に喋らせるとするか。
スマートフォンの録音を開始させて私は言わせることにした。
「ちょっと待って!あんた一番最初に言っていた”これは、非常に言いにくいことなのですが、あなたの命は残り30分です。”って言うのは、もしかして……。」
「ああ、察しが良すぎますよ。ええ、そうです。賢いあなたのことであればもうお気づきになっているのでしょう。
私はあなたと結婚し、あなたには私の苗字を名乗ってもらうつもりです。なので今の苗字と名前を名乗れるのも30分以内でおしまい。今までの、お名前を捨て去り新たな人生を歩むのです。これは生まれ変わりと言って差し支えないものと思います。さあ、こちらに名前をお書きください。妻の欄に……ほらっ!」
そういって男は丁寧にファイリングされた婚姻届けを取り出した。きれいな字で書かれた婚姻届けの夫の欄には、男の名前が記されていた。
しかし、思い出せる範囲でも男の名前は知らなかった。一体、こいつはどこで私のことを知ったというのだ。
逆切れされても怖い。
しかし、ここで名前を書くわけにもいかない。極めて冷静さを欠かないように気をつけながらも私は対話を続ける。
「ふ~ん、それなら。もしかしてあんた。この彼氏いない歴=年齢の喪女なら30分以内に落とせるとでも思っていたのね!」
「いやいやそんなことは思っていないですよ。あなたは、美しく魅力的な女性なのに、そんな短時間で私の恋人になっていただくなんて恐れ多いです。ずっと前からあなたのことが好きでした。それだけじゃダメでしょうか?」
「普通にダメでしょう。私、あんたのこと知らないし。」
「そんなのこれから知っていけばいいんですよ。」
幼子を諭すように言い放った男の顔は慈愛に満ち、気色が悪かった。
「随分、焦っているのね。そもそも、どこで私のことを知ったのよ?どうして鍵を掛けたはずの2階のアパートの一室に来れるのよ!不誠実な人と結婚するわけにはいかないわ。」
「その説明も、婚姻届けに名前を書いてくれたら全部説明するよ。」
妙にきらきらと目を輝かせながら男は私に抱擁しようとしてきた。間一髪で私は逃れられた。ダンスサークルの部長じゃなかったら避けられなかったかもしれない。ダンスサークルの部長で良かった。
外からドタドタと足音が聞こえてきた。どうやら親友が間に合ったようだ。ベランダの窓から親友が飛び込んできた。ベランダの窓鍵は開けていたおかげで助かった。
「無事?」
親友が駆け寄ってきてくれた。
「ええ、何とかね。それよりも来てくれてありがとう。」
「無事で良かったぁ。それよりも、こいつの知り合いだったの?こいつ隣のA大学のオカルトサークル代表よ。最近、あなたと婚約関係にあるとか吹聴してて危なかったから、目星つけてたのに。ごめん。」
親友は俯き謝るが私は、これぽっちもそんな情報を知らなかったので、親友の情報力に驚いた。
しばらくして警察が駆けつけてきた。親友は男が不法侵入してきたことを説明して引き渡したのであった。
「いくら空き家とはいえ、無断で入るのは言語道断ですな。この男、最近この近くで空き家に侵入している不審な人物と同一の可能性もあります。ご協力ありがとうございました。」
男は拘束されてパトカーに押し込まれようとしていた。抵抗する素振りも見せずに素直に従う。
私はその様子を見下ろす。
もう二度と来ないで欲しい。
いくら私が食べれないからといっても、秘蔵のお菓子を食われたし。
「私と結婚とかふざけたことを言い出す前に、あんたはただの不法侵入者なのよ。
ま、そもそも私はあんたと物理的に結婚できないけれど。
まあ、いいわ。
それはさておき。余命30分はあなたのことだったようね。いい気味だわ。
さよなら。不法侵入者さん。最後まで精いっぱい抗えたかしら?」
私は男に吐き捨てるように、嫌味ったらしく言い放った。
「手厳しいですね。ま、そういうところが好ましいと言いましょうか。また、絶対会いに来ますね。」
男は少しも反省している素振りもなく大人しくパトカーに乗り込んであっさりと去って行った。
「二度と来るな!」
部屋に親友を招き入れて、まだほのかに温かさの残るコーヒーを勧める。
「それ、あいつが淹れたやつだけど、毒とかは特に入っていないよ。私が目の前で見てたからそれは保証する。」
「ありがとう。もったいないし頂くわ。うーん、美味しい。それにしてもあなたも苦労するわね。」
「そうね。こうなるとは思わなかったわ。いきなり余命宣告されたのよ?」
「いやほんとウケる。」
「それよりも、もう講義間に合わないわ。」
「大丈夫。間に合わなくても。だってあなた死んでるじゃない。」
「ああ、そっか忘れてた。だって一週間前まで平気で大学に通ってたんだもん。ついつい染みついた習慣はなくせないよ。」
一人の女子大生はまだ片づけられていない部屋を見まわして、チョコやスコーンを食べて、幽霊となった親友と向かい合い、笑いあった。