とたとたととマイペースに階段を降りてくる音が聞こえてきた。
「おはよー沙希さん。って、あれ、アイルー?」
大きなあくびをしながら囲炉裏部屋に入ってきたまやくんは、曖瑠さんを見つけると、目を瞬かせる。羊のシルエットが入ったパジャマ姿が可愛い。
「よっ!寝坊助!」
「うるさっ」
物静かなまやくんが間髪を入れずに言い返すのは意外だった。二人って、そんなに仲が良いのかな。
「曖瑠さんのことを知ってるの?」
「うん。前に一度部屋の片付けを手伝いに来てくれたことがあるんだ」
「そんときに仲良くなったんだよな!」
「いや。そこまで仲良くなった訳では、ない」
「そんなはっきり言うなよ!まやっち、絶対あたしのこと好きだろ!」
「うるさっ!」
終始一方的に曖瑠さんのペースで踊らされているまやくんは、迷惑そうにはしているけれど、嫌悪している訳ではなさそうだった。このやりとりは、彼らのコミュニケーションの一環なのだろう。
「沙希さん、アイルーに絡まれなかった?」
「え、うん。大丈夫だよ」
「あたしらもうこーんなに仲良くなったんだぞ!ほら!」
まるで小さな子供が買ってもらったテディベアのぬいぐるみにするかのように、曖瑠さんは私を力一杯抱きしめた。ちょっと、いや、かなり苦しい。
「ア、アイルー、沙希さんを困らせちゃダメだからな!」
まやくんは人差し指をビシッと曖瑠さんに向ける。
「そんなに怖い顔すんなって!」
顔を赤らめながらガルルと唸るまやくんをケタケタと一笑する曖瑠さん。まやくんには申し訳ないけど、まるで姉弟のようだと思った。
そのあと曖瑠さんは私とまやくんを交互に見てから、ははーんなるほどそういうことかとニヤついた。また何か勘違いをされていますね。曖瑠さん。
曖瑠さんも交えた朝ご飯の時間は、意外にも落ち着いたものだった。曖瑠さんは私が作ったお味噌汁を啜るごとに褒めてくれて、私の自己肯定感は自然と上がっていった。
相変わらずまやくんにはふざけて突っかかっていたけれど。それはもう慣れてしまった。
曖瑠さんは食べ終わった食器を洗ってくれようとしたから、私達がやるよと言ったら、「自分の食器くらい自分で洗うのが常識だろ」と、真顔で怒られた。
まやくんが一階の空いている部屋を案内すると、曖瑠さんは荷物を置いたら、すぐに大きなスケッチブックを抱えて囲炉裏部屋に戻ってきた。
「絵を描くんですか」
「そ!出版社の人に新刊のイラストを描いて欲しいって頼まれたからな。アイデアを出すためにちょっくらこの辺りをスケッチしに来たんだ」
そう言って、スケッチブックをパラパラとめくって、ここに来る前に書いた景色のイラストを見せてくれた。
黒の鉛筆だけで書かれた景色は、見惚れてしまうほど精密に書き込まれている。
「凄い……」
「だろ?」
曖瑠さんは自分の胸の辺りを親指でビシッと指し、胸を張った。凄い自信だ。
「あたし、高校生の時と大学卒業してからと、世界を旅した時があったんだ。それで、行き先で知り合った人や街の景色を絵に残してたんだ。そしたら、私の絵を見てくれた出版社の人から仕事が来るようになってさ、『旅するイラストレーター』として活動することにしたんだ」
何もかもスケールが違う曖瑠さんは、違う種族の人間のように見えてしまう。
易々と言っているようだけれど、それはきっと曖瑠さんは才能に恵まれた人間だからなんだと、私は勝手に決めつけた。
「あ、そうそう。この前はまやっちの絵を描いたんだぜ」
曖瑠さんは別のスケッチブックを取り出すと、またパラパラとめくり始めた。
「ちょっと待った!アイルー!見せなくて良いから!」
まやくんは顔を赤らめながらスケッチブックに向かってダイブしたけれど、曖瑠さんは軽々とかわしてしまった。
「そんなに恥ずかしがんなくても良いじゃん。絵なんだし」
「だ、だめだって!」
気になったけれど、本人が嫌がっているのにこれ以上詮索するのは失礼だ。だから興味が無いような素振りをしておくことにする。
すると、曖瑠さんはこの話題に飽きたのか、早々に話題を変えてしまった。
「旅行先で写真を撮る人って一杯いんじゃん。でもさ、それだけじゃもの足んねーよな」
多分、曖瑠さんは絵を描くのが楽しくてしょうがないのだろう。
でも、好きすぎるあまり、ほかのものが見えていないと思う。
真っ直ぐな感情は、良い意味でも悪い意味でも突き抜ける。その言葉の刃が、私を掠めた。
「今のカメラって性能が良いから、誰でもある程度のクオリティは簡単に出せるんだよね。でも、絵は違う。センスや技量が露骨に現れるんだ」
悪気がないのはわかる。けれど、私の中にはもやついた感情が生まれてしまった。
写真だって、撮り方にいろんなテクニックがあるし、加工して、自分が感じた作品に仕上げることだってできる。
きっと、曖瑠さんの表現方法はたまたま絵であって、私は写真なんだ。
言い返すことなんてできやしない私は、右腕をぎゅっと握り締めながら、下唇を噛んだ。
「絵は良いぞ!沙希ちゃんもーー」
「アイルー!」
突然まやくんが曖瑠さんの言葉を遮った。少し強めの声で。
「そういえば、この前来た時に描きたいって言っていた裏島の景色、今くらいの時間が一番よく見えるよ」
「お、そうかそうか。じゃ、ちょっくら行ってくる!」
促された曖瑠さんは小さな鞄を持ってくると、さっき開いて見せてくれたスケッチブックを詰め込んで、すぐに外へと飛び出していった。
と思ったら、また戻ってきた。
「沙希ちゃんも行くか?」
「沙希さんには手伝って欲しいことがあるから、後から行ってもらう」
「さては沙希ちゃんを独り占めしようって魂胆だな!もう!まやっちは!」
「は、早く行けっ!」
曖瑠さんはきししと笑いながら行ってしまった。
「ごめん、余計なお世話だったかもしれない」
「ううん。ありがとう」
悪い人ではないのだけれど、あの一瞬、私の中でモヤモヤした感情が生まれていた。
そのせいで、危うく曖瑠さんのことを嫌いになっていたかもしれなかった。
だから、まやくんがワンクッション置いてくれて助かった。
「少ししたら、私も裏島に行ってくる。もう大丈夫」
せっかくだから散歩をしながら行ってみよう。
もちろんカメラを持って。
大丈夫、私は私の楽しみ方があるし、曖瑠さんは曖瑠さんのスタイルがある。
「おはよー沙希さん。って、あれ、アイルー?」
大きなあくびをしながら囲炉裏部屋に入ってきたまやくんは、曖瑠さんを見つけると、目を瞬かせる。羊のシルエットが入ったパジャマ姿が可愛い。
「よっ!寝坊助!」
「うるさっ」
物静かなまやくんが間髪を入れずに言い返すのは意外だった。二人って、そんなに仲が良いのかな。
「曖瑠さんのことを知ってるの?」
「うん。前に一度部屋の片付けを手伝いに来てくれたことがあるんだ」
「そんときに仲良くなったんだよな!」
「いや。そこまで仲良くなった訳では、ない」
「そんなはっきり言うなよ!まやっち、絶対あたしのこと好きだろ!」
「うるさっ!」
終始一方的に曖瑠さんのペースで踊らされているまやくんは、迷惑そうにはしているけれど、嫌悪している訳ではなさそうだった。このやりとりは、彼らのコミュニケーションの一環なのだろう。
「沙希さん、アイルーに絡まれなかった?」
「え、うん。大丈夫だよ」
「あたしらもうこーんなに仲良くなったんだぞ!ほら!」
まるで小さな子供が買ってもらったテディベアのぬいぐるみにするかのように、曖瑠さんは私を力一杯抱きしめた。ちょっと、いや、かなり苦しい。
「ア、アイルー、沙希さんを困らせちゃダメだからな!」
まやくんは人差し指をビシッと曖瑠さんに向ける。
「そんなに怖い顔すんなって!」
顔を赤らめながらガルルと唸るまやくんをケタケタと一笑する曖瑠さん。まやくんには申し訳ないけど、まるで姉弟のようだと思った。
そのあと曖瑠さんは私とまやくんを交互に見てから、ははーんなるほどそういうことかとニヤついた。また何か勘違いをされていますね。曖瑠さん。
曖瑠さんも交えた朝ご飯の時間は、意外にも落ち着いたものだった。曖瑠さんは私が作ったお味噌汁を啜るごとに褒めてくれて、私の自己肯定感は自然と上がっていった。
相変わらずまやくんにはふざけて突っかかっていたけれど。それはもう慣れてしまった。
曖瑠さんは食べ終わった食器を洗ってくれようとしたから、私達がやるよと言ったら、「自分の食器くらい自分で洗うのが常識だろ」と、真顔で怒られた。
まやくんが一階の空いている部屋を案内すると、曖瑠さんは荷物を置いたら、すぐに大きなスケッチブックを抱えて囲炉裏部屋に戻ってきた。
「絵を描くんですか」
「そ!出版社の人に新刊のイラストを描いて欲しいって頼まれたからな。アイデアを出すためにちょっくらこの辺りをスケッチしに来たんだ」
そう言って、スケッチブックをパラパラとめくって、ここに来る前に書いた景色のイラストを見せてくれた。
黒の鉛筆だけで書かれた景色は、見惚れてしまうほど精密に書き込まれている。
「凄い……」
「だろ?」
曖瑠さんは自分の胸の辺りを親指でビシッと指し、胸を張った。凄い自信だ。
「あたし、高校生の時と大学卒業してからと、世界を旅した時があったんだ。それで、行き先で知り合った人や街の景色を絵に残してたんだ。そしたら、私の絵を見てくれた出版社の人から仕事が来るようになってさ、『旅するイラストレーター』として活動することにしたんだ」
何もかもスケールが違う曖瑠さんは、違う種族の人間のように見えてしまう。
易々と言っているようだけれど、それはきっと曖瑠さんは才能に恵まれた人間だからなんだと、私は勝手に決めつけた。
「あ、そうそう。この前はまやっちの絵を描いたんだぜ」
曖瑠さんは別のスケッチブックを取り出すと、またパラパラとめくり始めた。
「ちょっと待った!アイルー!見せなくて良いから!」
まやくんは顔を赤らめながらスケッチブックに向かってダイブしたけれど、曖瑠さんは軽々とかわしてしまった。
「そんなに恥ずかしがんなくても良いじゃん。絵なんだし」
「だ、だめだって!」
気になったけれど、本人が嫌がっているのにこれ以上詮索するのは失礼だ。だから興味が無いような素振りをしておくことにする。
すると、曖瑠さんはこの話題に飽きたのか、早々に話題を変えてしまった。
「旅行先で写真を撮る人って一杯いんじゃん。でもさ、それだけじゃもの足んねーよな」
多分、曖瑠さんは絵を描くのが楽しくてしょうがないのだろう。
でも、好きすぎるあまり、ほかのものが見えていないと思う。
真っ直ぐな感情は、良い意味でも悪い意味でも突き抜ける。その言葉の刃が、私を掠めた。
「今のカメラって性能が良いから、誰でもある程度のクオリティは簡単に出せるんだよね。でも、絵は違う。センスや技量が露骨に現れるんだ」
悪気がないのはわかる。けれど、私の中にはもやついた感情が生まれてしまった。
写真だって、撮り方にいろんなテクニックがあるし、加工して、自分が感じた作品に仕上げることだってできる。
きっと、曖瑠さんの表現方法はたまたま絵であって、私は写真なんだ。
言い返すことなんてできやしない私は、右腕をぎゅっと握り締めながら、下唇を噛んだ。
「絵は良いぞ!沙希ちゃんもーー」
「アイルー!」
突然まやくんが曖瑠さんの言葉を遮った。少し強めの声で。
「そういえば、この前来た時に描きたいって言っていた裏島の景色、今くらいの時間が一番よく見えるよ」
「お、そうかそうか。じゃ、ちょっくら行ってくる!」
促された曖瑠さんは小さな鞄を持ってくると、さっき開いて見せてくれたスケッチブックを詰め込んで、すぐに外へと飛び出していった。
と思ったら、また戻ってきた。
「沙希ちゃんも行くか?」
「沙希さんには手伝って欲しいことがあるから、後から行ってもらう」
「さては沙希ちゃんを独り占めしようって魂胆だな!もう!まやっちは!」
「は、早く行けっ!」
曖瑠さんはきししと笑いながら行ってしまった。
「ごめん、余計なお世話だったかもしれない」
「ううん。ありがとう」
悪い人ではないのだけれど、あの一瞬、私の中でモヤモヤした感情が生まれていた。
そのせいで、危うく曖瑠さんのことを嫌いになっていたかもしれなかった。
だから、まやくんがワンクッション置いてくれて助かった。
「少ししたら、私も裏島に行ってくる。もう大丈夫」
せっかくだから散歩をしながら行ってみよう。
もちろんカメラを持って。
大丈夫、私は私の楽しみ方があるし、曖瑠さんは曖瑠さんのスタイルがある。