龍神さまのいるところ

「そういうことだから。舞香、さっさとすませて、部活に戻ってきてくれ」

「分かりました」

 彼女の腕が、俺の腕に絡みつく。

「ね、早く撮影しよ? どこで撮る?」

 彼女の肩までの髪が揺れる。

その場ですぐに立ち上がると、俺たちはレンズ越しに向かいあった。

午後の日差しの中で、深い緑の森が揺れる。

「どうして宝玉を落としたりなんかしたんだよ」

「そんなこと、聞いてどうする」

「協力するにしても、動機が必要だろ」

 彼女は自由気ままだ。

撮影のことなんて全く頭にないから、本当に好き勝手に動き回り、ぶらぶらしている。

「動機って、手伝うつもりもない奴に、話してどうする」

「俺は不要ってこと?」

「必要だとでも思っていたのか?」

 思わずレンズを下げ、舞香をにらむ。

だけどここで荒木さんの話を出すのは、負けのような気がした。

「別に。そんなこと、知ってるし」

 肩までの髪が流れる。

背後から吹き抜けた風が、彼女の髪を巻き上げた。

その横顔にシャッターを切る。

「ならいいよ」

 うつむいて、乱れる髪を耳にかける。

彼女が背を向けた。

「意味なんてないもんね。そんなことしたって」

「そうだよ」

 分かってるじゃないか、自分だって。俺だって。

「私ね、ちょっとは仲良くなれた気がしてたんだ。圭吾とも。あんまりしゃべらなかったけど。それでも友達になれた気がしてたのは、自分だけだったんだなって」

 彼女は俺に背を向けたまま両腕を広げ、ゆっくりと歩き出す。

その一歩一歩を、俺はカメラの画像に収める。

「友達だよ。友達。俺と舞香は、友達」

 俺はその問いに答えた。

振り向いた彼女は微笑む。

「そうだよね。よかった」

 舞香が泣いていたような気がして、だけどそんなことは気のせいで、どうして彼女がいまそんなふうに見えたのかなんてことは、きっと考えたって出てこない。
「うん。ありがとう。助かったよ」

「もう写真はいいの?」

「多分……。チェックしてみないと分かんないけど。大丈夫だと思う」

 俺は、カメラ本体から撮れたばかりの画像を見ている。

彼女はそこに、近寄っては来なかった。

「だ、ダメだったら、また連絡するね」

「うん」

 何もかも、彼女の姿のままなのが悪いんだ。

これがハクだったら、文句も言えただろう。

「そっか。よかった。じゃあまたね」

 その『またね』に、本当の『次』がないことを、俺はよく知っている。

追いかけなきゃいけない。

追いかけて行きたいと思っているのに、どうしても体が動かない。

それはきっと、『動かなくてもいいこと』だからなんだと自分に言い聞かせる。

「早く……。写真を選ばないと。マジで間に合わないから……」

 部室に戻る。

狭い部屋に何人かがいて、いつものようにしゃべっている。

一台しかないパソコンは空いていて、俺は撮ったばかりの画像を保存することなく、そこを出た。

 そのまま帰ればいいのに、体育館は、いつものバス停とは違う、逆の正門の方なのに、つい足が向いてしまう。

カメラがあるから、これさえあれば、いつでも彼女に話しかけられると、そう思っていた。

だけど立ち寄った体育館は、もうすっかり運動部が占領していて、演劇部が体育館を使っていたのは、大会の前だけだったんだと思い知る。

結局、それまでの存在だったんだな。

彼女の言う通りだ。

 引き返すのも恥ずかしくて、そのままいつもと違う門から坂道を下る。

学校という同じところから出発しているのに、見える景色は全く違っていた。

正門となるこちら側は、山を下る坂道も緩やかで、視界を覆う原生林もまばらだ。

眼下に住宅街らしい街並みが広がっている。

ゆるやかな坂道を下ってゆく。

だけどここからは、いつものバス停、いつもの駅へは行けない。

遠回りだ。

最短距離を選ぶとしたら、もう一度学校へ戻って、裏の山門からやり直すのが、最適解なのは分かっている。

だけど……。

俺は顔を上げた。

目の前に広がる街並みはずいぶん違って見えても、本当は何にも違ってなんかいない。

結局それは、全部繋がっているんだから。

慣れない道を下りながら、俺はここからどうやって家に帰ろうかと、そのことばかり考えていた。
 翌日から、すっかり舞香の姿を見かけなくなった。

当然のことだ。

休み時間ごとにのぞきにきていた教室にも、必ず絡みにきた昼休みも、顔を出さない。

放課後も同じ。

俺は誰もいない部室で一人、カメラをパソコンにつないだ。

 ファイルフォルダーの中の、無駄に撮った画像を次々と流している。

ふとマウスを動かす手が止まった。

別フォルダーとして放置されていた『星空』のファイル。

初めて舞香とハクを見た時の写真だ。

山本が入ってくる。

ドカリと隣に腰を下ろした。

「別れたの?」

 紙パックのマンゴージュースを飲んでいる。

それは俺が最後にハクに買ってやったのと、同じヤツだ。

「だ、れ、が? だ、れ、と?」

「お前と舞香ちゃん」

 ズズッという音を立てて、最後の一滴をすする。

飲み終わったそれを、ポイとゴミ箱に投げ入れた。

山本の外したそれを、俺はちゃんと捨て直す。

「だから、付き合ってないって」

「希先輩と荒木さんを奪い合って、希先輩が負けたっぽい」

「は?」

「舞香ちゃんと荒木さん。付き合いだすんじゃね?」

 思わず立ち上がる。

「圭吾はそれでもいいのかなーって」

「よくない!」

 よくはないけど、よくなくないこともない……。

「つーかソレ、なに情報だよ」

「みゆき情報」

 みゆきか……。まぁ、表現の仕方は問題あるけど、要するにそういうこと、ではあるのだろう。

「お、俺には関係ないから……」

「あっそ」

 腰を下ろす。

もう一度立ち上がって、また座る。

山本と目が合った。

「なにやってんの」

「何も!」
 そもそも俺は、山本と一緒で、偶然ハクを目撃してしまっただけの、無関係な人間だ。

ちょうどよかったじゃないか、役者がそろったとは、このことだ。

彼女はきっと、本物の荒木さんと出会って、それから……。

「いや、待った」

 立ち上がる。

ハクたちにとって、人間の一生が一瞬のものなんだったとしたら、舞香に乗り移ったハクにとっても、彼女の命は一瞬のものだ。

言ってたじゃないか、白銀の龍も、人の一生は目が回るほど忙しいって。

だとしたらその一瞬を、ハクは舞香として荒木さんと過ごすという選択肢もあるんじゃないのか? 

天上では結ばれなくても、地上では……。

「いや、待て」

 腰を下ろす。

ハクと荒木さんは兄妹だ。

兄と妹だ。

そりゃ神さまの世界はどうだか知らないけど、兄妹で結ばれるってのも、違うんじゃないのか? 

人間になったときのハクの幼い姿が、人間に換算された年齢だとするならば、それはそれで恋愛対象ってのも違う気がする。

「いや、違う」

 立ち上がった。

物の怪に取り憑かれた人間の末路がどうのこのとか、ハクは言っていたじゃないか。

そういうのって、大体あんまよくない話しだよな? 

昔話とかによくある、キガフレルとかいうヤツじゃない? 

そもそも、ハクに体を乗っ取られてしまっているっていう状態は、彼女は彼女としての人生を送れないということになってしまう……。

それは、いいのか?

「いや、だけど……」

 だけど、共にありたいと言っていたのは彼女自身だし、ハクもそれを舞香が望んだって言ってた。

実際の契約というか、約束がどうなってるのかは分からない。

だけどハクだって、そんな悪い奴とも思えない。

だったら、俺がそんな心配するようなことは、ないのかも……。

「そもそも、俺には関係なかったはな……」

「いいから行ってこい」

「どこに! 俺はあの二人の仲に、口出しする権利なんか持ってないから!」

「池の近くでモメてたぞ。荒木さんと」

「は?」

 山本を見下ろす。
「まだいるんじゃないのか」

「そんなことを言われたって、俺は校内選抜用の写真を選ばないと……」

 座ろうとしたその足が、椅子に当たってゴトリと音を立てた。

いや、やっぱ違うだろ、俺!

「あ、用事思い出した。ちょっと行ってくる。え、えっと、すぐ帰ってくるから。職員室に、ノート取りに行かないといけないんだった……。痛っ」

 また机に足をぶつけた。

絶対あざになっているやつだ。最悪だ。

「そうだ。数学のノート、忘れてた」

「いってら」

 廊下へ今すぐにでも飛び出したいけど、ゆっくりとそれを開ける。

慎重に扉を閉め、しっかりと隙間なく閉じられているのかを目視した。

よし。行こう。

 走りたいけど走らない。

走って行ったりなんかしたら、絶対引かれるし怪しまれる。

「あんた何しに来た?」って言われる。

だから走ってなんかいかないし、普段通り、何となく偶然通りかかったみたいな感じで、さりげなく……。

 右足が動き、左足が動く。

その交互に入れ替わる動きが、次第に加速している。

どうやって彼女に話しかけよう。

怪しまれない方法って、なにがある? 

普通に「おー」とか、手を振るくらい? 

そっからさりげなく近づいて、なにげない雰囲気で……。

階段を飛び降り廊下を駆け抜け、校舎を飛び出すと芝生を走った。

「こんにちは!」

 水たまりみたいな池の横に、彼女と荒木さんは立っていた。

「お……、お久しぶりですね! ……。げ、元気でした……か」

「……。どうした。ずいぶん息が切れてるぞ。走って来たのか」

「やだなぁ! ははは……。遠くで、ちょっと見かけたも……ので……」

「その割りには一直線だったぞ」

 両膝に手をつき、息を整える。

「舞香は?」

「何の用だ」

 ハクの手が、荒木さんの腕に触れた。

「お前が来るな」

「来ちゃ悪いのか」

 そう言われるってことは、こっちだって予想済みだ。

「お前が探してるのは、宝玉じゃない。お兄さんなんだろ?」

 彼女の意識が、ようやく俺に向いた。

「確かに会ったよ、あの教室で。だけどそれは、荒木さんじゃない」

 舞香の体が、その荒木さんから離れた。

「どういうことだ。もっと詳しく話せ」

「やだね。約束したんだ。絶対に他の人には話さないって」

「無駄だな。私がお前の中に入れば、それで済む話しだ。抵抗はできない」

 ハクが一歩ずつ俺に近寄る。

動きたいのに、金縛りにあったように体が動かせない。

彼女の両腕が伸び、頬を押さえた。

彼女の肩までの髪が揺れ、ゆっくりと額を合わせる。

「痛っ!」

 パッと雷光が走った。

チカリと眩しい光りに、思わず目を閉じる。

俺たちは互いにはね飛ばされ、尻もちをついた。

ハクの触れた額が痛い。
「何をした!」

「何もしてない。お前こそ、何をしようとした」

 額に手を当てる。乗っ取られた? 

いや、俺は乗っ取られてない。

乗っ取られてない乗っ取られてない……。

だから多分、大丈夫! 

舞香はゆらりと起き上がった。

「なるほど、確かにお前には、何かがあったようだ」

 彼女が真っ直ぐに立ち上がったその瞬間、ガクリと体は崩れ落ちた。

咄嗟にその腕を支えたのは、荒木さんだった。

「大丈夫か」

 舞香を支え、その場にまた座り込む。

「あ、荒木さん。離れてください! 危険です」

 舞香は意識を失っているようだった。

荒木さんの腕の中でぐったりとしている彼女の額に、乱れた髪がかかっている。

「あ、荒木さん! いま、舞香の中身はハクですよ! 何されるか分からないから、離れてく……」

 彼の手は、その舞香の前髪を丁寧に整えた。

「だから、危ないって……」

「危険なんてない。お前には分からないのか」

 荒木さんは自分の腕に彼女を抱いたまま、じっと彼女を見つめている。

その視線はまるで、何よりも愛しい者を見つめる視線のようで、めっちゃ近寄りにくい。

めっちゃ近寄りにくい雰囲気ですけど!

「い、妹さんですからね。荒木さんにとっては!」

「妹ではない。後輩だ」

「そりゃそうですよ、舞香はね!」

 仕方ない。

てゆーか、ハクにしたって、このヒトを傷つけるようなことは、しないだろう。

くそっ、ちょっと怖いけど、しょうがない。

ドカドカと近寄る。

俺もすぐ隣にしゃがみこんだ。

「妹……なのか?」

「らしいっすよ」

「なぜ?」

「なぜって……」

 荒木さんは、腕に眠る舞香を見つめている。

それを知っているのは、本当は荒木さん自身なんだけど……。

「舞香はお前に任せる」

「え?」

「頼んだぞ」

 彼の腕にあった彼女の体が、俺の胸に預けられた。

突然のその重みと体温に、びっくりする。

「え! ……。えぇ?」

 ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って……。

うろたえる俺を無視して、荒木さんは立ち上がった。

「ど、どこへ……」

「分からん」

「あの、俺を一人にしないでください……」

 そう言うと、彼はじっと見下ろした。

フッと優しくない顔で笑う。

「お前は大丈夫だ。好きにしろ」

 えぇ……、やっぱヒドい……。

荒木さんは校舎の中へ消えてゆく。

あのヒト、本当に余計なことに関心ないな。

つーか、どうすんだよコレ……。

俺に託されてしまった舞香は、まだ眠っていた。

彼女の背と腕とが、俺の胸と手に接している。

これ以上どこをどう触っていいのかも分からない。

てか、これはハク?
「おい、起きろ」

 体を揺すってみる。

何度かそれを試して、ようやく目を開いた。

「あ、あれ……。圭吾?」

「そうだよ」

 彼女はようやく、自力で身を起こした。

「なに? ……どういうこと?」

「記憶がないのか?」

「……。それはある」

「あぁ、よかった。それなら話しは早い」

 俺はため息をついた。

だったら荒木さんがここにいないのは、逆によかったのかもしれない。

「宝玉を探そう。手伝う」

 彼女はぼんやりとしたまま、じっと俺を見上げている。

「どこまで捜索が進んだのか、俺は知らないから。悪いけど聞かせて」

「嫌だ」

「どうして」

 彼女の目に、涙がこみ上げてくる。

ゆっくりと首を左右に振った。

「わ、私……約束したの。一緒にいるって……」

「それは、荒木さんと一緒に、地上でいたいってこと?」

「違う。それは、天上のルールで、出来ないから……」

「よかった」

 だとしたら、もう迷うことはない。

「あのヒトは、ハクに会いたくないんだって。そう言ってた。自分と会うことは、ハクにとってはリスクなんだって。それは、ハク。自分でも、分かってんだろ? 危険を冒して、こんなところまでやってきたお前の本当の望みは、宝玉を探しだして、そのヒトに会うこと。違う?」

 俺は、彼女の目をそっと見つめる。

「だけど、これ以上罪を重ねてほしくないんだって。だから、大人しく待っててって。そしたらちゃんと、会いにいくからって」

 最後のセリフは、俺が勝手に付け足した言葉だけど、それでもきっと分かってくれる。

ハクとあの白銀の龍なら大丈夫……。

あのヒトなら間違いなく、そう言うに決まっている。

彼女の頬を、涙が伝った。

「時間がないの。地上に降りていることが見つかったら、大変なことになるって……」

「多分あのヒトも、そのことを心配してたんだと思う」

「……。宝玉はね、戦後発見されて、元の池にあった場所に戻されたらしいの。だけど、この学校が建てられることになって……」

「じゃあ、学校建設前には、やっぱりここにあったってこと?」

 彼女はうなずく。

この学校は、最近建てられたものだ。

間もなく創立50周年を迎える。
「あのパネル! 学校のホームページに載ってたやつだ」

 スマホを開く。

学校史のページを開くと、森の中に沼のような深い池があり、その畔には小さな祠が写っていた。

「じゃあやっぱり……」

「この近くにあるんだよ」

 彼女と目が合う。

「探そう」

 俺たちは立ち上がった。

池の周辺には、整備された芝生が広がっている。

中庭にも校庭の隅にも、こんな祠は見たことがない。

「この近くっていっても、だけど校内にはないよね」

「だとしたら……。このなかに、まだ残されてる?」

 俺は夕闇に沈もうとしている、深い森を見上げた。

「ハク! お前、ここから出入りしてなかったか?」

「え?」

「なんか前みた時、ここから出てきてただろ」

 そうだ。

抜け穴があったはずだ。

小さな女の子になったハクが、この辺りの藪から飛び出してきていた。

俺はフェンスからはみ出した木の枝をかき分ける。

足元に直径十数㎝の穴が開いていた。

「ハク専用かよ」

 仕方ない。

乗り越えるには、高すぎるフェンスだ。

高さは6メートルくらいはある。

「山門の方から回ろう」

 歩き出した俺の後ろを、距離を保ったままの彼女がついてくる。

駆け出そうかとも思ったけれど、舞香にその気配がないから、ゆっくり歩く。

裏門から外へ出た。

 その道は、アスファルトで固められた急な下り坂だった。

左手に迫る原生林の植物の侵食を押さえ込むため、切り開いた断面をコンクリートで固めてある。

俺の頭より少し上くらいの高さだ。

乗り越えようと思えば超えられる。

見上げるその向こうには、1000年前から変わらない森がある。

どこからなら上りやすいだろう。

俺が先に上がって、後から舞香を……。
「ねぇ、……そんなところ、怖いからヤだ」

「そんなこと言ったって、もう残ってる可能性は、ここしかないでしょ」

「暗くなるよ。明日にしよう」

 俺は彼女を振り返った。

「だ、だって、この森、ヘンな噂が一杯あるでしょ? 変な人がうろついてるとか、暴行事件があったとか……」

 まぁ確かに、そんな噂がないワケではない。

それは知っているけど、本当にあったかどうかだなんて、誰も確かめたことはなかっただろ。

「だけどハクは、帰らなきゃならないんだろ? 天に」

 彼女は首を横に振った。

「え……、だって……。自分がどんだけヤバいことしてるのか、本当に分かってる?」

「私、言ったよね、そんなことしたくないって!」

「時間がないって言ってただろ。見つかる前に帰らなきゃって」

「だから、それは一瞬の出来事だって……」

「あのヒトは、迷惑だって言ってんだよ」

 日が沈む。

辺りがすっかり暗くなってしまう前に森に入らないと、本当に何にも見えなくなってしまう。

「なにがあったのかは知らないけど、お前は黙ってここへ来たんだろ? あのヒトは、お前までこれ以上巻き込みたくないからって、お前を頼むって、俺に言ってきたんだ」

「……。本当に会ったんだ……」

「会ったよ。あの日、教室で……」

 坂道をゆっくりと下ってゆく。

コンクリートの斜面が、肩のあたりまで下がった。

ここからなら上れる。

俺はそこに手をかけた。

「待って!」

「私、行きたくない! ハクと離れたくないって言ったよね!」

「え?」

 俺は彼女を振り返った。

「ハクが天に帰っちゃったら、私との約束はどうなるの?」

「……。もしかして、まいか……ちゃん?」

「そうだよ。本気でハクだと思ってた?」

「だって、ハクが……」

「うん、そうだよ。乗り移ってたよ。私はハクで、ハクは私だったよ。だけどね、そんなのは一時のことだけ。常に入れ替わってたし、ハクはハクで忙しくしてたの。だから圭吾が見てたのは、ハクばっかりじゃないし、私だけでもないの!」

 そんなこと言われたって、俺に分かるワケが……。

「自分の……わがままだって、分かってる。ハクにとって、何が一番大切なのか。ハクのことを本当に一番に考えるなら、どうしたらいいのかなんて、言われなくても分かってる。ここにはずっと、一緒にいられないことも……」

 舞香の肩までの髪が、小刻みに揺れている。

「い、いじわる……しちゃった。ハクのこと、手伝いたくなかった。話しもちゃんと聞かなかったし、わがままばっかり言って……」

「……。俺も、似たようなもんだから……」

 そうだよ。

俺だって、何もかも面倒くさいと思ってたよ。

避けてたし逃げてたよ。

本当はどうすればいいのかなんて、ずっと前から分かっていたのに……。