集中力が切れたのか、次第に視界が広くなってきていることに気が付き始める頃、ぼんやりと何かの気配を感じた。



「ん……?わあっ!」



気配のする方を目をやると、玄関前におばあちゃんが立っていた。だ、誰⁉︎

驚いた拍子に膝で机を思いきり蹴飛ばしてしまったから、机の上に置かれたものが宙を舞った。

大抵のものは机の上に留まったけれど、いつも使っている手に馴染んだシャーペンは、囲炉裏に飛び込んで灰まみれになってしまった。あーあ。

この家は、おばあちゃんも住んでいたんですか。

でも、まやくんは茂さんと二人で暮らしていると言っていたはずだし、この家はあれですか、突然何かが現れるお家なのですか。

若干のパニック状態に陥りかけていたから、私は大きく深呼吸をして自分をなだめてみる。

でも、一度早くなった心臓はなかなか落ち着いてくれない。この様子だと、きっと数時間寿命が縮んだに違いない。

おばあちゃんは、まるで自分の家に帰ってきたかのように、がらがらと戸を開けて入って来る。



「まあ、かわいいお客さんがいること」



えーと。こういう時は。



「お、おはよう、ございます」

「あんた、どこから来たん?」

「えっと、関東の方から来ました」



知らない人には迂闊に身元を言っちゃいけないと教わったから、とりあえずざっくりとしたことを言ってやり過ごす。別に嘘ではないし。



「ほうかい。遠いとこから来なさったなあ。あんた、なんていうの?」



やっぱり次はそうきますよね。



「……一ノ瀬です」

「篠瀬?」



名前を言うのも少し気が引けたから、もごもごと口籠りながら言ってみると、案の定聞こえていなかったみたいで、違う苗字になってしまった。



「い、ち、の、せ、です」



今度はしっかりと発音が聞き取れるように伝えた。

すると、おばあちゃんは細めていた目を少し大きく見開きながら、



「ほー。あんたも一ノ瀬っていうんか」



と言ってから、何かを思い出そうとしているのか「一ノ瀬……一ノ瀬……」と何度も呟いていた。

部屋に入ってしまったのならしょうがない。

このまま地べたに座ってもらうのは気が引けるから、部屋の隅に重ねられている座布団を一枚取り、おばあちゃんの隣に敷いた。



「すまないねえ。よっこらしょ……」



おばあちゃんはおぼつかない足取りをしていたから、私は腕を抱えて座るのを手伝う。



「あの、麦茶でよければご用意します」



おばあちゃんに聞こえるように、今度はいつもより少し大きな声で言った。



「そうかい。じゃあ頂こうかねえ」



冷蔵庫から冷えた麦茶を透明なガラスコップに汲む。

キンキンに冷えた麦麦茶をおばあちゃんに与えて大丈夫だろうかと少し心配になった。



「どうぞ。冷たいから気を付けてください」

「これはこれは、ご丁寧に。ありがとうねえ」



おばあちゃんの名前とか、どこに住んでいるのかとか、そもそもどうしてここに来たのかとか、聞きたいことはたくさんある。

けれど、私には午前中に宿題を終わらせる任務があるからゆっくりはしていられない。おばあちゃんごめんなさい、学生は忙しいの。

囲炉裏に飛び込んでしまったシャーペンを救出すると、そのまま台所の水道で丸洗いしたら、すぐに綺麗になった。

話しかけられた時に無視するのは失礼だと思ったから、とりあえず最低限の相槌は打てるように、イヤホンは付けず宿題を再開する。

途中何度か気になったからチラチラと見ていたけれど、おばあちゃんは相変わらずにこにこしながら私の方を見ている。

見られているのはちょっと恥ずかしかったけれど、不思議と嫌な感じはしなくて、すぐに慣れてしまった。