「わっ……!」
突然黒くてすらりとした物体が道の端から現れた。
こっちの方を向いて、ささっと反対側に消えていく。ぎょっとした私は、まやさんの背後に隠れる。
「多分イタチですね」
「びっくりした……!」
まやさんは顔色一つ変えず歩いていく。
さすがこの辺りに詳しいだけあって、安定感がすごい。
「イタチは警戒心が強いのですぐに逃げてしまいますが、よく見ると可愛い顔をしているんですよ」
「へ、へえー……野生の動物なんて出てくるんですね」
「たまにですけど、猪と遭遇することもありますよ」
「……い、猪⁉︎」
「はい。この前は親子の猪が道を横切っていました。子供を連れている猪は危険ですので、さすがに焦りました」
「大丈夫だったんですか?」
「はい。母猪を刺激しないように注意しながら、来た道を戻りました」
いやあ参った参ったというノリで言われても。
一歩間違えていたら笑って話せることではないと思うのですが。
「猪に遭ったら、決して慌てず、ゆっくり引き返すようにしましょう」
「お、覚えておきます……」
船着場に着くと、空の視界が一気に開ける。空一面にぎっしりと星が散りばめられていて、天然のプラネタリウムのようだった。もちろんこっちは本物だけれど。
岸壁沿いには、二人くらいしか乗れないような小型漁船が、流されないようにロープで係柱に繋がれている。
穏やかな波に揺られて隣同士の船体が接触するコツコツという音と、ぶつかり合った衝撃で巻き上げられた波がちゃぽちゃぽという音が不規則に混ざり合う。
船揚場の中心には一本の街灯が建てられていた。
街灯の下には流木のようなもの横たわっており、その上に黒い物体がいる。
またイタチかと思ったけれど、毛繕いをしているであろうその姿から、あの生き物が何なのかがすぐにわかった。
「猫?……」
そう。ゴロゴロと喉を鳴らし、猫じゃらしで無邪気に遊ぶあの愛玩動物。
テレビや動画サイトで見かける猫は愛嬌をたっぷり振り撒く姿が印象的だけれど、街灯に照らされながら座っている黒猫の佇まいは凛々しく、たった一人で厳しい環境を生き抜いてきたんだという気高い雰囲気さえ感じた。
さっきまでイタチや猪がという獣ワードが出ていたから、余計にそう思うのかもしれないけれど。
『ナー』
前言撤回。やっぱり猫は可愛い。
黒猫は愛嬌をたっぷり含ませた声を出しながらじっとこちらの様子を伺っている。
私は肩から下げていたカメラをそーっと手に取り、電源スイッチを入れる。
夜間での撮影はしたことがなかったから、夜間モードにダイヤルを設定し、ピントを合わせる。あとはシャッターボタンを押すだけだ。
黒猫は、カメラが向けられたことに気がついたのか、ぴょんと流木から降りてしまった。あ、驚かせてごめんなさい。
けれど、黒猫は一向に逃げる気配は無く、私達の方をじいっと見ている。
「あれ。クロじゃないか」
「クロ?」
「はい、この辺りに住み着いている野良猫です。と言っても名前は僕が勝手に付けたのですが」
その名の通り、全身が真っ黒の毛に覆われているからクロなんだそう。
定番の名前だけれど、やっぱり黒い猫にはこの言い方が一番しっくりくる。
「ほかにも白と茶色と雉トラの三匹がいるんですけど、クロが一番人間に慣れているんです」
クロは私たちの方を見るや、人懐っこそうな声でまた『ナー』と鳴いた。
「ほかの子は人間が苦手なんですか」
「近づくと一目散に逃げていきます」
「え、そうなんですか」
「はい。実はこの辺りにいる猫達は、みんなどこかから連れてこられて置き去りにされてしまった子達なんです。だから人間のことを苦手になるのも仕方ありません」
「そんな……」
「それに野良猫はすぐに増えてしまいますので、この辺りの人は基本的に追い払おうとするんですよね」
猫は何も悪くないのに。
ただ人間の勝手な都合で見知らぬ土地に捨てられた上に、そこいいる動物や人間にも怯えながら暮らさないといけないなんて……
「野良猫達が生きるのがこんなにも大変なんだと思わなかったです。私、何も考えずカメラなんか向けてしまって……」
「いや、クロはむしろ喜んでいるんじゃないでしょうか。ほら、こっちに来ましたし」
クロはまた『ナー』と鳴きながら、軽快な足取りで私たちの方に向かってきた。
そして私の足元に来ると、クロは靴に鼻をそっと近づけ、二、三回すんすんと匂いを嗅いでから頭をぶつけるように額を擦り付けた。
クロは艶のある真っ黒な毛で全身が覆われていて、尻尾は他の猫と比べてかなり短い。
仔猫から大人になりかけというくらいの年齢だろうか、私達と同じくらいのように思うと、親近感が湧いてきた。
「クロ、一ノ瀬さんを気に入ったのか」
クロは返事をするかのように、小さくナーと鳴いた。
「え、え?」
「初対面の人にはそこまで近づきませんよ。相当一ノ瀬さんのことを気に入ってますね」
「そ、そうなんですか?」
何度も頭を擦り付けながら足にまとわりつくクロを踏みつけてしまわないように気を付けながら、何とか街灯の元へ辿り着く。
突然黒くてすらりとした物体が道の端から現れた。
こっちの方を向いて、ささっと反対側に消えていく。ぎょっとした私は、まやさんの背後に隠れる。
「多分イタチですね」
「びっくりした……!」
まやさんは顔色一つ変えず歩いていく。
さすがこの辺りに詳しいだけあって、安定感がすごい。
「イタチは警戒心が強いのですぐに逃げてしまいますが、よく見ると可愛い顔をしているんですよ」
「へ、へえー……野生の動物なんて出てくるんですね」
「たまにですけど、猪と遭遇することもありますよ」
「……い、猪⁉︎」
「はい。この前は親子の猪が道を横切っていました。子供を連れている猪は危険ですので、さすがに焦りました」
「大丈夫だったんですか?」
「はい。母猪を刺激しないように注意しながら、来た道を戻りました」
いやあ参った参ったというノリで言われても。
一歩間違えていたら笑って話せることではないと思うのですが。
「猪に遭ったら、決して慌てず、ゆっくり引き返すようにしましょう」
「お、覚えておきます……」
船着場に着くと、空の視界が一気に開ける。空一面にぎっしりと星が散りばめられていて、天然のプラネタリウムのようだった。もちろんこっちは本物だけれど。
岸壁沿いには、二人くらいしか乗れないような小型漁船が、流されないようにロープで係柱に繋がれている。
穏やかな波に揺られて隣同士の船体が接触するコツコツという音と、ぶつかり合った衝撃で巻き上げられた波がちゃぽちゃぽという音が不規則に混ざり合う。
船揚場の中心には一本の街灯が建てられていた。
街灯の下には流木のようなもの横たわっており、その上に黒い物体がいる。
またイタチかと思ったけれど、毛繕いをしているであろうその姿から、あの生き物が何なのかがすぐにわかった。
「猫?……」
そう。ゴロゴロと喉を鳴らし、猫じゃらしで無邪気に遊ぶあの愛玩動物。
テレビや動画サイトで見かける猫は愛嬌をたっぷり振り撒く姿が印象的だけれど、街灯に照らされながら座っている黒猫の佇まいは凛々しく、たった一人で厳しい環境を生き抜いてきたんだという気高い雰囲気さえ感じた。
さっきまでイタチや猪がという獣ワードが出ていたから、余計にそう思うのかもしれないけれど。
『ナー』
前言撤回。やっぱり猫は可愛い。
黒猫は愛嬌をたっぷり含ませた声を出しながらじっとこちらの様子を伺っている。
私は肩から下げていたカメラをそーっと手に取り、電源スイッチを入れる。
夜間での撮影はしたことがなかったから、夜間モードにダイヤルを設定し、ピントを合わせる。あとはシャッターボタンを押すだけだ。
黒猫は、カメラが向けられたことに気がついたのか、ぴょんと流木から降りてしまった。あ、驚かせてごめんなさい。
けれど、黒猫は一向に逃げる気配は無く、私達の方をじいっと見ている。
「あれ。クロじゃないか」
「クロ?」
「はい、この辺りに住み着いている野良猫です。と言っても名前は僕が勝手に付けたのですが」
その名の通り、全身が真っ黒の毛に覆われているからクロなんだそう。
定番の名前だけれど、やっぱり黒い猫にはこの言い方が一番しっくりくる。
「ほかにも白と茶色と雉トラの三匹がいるんですけど、クロが一番人間に慣れているんです」
クロは私たちの方を見るや、人懐っこそうな声でまた『ナー』と鳴いた。
「ほかの子は人間が苦手なんですか」
「近づくと一目散に逃げていきます」
「え、そうなんですか」
「はい。実はこの辺りにいる猫達は、みんなどこかから連れてこられて置き去りにされてしまった子達なんです。だから人間のことを苦手になるのも仕方ありません」
「そんな……」
「それに野良猫はすぐに増えてしまいますので、この辺りの人は基本的に追い払おうとするんですよね」
猫は何も悪くないのに。
ただ人間の勝手な都合で見知らぬ土地に捨てられた上に、そこいいる動物や人間にも怯えながら暮らさないといけないなんて……
「野良猫達が生きるのがこんなにも大変なんだと思わなかったです。私、何も考えずカメラなんか向けてしまって……」
「いや、クロはむしろ喜んでいるんじゃないでしょうか。ほら、こっちに来ましたし」
クロはまた『ナー』と鳴きながら、軽快な足取りで私たちの方に向かってきた。
そして私の足元に来ると、クロは靴に鼻をそっと近づけ、二、三回すんすんと匂いを嗅いでから頭をぶつけるように額を擦り付けた。
クロは艶のある真っ黒な毛で全身が覆われていて、尻尾は他の猫と比べてかなり短い。
仔猫から大人になりかけというくらいの年齢だろうか、私達と同じくらいのように思うと、親近感が湧いてきた。
「クロ、一ノ瀬さんを気に入ったのか」
クロは返事をするかのように、小さくナーと鳴いた。
「え、え?」
「初対面の人にはそこまで近づきませんよ。相当一ノ瀬さんのことを気に入ってますね」
「そ、そうなんですか?」
何度も頭を擦り付けながら足にまとわりつくクロを踏みつけてしまわないように気を付けながら、何とか街灯の元へ辿り着く。