「どわあああっ‼︎」



なになに?事件⁉︎

突然隣の部屋から叫び声と、地震ではと思うほどの振動がしたから、飛び起きてしまった。

恐る恐る廊下に出てみると、まやくんが廊下の壁に背中をつけて崩れ落ちるように座り込んでいた。

顔は青ざめて、涙目で足をさすっている。



「大丈夫?」

「ム……ムカ……ムカデが……足に」



ムカデって、黒くて長くて足がたくさん付いているあいつのこと?



「大丈夫か!」



まやくんの叫び声に負けないくらいの勢いで向かいの部屋から茂さんが出てきた。

右手にはバーベキューの時に使う火ばさみ、左手には殺虫剤を持っている。

パジャマ姿であることを除けば、完璧な臨戦態勢だ。

部屋を覗いてしばらくしたら、ムカデはまやくんが寝ていた布団から出てきた。

茂さんは躊躇わずに殺虫剤をかけるけれど、ムカデはそのまま箪笥の隙間に入り込んでしまった。

何回か隙間に殺虫剤をかけたり、火ばさみで突いてみるけれど、一向に出てくる気配はない。

生き死にが掛かっているムカデも必死だ。

私たちはどこに行ったのだろうと辺りを見回し始めたら、箪笥を覗き込んでいた茂さんの背中に何かがボトリと落ちてきた。



「茂さん!背中!背中」



ムカデは私たちの目をすり抜けて天井に登っていたらしく、足を滑らせて落ちてきた。



「おわっ!」



払い除けられたムカデは私の目の前に飛んできた。



「ひいい……」



何とも悲痛な叫び声をあげたのはまやくんだった。



「貸してください!」



私は咄嗟に入り口に置いてあった火ばさみを手に取ると、ムカデの胴体をえいやっと挟み込んだ。



「沙希ちゃんナイス!」

「ど、どうしましょう」

「そのまま抑えてて!」

「は、はい……!わっ!」



私の力が弱かったのか、ムカデは火ばさみの間をするりと抜けて再び布団と畳の隙間に入り込んだ。



「そっち側頼む!」

「はい!」



私と茂さんは火ばさみを持って布団を囲む。この光景はちょっとシュールだなんて思ったけど、今はそんなことを言っている場合ではない。

程なくするとムカデが飛び出してきた。私の方だった。



「そっちに行ったよ!」

「はい!」



茂さんの合図とともに私はムカデの胴体を挟む。

殺虫剤が効いてきたのか、さっきまでの勢いはなかったから、決して逃がさないように力一杯挟み込んだ。この後はどうすれば良いのだろう。



「そのまま貸して」



茂さんは、まごついた私の手から火ばさみごとムカデを受け取ると、そのまま階段を降りていってしまった。

戦いは終わった。

部屋には殺虫剤の匂いが充満していて、ちょっと気持ちが悪くなったから、すぐに窓を開けた。もう大丈夫。



「沙希さんすげえ!」

「わっ……」



背後からの突然の叫び声に一驚してしまった。



「沙希さんってムカデ大丈夫なんだね!格好良かった!」



さっきまで腰を抜かしていたはずのまやくんは、今度はひどく興奮している様子だった。

その眼差しは小さい子が戦隊ヒーローに向けるそれと同じだった。



「え、や、そんな。なんか私、昔から虫大丈夫っぽいんです」

「すげー!僕は虫が大の苦手なんだ」



こんなに長い間田舎で暮らしているのに虫が苦手なんだと思ったけど、さすがに口にしないようにした。



「それより足大丈夫?噛まれてるんじゃ……」

「大丈夫。足の上を歩いていたけど噛まれなかった。あーびっくりした」



まやくんは胸を撫で下ろし、大きくふうと深呼吸をする。



「この家はムカデが出るんだす、だね」



話している途中で敬語になってしまう癖を治さないとなんて思ったら、ごちゃ混ぜになってしまった。

けれど、まやくんは特に気にも留めていない。



「田舎だからムカデに限らず虫はたくさん出るんだ。もう本当、嫌になっちゃうよ」

「ムカデって噛まれたらすごく痛いんだよね」

「うん、一回茂さんが小さいムカデに噛まれたことがあったんだけど、一日中赤く腫れててすごく辛そうだった」

「あ、危なかったね……」



まやくんは通常運転に戻ったのか、淡々とした口調に戻った。



「最初は一階で寝てたんだけど、春先あたりからあまりにも虫が出るものだから、二階で寝るようになったんだ。火ばさみと殺虫剤も常備してね」

そう言ってまやくんは入り口の方を指差した。

なるほど、さっき無意識に手に取った火ばさみはそのためのものだったんだ。



「まあ退治するのは全部茂さんなんだけど」

「茂さんがいない時はどうするの?」

「その時は……見なかったことにする」

「なるほど……」



まやくんの虫嫌いがここまでとは知らなかった。

というか、自分の弱いところをここまで隠さずに曝け出してくれると、逆に安心する。

下に降りて行ったきりの茂さんは大丈夫かなと思ったら、下の階から「おーい!二人共もう大丈夫だよー」と聞こえてきた。

これで本当に終わったんだ。



「はーい」

「ありがとうございまーす」



言葉は違ったけれど、また返事がハモったから私たちは思わず顔を見合わせて笑ってしまった。

まやくんは「ふあーっ」大きなあくびをしながら伸びをする。



「目覚めは悪かったけど丁度良い時間に起きられた。さて、朝ごはんを作ろうかな」
「あ、私も手伝う」

「ありがと。じゃ、先に降りてるよ」



私は自分の部屋に戻って身嗜みを整える。

布団を畳んで最後にいつものパーカーを手に取ると、ようやく今まで自分がTシャツ一枚で過ごしていたんだということに気が付いた。

けれど、やってしまったとか恥ずかしいとかそんな余計な考えは出てこなくて、単に暑かったらこの格好のままでいいやと思えることが、ただ嬉しかった。