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まやくんは私が無事に生きていること、きちんと自分の人生を歩んでいることを見届けたくて、この世にとどまっていた。
今まで憎くて憎くてしょうがなかったものは、忘れちゃいけない大切なものだった。
私を苦しめていた右腕は、もう出会うことのできないたった一人の大好きな人が、懸命私に生きてほしいと願った証拠だった。
「う、ぐ……ひっ」
私は一人で嗚咽を漏らした。
大切な人がいなくなってしまった悲しみなのか、ようやく本当のことが知れたという安堵なのか、何も伝えられなかったという後悔なのか。
多分、全部だ。
それだけではない。
もっとたくさんの感情が、ごちゃ混ぜになっている。
お昼過ぎになる頃、茂さんが帰ってきた。
茂さんは、まやくんがいなくなってしまったことを聞くと、小さく「そうか」とつぶやいた。
冷蔵庫から麦茶を私の分も含めてコップを持ってきて、囲炉裏の前にゆっくりと腰を下ろす。
向かいに座った私は、手紙を茂さんに渡した。
他の人に見せるのはどうかと思う。けれど、このことは茂さんに知らせるべきだと思った。茂さんにも知ってほしいと思った。
茂さんが手紙を読み終えるまでの時間は、途方もなく長い時間のように感じた。
「なるほど。そういうことだったんだね」
「茂さんは、この手紙に書かれていることを、信じますか?」
「もちろん」
茂さんはゆっくりと、でもはっきりと頷いた。
「まやくんが幽霊だったということ、茂さんは気付いていたんですか?」
「うーん、気付いていたかと言われると、どうだろう。もしかしてと思ったことは何度かあったけど」
茂さんにしてみては珍しく、曖昧な返事だった。
「大人になると、あり得ないことを受け入れるのが、どうしても難しくなってくるものなんだ。だから、しばらく一緒にいて様子を見ることにしたんだ。他人事でもないような気もしたしね」
そうだ。
誰に対しても分け隔てなく接してくれるその茂さんの優しさに、まやくんも救われていたんだ。まやくんは茂さんに出会えて、本当に良かった。
「でも、まやくんと一緒に過ごしていたらさ、彼が幽霊だとか訳ありなんだとか、もうそんなのはどうでも良くなったんだ。彼は一生懸命誠実に生きようとしていたし、学ぼうとしていた。そんなまやくんを見ていたら、単純に一緒に暮らすのが楽しくなっちゃったんだよね、沙希ちゃんもこの感覚なんとなくわかると思う」
「はい」
茂さんはコップに注いだ麦茶を一口飲んでから、さっきよりもゆっくりとした口調で話し始めた。
「事故当時に消防隊員さんが言っていたのを覚えている。どういうわけか、沙希ちゃんだけ奇跡的に火が弱まっていところに居たって」
あの時、まやくんが背中を押してくれたからだ。
「でも、右腕にはひどい火傷を負っていたし、煙もたくさん吸っていたから、沙希ちゃんはすぐに大きな病院に運ばれたんだ。腕の火傷がひどくて、三ヶ月くらい入院していたっけ」
私は無意識に右腕をぎゅっと握る。
「退院した沙希ちゃんは、すぐこっちに戻ってきたんだ。でも、事故のショックからか、当時の記憶を無くしていた。それで君のお母さんは記憶を取り戻せるように何度か事故現場に連れて行ったことがあったんだ。でも、そこに来た途端、沙希ちゃんはどういうわけか泣きじゃくったり、パニック発作を起こしたりしたんだ。もちろん記憶が戻ったわけでもなかった。だから、君の両親はこれ以上大切な娘を傷付けたくないからって、ここを離れることにしたんだ」
「……だからお父さんやお母さんは、何も教えてくれなかったんですね」
大事なことはいつも教えてくれなくて、私だけのけものにされていると感じることもあった。
お父さんやお母さんのことが憎いと思うこともあった。けれど、それは大きな勘違いだった。
「でもね、ずっと隠しておこうというわけではなかったんだ。僕らは、来るべき時まで、大事にとっておこうって約束していたんだ」
理由を知らなかった私は何かと右腕のせいにして、勝手に捻くれていた。
もっと堂々としていれば、良かったんだ。
伝った涙が、床に落ちる。
「わからないまま過ごすのって、本当に怖いことだと思う。今まで不安だったよね。本当に申し訳ない……」
「そんな……謝らないでください……」
鼻を啜りながら、私は茂さんの謝罪を精一杯否定する。
ようやく自分の中で合わないピースがはまったような気がした。
でも、その次に襲ってきた感情は、後悔だった。
消えてしまうのがわかっていたなら、もっとまやくんとの時間を大事にできたのに。
好きだって、伝えることができたかもしれないのに。
……。
……違う。
私たちは、既にお互いの時間を大事にしながら過ごしていたはずだ。
初めて出会った夜に散歩をしたのも、一緒に料理をしたのも、部屋を修理したのも、神社に行ったのも、全部、消えてしまうからとかしまわないとか、そんなのは関係なくて、既にお互いの時間を精一杯過ごしていたんじゃないの?
きっと、これでよかったんだ。