「また都内に戻らないといけなくなったんだ」

「うえ、またですか」

「本当ごめん!」



作ったばかりの朝ごはんを囲んでいると、茂さんがうなだれるように言った。さっきまやくんが「また」と言ったから、これは珍しいことではないみたい。

どうやら前働いていた会社の経理システムが不具合を起こし、対応に行かなければいけないらしい。

会社の経理の全てを担うそのシステムは、当時茂さんを含む三人で作ったもので、簡単なトラブルは引き継いだ人ができるものの、今回はシステム自体が原因不明で動かなくなり、現場の人はお手上げなんだとか。

あいにく茂さん以外に開発に関わった二人は海外に出張中なものだから、朝早くから茂さんのところに連絡が入ったのだ。

せっかく帰ってこれたのに、ほとんど休む間も無く都内に戻らなければいけないなんて。昨日も夜遅くまでお仕事をしていたのに、大丈夫かな。

自分で作ったお味噌汁を啜りながら茂さんの方を見ると、まだ少しだけ肩を落としていたけれど「会社の人には随分お世話になったからなあ」なんて言いながら頑張って自分を奮い立たせていた。

大人は大変だ。

でも、困っている人を助けに行くのは、格好良い。

火が通りきっていない大根を噛むとシャクシャクと音を立てる。作りたてで味が染み込んでいないから大根本来の味が良く伝わってきてそれはそれで食べ応えがあって悪くない。



「バスで行くんですか?」



まさかあの数時間の移動にまた臨むつもりなのだろうか。だとしたら相当辛い移動になるのでは。



「いや、今回は飛行機で行くことにする」



意外な移動手段が出てきた。こんな田舎から飛行機が飛んでいるなんて。

ここから電車で四十分ほどのところに空港があり、そこから一時間くらいで都内の主要空港へ行ける。

と言っても、頻繁に飛行機を利用するとなると移動費が馬鹿にならないから、普段は夜行バスを利用しているのだと教えてくれた。



「すぐに帰れると思うけど、それまで二人で留守番してもらうことになると思う。沙希ちゃん、それでも良い?」

「あ、はい。私は大丈夫です」

「せっかく来てくれたのに、案内できなくて本当に申し訳ない」

大人に謝られるのも初めてだったから戸惑った。

あまりにも深々と頭を下げられたものだから、反対に申し訳なくなって「いやいやいやそんなそんな」と、無駄に同じ言葉を連発してしまった。



「それと、二人に頼みがあるんだ」

「どうしたんですか?」

「実は友達が泊まりに来る予定になっていたんだ。だから、友達の受け入れを二人にお願いできないかなと」



留守番をするくらいなら何も心配いらないと思ったけれど、お客さんが泊まりに来るとなると別問題だ。

ただでさえ知らない人と話をするのが苦手なのに。

いくら茂さんの友達と言ってもお客さんを迎えるなんてことが私にできるのだろうか。



「大丈夫ですよ。ね、沙希さん」

「え……あ、はい」



”ね”なんて言われたら”はい”と言うしかないんですけど。



「お願いと言っても、部屋の案内と布団の準備だけで良いからね。自由な人達だから『あとはどうぞお好きにしてください』ってしておけば勝手に楽しんでくれるよ」



自由な人達って、一体。

怖い人だったらどうしようなんて思ったけれど、いやいや茂さんの友達ならきっと良い人に決まっているはず、とすぐに考えを改めた。



「沙希さんは特に身構える必要ないよ。部屋の案内とかは僕がやるし。虫が出たときは、よろしく」



なるほど私は虫退治係なんだね。

って、今朝みたいな大きなムカデが出てきた時にも私一人で何とかしなければいけないのか。一番重要な役職を与えられてしまった。

茂さんは私達の食器も一緒に洗い終えると、二階に荷物を取りに行ってしまった。

キビキビとしているその足音は、自然とこちらの気持ちも少し軽くなるから不思議だ。

しばらくすると、その足音がドスドスという音に変わって私たちの部屋に向かってくる。

背中には沢山小さなポケットが付いている大きなリュックを背負い、いかにも今から冒険に出かけますと言う雰囲気をしている。

私とまやくんは玄関先で茂さんを見送る。

早朝の穏やかな日差しはもうすっかり夏の容赦ない日光に変わっている。

ガラス戸で陽の光が入りやすくなっている玄関は、温室のように温められた空気が漂っていた。