「あら、沙希ちゃん。いらっしゃい」
「やあ、いらっしゃい」
「こんにちは」
商店街の一番隅にある小さなカフェ『海猫堂』に入ると、いつものように郁江さんと誠司さんが迎えてくれた。
海猫堂はもともと小さなバーだったらしく、厨房を囲むようにカウンター席が設けられている。おまけに店内にはBGMが流れていないため、店内の雰囲気はゆったりしている。
初めてきた時は静かすぎる店内が苦手だと思ったけれど、郁江さんと誠司さんの話し声や、料理を調理している音を聞いていると、段々とそれが心地良くなって、つい何度も通うようになった。
それに、おっとりとした郁江さんと、少し天然な誠司さんが作るお店の雰囲気を求めて来るのは私だけではない。休日になると都内の方からたくさんのお客さんが訪れる。
たしか、この前地元の情報誌に『おしどり夫婦が経営する癒しのカフェ』として紹介されていたっけ。
平日だったからか、珍しく他には誰もいなかった。
絵里ちゃんと一緒の時は決まってカウンター席の真ん中に行くけれど、一人の時は一番奥にある一人がけの小さなテーブル席に座る。
でも、今日はほかにお客さんがいなかったし、二人の雰囲気を近くで感じていたいと思ったから、カウンター席に座ることにした。隅っこにするけれど。
席に座ると、誠司さんがコップに注いだ水を静かに置いてくれた。
「今日はお転婆なお友達と一緒じゃないんだね」
「あ、はい。絵里ちゃんは部活の集まりがあるので」
「そりゃ残念。せっかく新作のケーキを焼いたんだけどなあ。今度お転婆さんに会ったら自慢しておいてよ。すっごく美味しいケーキをいただいたよって」
「え……?新作のケーキですか」
「お昼に焼き上がってふみちゃんと試食したんだけどね、これが結構上手くいったんだよ。で、せっかくだから沙希ちゃん達にも食べてもらいたいねって言ってたんだ」
無邪気な少年のようにキラキラした目をする誠司さんを見ていると、私も釣られて気持ちが盛り上がってくる。
誠司さんが郁江さんのことを「ふみちゃん」って呼んでいるから、本当に仲がいい夫婦だなあなんて思う。
正直、誠司さんと郁江さんのような大人に憧れてしまう。私には絶対無理だろうけど。
「食べてみたいです」
「ちょっと待ってて!持って行くから!」
「あ、いつものミルクティーもお願いします」
誠司さんがダッシュでキッチンにケーキを取りに行こうとしたから、私は慌てて注文を伝えた。
「オーケー!いつものね」
キッチンでは郁江さんが鼻歌を歌いながら洗い物をしている。郁江さん達を見ていると、この空間だけ本当に平和だなあなんて思ってしまう。
さて、と。
私は小さく深呼吸してから、カバンからカメラとノートパソコンを取り出す。
今まで撮った写真がメモリーに溜まってきていたから、そろそろ”大切なもの”フォルダに移さないと。ついでに夏休みの宿題もやれるだけやってしまおう。
カメラからSDカードを取り出してパソコンに差し込む。写真加工ソフトを立ち上げたら、さっき駅で撮った可愛い花の写真を見る。雨が降っていたから全体的に暗くなってしまっているけれど、露光量を少し増やせば解決する。花びらの輪郭をもう少しくっきりさせてあげたいから、コントラストも大きくしてみよう。
「はい、お待たせ」
「ありがとうございます」
ああでもないこうでもないと明るさを何度も調整していると、郁江さんがお盆を持ってやって来た。
「紅茶はいつもの砂糖多めのミルクティーね。それと、これが試作のブルーベリーパウンドケーキ。沙希ちゃんはブルーベリー苦手じゃない?」
「はい、大丈夫です。わあ……美味しそう」
小さなお皿に乗せられたパウンドケーキは、表面に小ぶりのブルーベリーが散りばめられていて、中は紫のマーブル状が描かれている。
いかにも手作りといったような形を見ていると、心がほっこりしてくる。
「今年はブルーベリーの苗を植えてみたんだけれど、思った以上に収穫できてね。期間限定にはなるんだけれど、せっかくだから新メニューに取り入れてみようって作ってみたの」
心が揺さぶられたものを写真に収めると決めている私は、気が付くと既にカメラを手にしていた。
「すごいです……!あの……写真を撮っても良いですか」
「ええ、もちろん!」
ミルクティーとパウンドケーキがバランスよく見えるように位置を整えてシャッターを切る。
「甘さを抑えてみたのだけれど、沙希ちゃんみたいな若い子からすればもの足りないかもしれないわね。ぜひ味の感想も聞かせて」
こんなに可愛いケーキにフォークを入れてしまうのはなんだかもったいない気がしたけれど、パウンドケーキの香りを吸ってしまったら、すぐにでもフォークを刺して口に運んでしまいたいという衝動に駆られてしまった。
心の中では「えいっ!」と叫びながら、でも実際はいつもより慎重にフォークを入れる。
一口サイズよりも小さく切り分けた一つを選んで口に運ぶ。
「美味しいです……!」
「本当⁉︎」
郁江さんと誠司さんが同時に言ったから。三人で顔を見合わせて笑ってしまった。
「甘さはどう?」
郁江さんが心配そうに聞いてきたから、私は精一杯自分なりの感想を伝える。
「ジャムのおかげでしっかり甘さはあると思います。それに、ブルーベリーの酸っぱさも感じます。私、このケーキすごく好きかも」
「ありがとう!沙希ちゃんにそう言ってもらえると、とっても嬉しいわ」
「早速明日から新メニューとして加えようか!」
二人ともお母さんより一回りも年上なのに、「いえい」なんて言いながらハイタッチをしている。それを見ていると、やっぱり海猫堂が好きだなあなんて思う。
この時間がいつまでも続くと良いのに。
私はお礼に撮った写真をすぐにパソコンに取り込んで、少し明るく編集してから二人に見せる。
普段は自分が撮った写真を人に見せるなんてことはしないのだけれど、この二人には何かお礼をしたいと思ったから、思い切って見せてみることにした。
「あら、すごい!綺麗に撮れているわね!」
「本当だ!沙希ちゃん写真撮るの上手いね!」
「いえ、全然です。これは少し写真に手を加えていますし」
この二人のことだからと思って予想していたけれど、あまりにも褒めてくれるものだから、慌てて自分で自分を思い上がらせないように否定の言葉を付け加える。
「へー!そういうこともできるんだ!」
「はい、『レタッチ』と言って、撮った写真を編集ソフトで意図的に明るくしたり、暗くしたりしています」
「本格的だね」
「いえ、私なんて、ちょっと明るさを変えているくらいです、プロの人はもっと凄いです」
「写真ってカメラで撮るだけじゃないんだね」
誠司さんが興味深そうに聞いてくれるから、少しだけ楽しくなってきた。
「最近、カメラで撮った景色と目で見た景色は全然違っていることに気が付いたんです。その時良いなと思って撮ったものでも、実際写真にして見てみると、なんか違うなって思うんですよね。でも、レタッチをすると、その時の感動に少しでも近付けられるような気がするんです」
「なかなか良い感性を持っているね。そうだ、この写真、メニュー表に載せても良いかな」
「え……いや、そんな……私の写真なんて……」
私なんかが撮った写真をメニュー表に使いたいだなんて、誠司さんは褒めすぎだと思う。
そうだ、きっと私がケーキのことを褒めたから、そのお返しに言ってくれたんだ。私がすることなんて……
「えっと、もう少し上達してから撮り直しても良いですか」
提案は嬉しかったけれど、これ以上思い上がるわけにもいかないから、やんわりと断っておいた。
「そっかあ。まあ無理にはお願いできないからね」
残念そうな誠司さんの顔を見たら、また少し申し訳ない気持ちになった。
「でも、沙希ちゃんは本当に写真が好きなのね」
「い、いえ、そんなことないです……」
「そう?さっきケーキを写真を撮ってくれているとき、すっごくにこにこしながらカメラを触っていたけど」
「それは……ケーキが美味しかったので、つい。私の写真なんて……」
せっかく話を振ってくれているのに、次々と否定的な言葉で修正しようとしてしまう。ちょっとはしゃぎすぎてしまったかもしれないとか。調子に乗ってしまったように見えてしまったかもしれないとか。
気が付くと、学校にいる時の私に戻ってしまっていた。
「上手だと思うけどなあ。もっと自信持って良いんだよ」
「はい……」
「やあ、いらっしゃい」
「こんにちは」
商店街の一番隅にある小さなカフェ『海猫堂』に入ると、いつものように郁江さんと誠司さんが迎えてくれた。
海猫堂はもともと小さなバーだったらしく、厨房を囲むようにカウンター席が設けられている。おまけに店内にはBGMが流れていないため、店内の雰囲気はゆったりしている。
初めてきた時は静かすぎる店内が苦手だと思ったけれど、郁江さんと誠司さんの話し声や、料理を調理している音を聞いていると、段々とそれが心地良くなって、つい何度も通うようになった。
それに、おっとりとした郁江さんと、少し天然な誠司さんが作るお店の雰囲気を求めて来るのは私だけではない。休日になると都内の方からたくさんのお客さんが訪れる。
たしか、この前地元の情報誌に『おしどり夫婦が経営する癒しのカフェ』として紹介されていたっけ。
平日だったからか、珍しく他には誰もいなかった。
絵里ちゃんと一緒の時は決まってカウンター席の真ん中に行くけれど、一人の時は一番奥にある一人がけの小さなテーブル席に座る。
でも、今日はほかにお客さんがいなかったし、二人の雰囲気を近くで感じていたいと思ったから、カウンター席に座ることにした。隅っこにするけれど。
席に座ると、誠司さんがコップに注いだ水を静かに置いてくれた。
「今日はお転婆なお友達と一緒じゃないんだね」
「あ、はい。絵里ちゃんは部活の集まりがあるので」
「そりゃ残念。せっかく新作のケーキを焼いたんだけどなあ。今度お転婆さんに会ったら自慢しておいてよ。すっごく美味しいケーキをいただいたよって」
「え……?新作のケーキですか」
「お昼に焼き上がってふみちゃんと試食したんだけどね、これが結構上手くいったんだよ。で、せっかくだから沙希ちゃん達にも食べてもらいたいねって言ってたんだ」
無邪気な少年のようにキラキラした目をする誠司さんを見ていると、私も釣られて気持ちが盛り上がってくる。
誠司さんが郁江さんのことを「ふみちゃん」って呼んでいるから、本当に仲がいい夫婦だなあなんて思う。
正直、誠司さんと郁江さんのような大人に憧れてしまう。私には絶対無理だろうけど。
「食べてみたいです」
「ちょっと待ってて!持って行くから!」
「あ、いつものミルクティーもお願いします」
誠司さんがダッシュでキッチンにケーキを取りに行こうとしたから、私は慌てて注文を伝えた。
「オーケー!いつものね」
キッチンでは郁江さんが鼻歌を歌いながら洗い物をしている。郁江さん達を見ていると、この空間だけ本当に平和だなあなんて思ってしまう。
さて、と。
私は小さく深呼吸してから、カバンからカメラとノートパソコンを取り出す。
今まで撮った写真がメモリーに溜まってきていたから、そろそろ”大切なもの”フォルダに移さないと。ついでに夏休みの宿題もやれるだけやってしまおう。
カメラからSDカードを取り出してパソコンに差し込む。写真加工ソフトを立ち上げたら、さっき駅で撮った可愛い花の写真を見る。雨が降っていたから全体的に暗くなってしまっているけれど、露光量を少し増やせば解決する。花びらの輪郭をもう少しくっきりさせてあげたいから、コントラストも大きくしてみよう。
「はい、お待たせ」
「ありがとうございます」
ああでもないこうでもないと明るさを何度も調整していると、郁江さんがお盆を持ってやって来た。
「紅茶はいつもの砂糖多めのミルクティーね。それと、これが試作のブルーベリーパウンドケーキ。沙希ちゃんはブルーベリー苦手じゃない?」
「はい、大丈夫です。わあ……美味しそう」
小さなお皿に乗せられたパウンドケーキは、表面に小ぶりのブルーベリーが散りばめられていて、中は紫のマーブル状が描かれている。
いかにも手作りといったような形を見ていると、心がほっこりしてくる。
「今年はブルーベリーの苗を植えてみたんだけれど、思った以上に収穫できてね。期間限定にはなるんだけれど、せっかくだから新メニューに取り入れてみようって作ってみたの」
心が揺さぶられたものを写真に収めると決めている私は、気が付くと既にカメラを手にしていた。
「すごいです……!あの……写真を撮っても良いですか」
「ええ、もちろん!」
ミルクティーとパウンドケーキがバランスよく見えるように位置を整えてシャッターを切る。
「甘さを抑えてみたのだけれど、沙希ちゃんみたいな若い子からすればもの足りないかもしれないわね。ぜひ味の感想も聞かせて」
こんなに可愛いケーキにフォークを入れてしまうのはなんだかもったいない気がしたけれど、パウンドケーキの香りを吸ってしまったら、すぐにでもフォークを刺して口に運んでしまいたいという衝動に駆られてしまった。
心の中では「えいっ!」と叫びながら、でも実際はいつもより慎重にフォークを入れる。
一口サイズよりも小さく切り分けた一つを選んで口に運ぶ。
「美味しいです……!」
「本当⁉︎」
郁江さんと誠司さんが同時に言ったから。三人で顔を見合わせて笑ってしまった。
「甘さはどう?」
郁江さんが心配そうに聞いてきたから、私は精一杯自分なりの感想を伝える。
「ジャムのおかげでしっかり甘さはあると思います。それに、ブルーベリーの酸っぱさも感じます。私、このケーキすごく好きかも」
「ありがとう!沙希ちゃんにそう言ってもらえると、とっても嬉しいわ」
「早速明日から新メニューとして加えようか!」
二人ともお母さんより一回りも年上なのに、「いえい」なんて言いながらハイタッチをしている。それを見ていると、やっぱり海猫堂が好きだなあなんて思う。
この時間がいつまでも続くと良いのに。
私はお礼に撮った写真をすぐにパソコンに取り込んで、少し明るく編集してから二人に見せる。
普段は自分が撮った写真を人に見せるなんてことはしないのだけれど、この二人には何かお礼をしたいと思ったから、思い切って見せてみることにした。
「あら、すごい!綺麗に撮れているわね!」
「本当だ!沙希ちゃん写真撮るの上手いね!」
「いえ、全然です。これは少し写真に手を加えていますし」
この二人のことだからと思って予想していたけれど、あまりにも褒めてくれるものだから、慌てて自分で自分を思い上がらせないように否定の言葉を付け加える。
「へー!そういうこともできるんだ!」
「はい、『レタッチ』と言って、撮った写真を編集ソフトで意図的に明るくしたり、暗くしたりしています」
「本格的だね」
「いえ、私なんて、ちょっと明るさを変えているくらいです、プロの人はもっと凄いです」
「写真ってカメラで撮るだけじゃないんだね」
誠司さんが興味深そうに聞いてくれるから、少しだけ楽しくなってきた。
「最近、カメラで撮った景色と目で見た景色は全然違っていることに気が付いたんです。その時良いなと思って撮ったものでも、実際写真にして見てみると、なんか違うなって思うんですよね。でも、レタッチをすると、その時の感動に少しでも近付けられるような気がするんです」
「なかなか良い感性を持っているね。そうだ、この写真、メニュー表に載せても良いかな」
「え……いや、そんな……私の写真なんて……」
私なんかが撮った写真をメニュー表に使いたいだなんて、誠司さんは褒めすぎだと思う。
そうだ、きっと私がケーキのことを褒めたから、そのお返しに言ってくれたんだ。私がすることなんて……
「えっと、もう少し上達してから撮り直しても良いですか」
提案は嬉しかったけれど、これ以上思い上がるわけにもいかないから、やんわりと断っておいた。
「そっかあ。まあ無理にはお願いできないからね」
残念そうな誠司さんの顔を見たら、また少し申し訳ない気持ちになった。
「でも、沙希ちゃんは本当に写真が好きなのね」
「い、いえ、そんなことないです……」
「そう?さっきケーキを写真を撮ってくれているとき、すっごくにこにこしながらカメラを触っていたけど」
「それは……ケーキが美味しかったので、つい。私の写真なんて……」
せっかく話を振ってくれているのに、次々と否定的な言葉で修正しようとしてしまう。ちょっとはしゃぎすぎてしまったかもしれないとか。調子に乗ってしまったように見えてしまったかもしれないとか。
気が付くと、学校にいる時の私に戻ってしまっていた。
「上手だと思うけどなあ。もっと自信持って良いんだよ」
「はい……」