翌日の天気は晴れ。
演劇部員は朝の7時に公会堂へ集合だったみたいだけど、俺たち写真部は8時に会場へ入った。
「リハーサルがあと10分で始まるから、よろしくな」
当然だけど、今日は荒木さんがいる。
「私は他の準備があるから、ちょっと撮影準備の方、お願いしてていい?」
「もちろん」
会場後方、中央部分にある機材ブースに入る。
カメラの電源を入れ、充電量を確認した。
空き容量も大丈夫だ。
舞台の幅に合わせて、映像の映り具合を調整する。
話し合った末、本番は舞香が中央全景カメラにはりつき、俺と山本が舞台下から撮影することになっていた。
リハーサルが始まった。
細かい操作や設定、注意点を再確認する。
一緒に準備してきたんだから、そこは安心している。
開場時間を迎えた。
「圭吾。ちょっといいか」
荒木さんに呼ばれた。
明るい客席に、誰かと手をつないで、会場通路を下りてくる。
「この子を頼む。どうしても上演が見たいって聞かないんだ」
「え?」
ハクだ。
また小さな女の子の格好をしている。
「いいんですか?」
「あらぁ! ハクちゃん本当に来たんだ。いいよ。私が一緒に見てあげる」
希先輩が手を伸ばした。
自分の目の前に差し出されたその手を、ハクはじっと見つめているだけで、動こうとはしない。
「なによ。やっぱり私のコト嫌いなワケ?」
「かわいーですね。妹さんですか?」
何も知らない山本は、かっちりとした濃紺の制服を着込むハクを見下ろした。
ハクは山本を見上げたまま、つないでいた荒木さんの手をぎゅっと握り返す。
「人見知りでね。実はロクに話しも出来ないんだ」
「そうなんだ。荒木さんも大変ですね。さすがに舞台袖はちょっと無理だけど、客席なら……」
そのハクの手が荒木さんを離れ、俺の手を掴んだ。
「はは。やっぱ圭吾がいいってさ。よろしく頼むよ」
なんだそれ。
つーかそんな目でにらみ上げられても、俺は面倒見切れないぞ。
「大丈夫よ、私もついてるからー」
希先輩の手が、俺の肩にのった。
全身がビクリとなったのを、ハクはフンと鼻で笑う。
いや、だから……困るって……。
舞台下で撮影をしなければならない俺たちの席は、最前列の一番隅っこに用意されていた。
俺の補助として希先輩がつき、山本の方にはみゆきがいる。
ハクは冷ややかな目で俺と希先輩を順番に見上げたあと、俺の席だったはずのところに、ちょこんと腰をかけた。
仕方なく希先輩がその隣に座る。
「なんで来たんだよ」
周囲に聞かれないよう、ハクにそうささやく。
ハクはこちらをチラリと見ただけで、返事はしない。
「この子、私に対しても無愛想なのよねー」
「最初めちゃくちゃ懐いてたじゃないですか。俺は未だに全然なのに」
「最初だけだったの!」
何があったんだろう。
プリプリ怒ってる希先輩と、すました顔で前を向くハクを見比べる。
「ハク、世話になる人の言うことくらい、聞けよ」
そう言ったら、ガツンと一発、足を蹴られた。
くっそ。
子どもの格好してるからって、ナメやがって。
「屋内では、帽子は取ろう」
腹いせに帽子を持ち上げたら、あごひもがびよーんと伸びた。
それは素直に自分で外して、膝に乗せる。
舞台が始まった。
何度も見たことのある、同じ動き同じセリフが、何一つ変わらないまま台本通りに進んでゆく。
ハクは練習していたのを、見てはいなかったのかな?
他の生徒たちに見つかるのを恐れて、それも出来なかった?
一人隅っこに座る、小さな女の子をそっと眺めた。
ハクを人間の女の子の年齢に例えたら、このくらいの年頃になるんだろうかと思うと、ちょっと複雑な気持ちになる。
希先輩はウトウトと寝てしまっていた。
何てことのない現代劇だ。
舞台は高校で、ちょっとしたミステリーを織り混ぜた青春モノ。
ハクは人形のように、真っ直ぐ前を向いたまま、まばたきもしないでじっと見上げている。
天上に住む龍が、こんな人間のベタな物語に共感なんて出来るのかな。
俺にはそっちの方が不思議だ。
幕間にトイレは大丈夫かと、座り続ける彼女に聞いたけど、「うん」とうなずいただけでやっぱり置物のように動かない。
「面白い?」
そう尋ねても、返事はなかった。
希先輩はそのハクにあれこれと話しかけ、世話を焼こうとはしていたけれど、それにも全くのお構いなしだ。
無反応過ぎるハクに、ついに希先輩はさじを投げた。
「何考えてんの」
俺がサラサラと黒すぎる髪に触れようとしたら、それは払いのけられた。
意識はあるらしい。
上演は再開され、俺はまた舞台下を撮影班として、ちょろちょろと動き回る。
芝居が終わって、大きな拍手が沸き起こり、ようやく息を吐き出した。
「おつかれ」
山本とハイタッチ。
「片付け手伝いに行こう」
「圭吾はその子連れとけよ」
山本と希先輩は、さっさと舞台袖に行ってしまった。
俺は明るくなった客席で、ハクの隣に腰を下ろす。
「どうする?」
無言のまま、彼女は俺の手を握った。
そりゃ舞台袖に上がりたいのは分かるけど、こんな小さな子を連れて行くのはダメだよなぁ。
かといって、本当は幼くないコイツの扱いを、どうしていいのかも分かんないけど……。
目が合った。
ハクは俺の手を引いて、撤収作業の始まる舞台下まで近寄る。
「えっと、ここまでにしとこうね」
慣れない口調とちぐはぐな会話に、ドッと汗をかく。
その場に立ち止まると、彼女はじっと何かを目で追いかけている。
何を見ているんだろう。
顔を上げると、舞香と目が合った。
「圭吾。先に帰っててよかったのに。あぁ、ハクを任されちゃったのか」
ハクは壇上の彼女に向かって、小さな白い手を振った。
「うん。一緒に帰ろう。待っててね」
以心伝心? 俺には何も聞こえないのに……。
ハクは何かを言いたげに俺を見上げたけど、そんな目で見られても俺には分かんないよ。
撤収作業が終わって、公会堂の外に出る。辺りの日はすっかり落ちていた。
演劇部員の最後のミーティングが終わると、いつの間にか用意されていた花束が、演劇部員全員に手渡される。
感動の一幕ってやつだ。
みんなは拍手と笑顔でその輪の中に入っていたけど、俺とハクは手をつないだまま、離れたところでその様子を見ていた。
ハクはまばたきもしないで、じっとその様子を見ている。
その中心にはやっぱり荒木さんがいて、やがてそれも解散となった。
「お待たせ」
荒木さんがこちらに向かって来る。
何かと思ったら、いきなりハクを抱き上げた。
「いい子にしてたか」
笑った!
ずっと能面のように固かったハクの顔が、うれしそうに笑った。
荒木さんもハクのその表情に、目を細める。
抱き上げたハクの頬に自分の頬を寄せた。
「圭吾に意地悪されなかったか」
ハクは荒木さんの頭にぎゅっと抱きつくと、その髪に顔を埋める。
声を出さず笑う彼女の姿に、俺は正直、面食らっている。
「もーね。荒木くん、ハクにベタベタのあまあま」
荒木さんに抱かれたまま、ハクは自分で乱したその人の髪を、ちょろちょろと小さな手で直し始めた。
「はぁー。ハクはいい子だね。ありがとう。このまま抱っこしてる?」
なぁ、兄妹だってのは、内緒にするんじゃなかったのか?
いいのか、そんなんで?
コレ絶対バレてるだろ。
他の部員たちはすでに姿を消していて、残っているのは俺と荒木さんと舞香、希先輩だけ。
「俺には妹がいたんだ」
ふいに荒木さんは言った。
夕焼けの落ちてゆく日の光りが、その二人を包む。
「歳の離れた妹で、ちょうどこれくらいの年頃の時に病気で亡くして……。そっくりなんだ。だからどうしても、ほっとけない」
ハクを見上げる目は、ここではないどこかを見ていた。
ハクもその彼の腕に高く抱かれ、じっと見下ろしている。
「にしたって、デレ過ぎない?」
希先輩にそう言われ、ハクは再びぎゅっとしがみつく。
荒木さんの首にしがみついたまま、希先輩を見下ろした。
「黙れ。お前になど用はない」
「ちょっと! 本当の姿に戻りなさいよ。デレるのは妹キャラの時だけで、本当の姿にはこの人、全然興味ないんだから!」
「ハクちゃ~ん。そろそろ一緒におうち帰ろぉ」
そう言った舞香の声は、泣きそうだ。
その涙の訴えに、ハクは荒木さんの腕の中で、ポンッと本当の姿であるチビ龍に戻る。
「ハクちゃん!」
龍の姿に戻ったハクの首根っこを、ガシッとつまんだ荒木さんは、そのままグイと舞香に押しつけた。
今度は舞香が、チビ龍のハクを抱きしめる。
荒木さんはあっさりと二人に背を向けた。
「じゃ、お疲れ。ゆっくり休めよ」
「ちょ、待ってよ!」
希先輩は、すぐに荒木さんの背中を追いかける。
振り返ることもなく行ってしまった彼の腕に、自分の腕を絡めた。
「ねぇ、話しがあるんだけど……」
希先輩は荒木さんの腕に絡みついたまま、気遣いも見せない彼を見上げる。
希先輩の横顔は沈む最後の夕陽に照らされ、浮きあがっていた。
あっという間に俺たちは、この場にとり残されてしまう。
街路樹と交互に並んだ外灯に、明かりが灯った。
「荒木さん、龍のハクには興味ないんだ」
「うん。人間に化けてないと、見向きもしない」
「同じものなのにな」
舞香の腕の中の、ハクを見つめる。
彼女は何も言わなかった。
「か、帰ろっか。もう遅いし」
俺には半透明に透けて見えるハクが、舞香の腕からふわりと飛び上がった。
「私は少し、様子を見てくる」
「……。ハクはやっぱり、荒木さんと希先輩が気になる?」
「宝玉が眠っているのかもしれないのだろう? もう少し、この公園付近を回ってくる」
舞香の質問には答えず、ハクは一匹で出かけてしまった。
俺と舞香は、すっかり日の落ちた公会堂を後にする。
彼女と肩を並べて歩いた。
いつもの通学路とは違う道のりが、歩く二人の距離を縮めているような気がした。
「荒木さんね、妹さんのこと、すごく好きだったみたい」
彼女はポツリと、そうつぶやいた。
「歳が離れてて……。ほら、荒木さん、自分以外に興味ない人だから。妹さんのことも、そんなに相手にはしてなかったみたいなんだけど……。病気が分かって、入院して、そのまま退院することもなく、あっという間に亡くなったんだって。荒木さんが小学生の時の話しらしいから、もう何年も経つんだけど……」
それは、あのヒトの天上での過去と繋がっているのか、それとも現世で受ける罪の一部なのか……。
「いまも後悔が残っていて、その妹にそっくりなハクを見ると、どうしても我慢できなくなるんだって」
「……。俺さ、前に荒木さんが龍のハクを捕まえて、外に放り投げてるの見ちゃった」
「そう! ツンデレっていうの? 人間の女の子の時と、龍の時との差が激しいの……」
彼女の目に涙が浮かんだ。
「私のハクちゃんなのに……」
「えぇ? わ、私のって、宝玉見つけて天に返すんでしょ?」
彼女の顔は、パッと俺を見上げた。
たっぷりと涙を含んだ目が震えている。
「どうしよう……。私、ハクと離れたくない。離れたくないの。本当は宝玉なんて、見つかってほしくない!」
「だ、だってそれじゃあ……」
「ハクとずっと一緒にいたい。私が死ぬまででいいから、天になんて帰らないでいい。そばにいてほしいの!」
ドンッと俺の胸にすがりつく。
いや、ここ人通りの多い繁華街なんですけど?
バシッと咄嗟に両手を挙げ、俺はバンザイ維持状態に突入!
「ちょ、ちょっと待って……」
「私、別れたくない!」
いやいやいやいやいや!
周囲の視線が痛い。
俺は彼女の肩を引き離した。
「どういうこと? もしかして、ハクの邪魔してんの?」
「じゃ……ま、は、してない。ただ、一緒にいたいだけ」
「好きなんだ」
彼女の目に涙が浮かぶ。
「ペットって言ったら、ハクは怒るかもしれないけど、私にとってはもう、大切な家族みたいな存在なの。ずっと一緒にいたい。ハクはそうじゃないかもしれないけど、私は……」
鼻水をズズッとすする。
強く固い決意に満ちた目で、彼女は俺を見上げた。
「ハクを天には帰さない。宝玉は見つけない。ハクの寿命が長いのなら、私の一生なんて一瞬のはずでしょ? だったら私が死ぬまで、絶対一緒にいてもらうから!」
彼女の体が離れる。
ふらふらと歩き出した。
人通りの中でくるりと振り返ると、ビシッと俺を指さす。
「絶対に別れないから!」
「あぁ……」
頭が痛い。
だからココ、人通りの多い繁華街なんですけど……。
街を行き交う人々の視線が辛い。
色んな意味で。
盛大なため息をつく。
やっぱり関わるんじゃなかった。
ハクは1,200年前に天から地上に落としたという、宝玉を探しに来ている。
見つけ次第帰るというが、本心は他にある。
ハク自身は誰にもバレていないつもりだろうけど、俺だけは知っている。
白銀の龍を見つけ出すこと。
宝玉が見つかれば、白銀の龍もすぐに探し出せるらしい。
ハクの真の目的は、この白銀の龍に一目会うことだ。
その白銀の龍は何の罪だか知らないが、罰を受け地上に降ろされている。
刑期は5,000年で、まだまだ終わらない。
現在は演劇部部長の荒木さんとして存在しているが、荒木さん自身に天上での記憶はない。
彼は龍のハクには興味はないが、女の子に化けている時だけは溺愛する。
宝玉探しには協力的。
だけど本当のあのヒト自身である白銀の龍は、自分を探しに来たハクと顔を合わせることなく、正体も見破られることなく、天に帰ってほしいと思っている。
舞香はハクとずっと一緒にいたいから、宝玉なんて見つかってほしくなくて、希先輩は……。
きっと荒木さんが関わっているから、そこにいるだけなんだろうな。
あと、ハクのことがバレているのは、山本か。
知らなければよかったんだ。
きっと。
そうだったら俺は、こんなに悩むこともなかったし、考えることもなかっただろう。
平和な日々を送り、いつものように学校へ行きご飯を食べ、眠っていた。
だったら忘れてしまえばいいじゃないか、もうキッチリ関係を断つと決めたら、それでいいじゃないか。
少なくとも彼女は……、舞香は、それでいいと思っている。
俺にしたって、面倒くさいのは嫌だ。
根本的に関わりたくない。
てゆーか、俺みたいなのが関わったところで、なんかある?
翌日の写真部部室には、舞香が来ていた。
撮影した本番の編集作業のためだ。
「ゴメンね。これが終わったら、ちゃんとモデルするから」
正面で2台、舞台下からの撮影2台、計4台のカメラからの編集だ。
文字入れ等の必要がないとはいえ、台本と見比べながらの早送り鑑賞が続く。
進んでは戻り、戻ってはまた進める。
台本で確認しながら、役者の見せ所では舞台下からの映像を使い、適宜全景と組み合わせながら編集していく。
彼女の作業を横目に見ながら、自分の現実もこうやって編集出来ればいいのにと、そんなことを思った。
「この場面、どっち使ったらいいと思う?」
「う~ん……。やっぱ左カメラかな」
「だよね。ありがと」
「俺も人生編集したいな」
そう言うと、彼女は笑った。
「撮影より編集の方が大変だよ」
「そっか。じゃあ素直に撮られるだけにしとくか」
「うん。そっちだけの方が絶対楽しいし、楽だと思う」
編集作業は進んでいく。
時々部室に誰かが入ってきては、また出て行った。
俺と彼女しかいない狭く薄暗い部室で、カチカチと動かすマウスの音が響く。
校庭から聞こえる声は、別世界からの音声のようで、パソコン画面の中で何度も何度も同じシーンの繰り返される、この変わらない芝居の方が俺たちには現実だった。
下校時間が近づく。
今日の作業はここまでだ。
「今日はハクは?」
「いつも一緒にいるわけじゃないの。自由気ままにあちこち行ってる。自分でもちゃんと探してるよ。ハクは」
片付けをして、部室を出た。
山頂の学校からは、夕暮れの街が一望出来る。
通い飽きた坂道を並んで歩いた。
今日はいつもと同じように、彼女との距離は遠い。
「……。宝玉探し、手伝わなくていいんだ」
「だって、今は忙しいんだもん」
だけど、それだとハクは困っているだろうなって、そんな言葉を飲み込む。
俺だって手伝っているわけじゃないし、手伝いたいとも思っていない。
通学路は森の中なのに、山を下りれば市街地だ。
人の住む街の気配がする。
「昔ここは、全部こんな山だったのかな」
通学路と原生林を分ける境界線のフェンスの向こうには、深い闇の森がある。
「ハク、空から落としたとき、地上の様子までは見てなかったんだって」
「なんでそんなことしたんだろ」
荒木さんは……。
あの白銀の龍は、人には分からないからと、何も言わなかったけれど……。
午後の日に輝く、美しい姿を思い出す。
頭上の夕焼けに一番星が輝いた。
それはとてもとても小さくて、遠い星だ。
「悪いけど、私にはそんなこと、どうだっていい。初めてなの、こんな気持ち。だれかと一緒にいて、嫌じゃないっていうか、何でも話せるっていうか……」
彼女の歩く足取りは、とてもとてもゆっくりで、今にも止まってしまいそう。
「ハクってね、何でも聞いてくれるのよ。私の話をいつでも聞いてくれて、いつも応援してくれるの。自分だって困ってるのにだよ? 『私は急がないから』って言ってくれて。優しいの。助けてって手を伸ばしたら、いつでもその手を握ってくれる。欲しかった言葉をくれる。側にいて、一緒に眠ってくれる。いつだって……」
彼女の足が止まってしまった。
「ハクの寿命がとんでもなく長くて、私たち人間の一生は一瞬なんだったら、そんなの、ハクにとってはまばたきする間のようなものでしょ。それくらいの時間、付き合ってくれても悪くないんじゃない?」
「それをハクも望んでいるのなら……」
「ハクは私のこと、好きって言ってくれてる」
「だけど……」
彼女は一歩前へ、パッと飛び出した。
スカートのすそを、くるりとひるがえす。
「圭吾はこんな話し、興味なかったよね。自分のことで忙しいんだし」
微笑むその笑顔は、俺にも身に覚えのある顔だ。
「圭吾は絶対に邪魔したり、関わったりしてこないって思ったから、こんな話ししたの。知ったからって、無関心でいられる人でしょ? 関係ないし! 他人の領域も自分の領域も、ちゃんと守れる人だよね」
彼女の見上げる黒い目と髪が、夜の闇と混じり合う。
「そういうところが好きだし、信用できる。私は圭吾の邪魔をしない。だから圭吾も、私の邪魔をしないでね。じゃ」
坂道を駆け下りる、彼女の背を見送る。
そりゃ俺だって、関わりたくはないよ、今だって十分すぎるほど、面倒くさいと思ってるよ。
「……。俺は、そんな都合のいい奴じゃないんだけど……」
すっかり日の暮れた停留所で、いつも遅れてくるバスに乗り込む。
ようやくやって来たその中で、俺は揺られながらいつになくイライラしている。
巻き込むなって言ってんのに、巻き込んでるのはどっちだよ。
あぁ、そうか。
これ以上関わらなければいいんだ。
俺には最初っから、関係ないんだった。
関わってほしくないとか、邪魔するなとかいうなら、わざわざ話しなんかするなっつーの。
なんなの?
もしかして自分の話しを聞いてほしかっただけ?
彼女の言う通りだ。
ちゃんと自分の境界線は守ろう。