龍神さまのいるところ

「悪いな。こっちにはこっちの都合があるんだ。お前の邪魔をする気はない。そこで撮影を続けてくれ」

「待って。どこへ行くんですか」

 荒木さんはハクを見下ろす。

ハクはその小さな頭を横に振った。

「急いでるんだ。また後にしてくれ」

「記憶! 記憶は?」

「記憶? なんだそれ。俺はいつだって気は確かだが?」

「だって……」

 ハクの俺をじっと見つめる視線に気づいて、グッと言葉を飲み込む。

「悪いな、行くぞ」

 歩き出す二人の、その背中を見送った。

……いやいや、違う。違うだろ! 

俺は体育館へ走った。

何が自分の記憶を消す、だ。

もしかして、ハクはもう気づいてる? 

荒木さんにとって、演劇部の大会より大事な用って、なんだ? 

部活より、ハクにバレないことの方が、大事なんじゃなかったのか? 

見慣れた体育館は、いつもと変わらない。

重く垂れ下がる暗幕を引き剥がした。

真っ暗な体育館の中にいた生徒たちが、一斉に振り返る。

「あ……。すいません……」

 明かりを消した体育館では、舞台の上演中だった。

そこには山本と希先輩とみゆきと、他の写真部員たちもいて、驚いた舞香と目が合う。

完全に場違いな登場をした俺は、慌てて分厚いカーテンを閉めた。

やってしまったことに、震えている。

 俺が恐怖にも近いようなものに震えているのに、だけど声だけ漏れ聞こえるそれは、部外者の乱入を問題にすることもなく進んでゆく。

落ち着け、俺。

そんなことより、大事なことがあるだろ。

 わずかな隙間からのぞいてみようかとも思ったけど、暗い所へ差す光は、目立ちすぎる。

連絡を入れるにしても、山本も希先輩もみゆきも、舞香までこの中だ。

どうして自分は、今この瞬間、この中にいなかったんだろう。

え? 荒木さんは? 部長でしょ? 

いなくていいの? さっきのは別人? 

もしかして中に本物の方がいるとか? 

その場にうずくまる。

違う。

無駄にする時間なんてない。

そうだ。

自分のことをするんだ。

どうして山本が中に入っている? 

今日は来なくていいって、彼女から連絡が入ったんじゃないのか? 

なんで希先輩まで? 

全員、無関係じゃなかったのかよ。

「あぁ、無関係なのは、俺だけだったってことか……」

 拒否したのは、遠ざけていたのは、立ち入らないと決めたのは、この俺自身だ。

「ハクは?」

 荒木さんの秘密を知っているのは、俺だけのはずだ。

その確認をしたかったのに、結局それも出来ていない。

「圭吾」

 目の前の暗幕が揺れた。

わずかな隙間が開いて、顔をだしたのは、舞香だった。

「もう入っていいよ。見に来てくれたの?」

「ご、ゴメン。邪魔したみたいで……。あ、荒木さんは?」

「部長に用事? 今日は元々、どうしても抜けられない用事があるからって、休みだったの」

「それは、あ、あの……ハク関連?」

 彼女はただじっと俺を見下ろした。

「どうして?」

「さっき、会ったから……」

 彼女は暗幕を広げた。どうやら幕間休憩らしい。
「それは……。公会堂の搬入手続き」

「そっか……。そりゃ大事だよね……」

 やっぱり俺は、ここには入れない。

さっさと視界から消えようと、立ち上がり背を向けた。

「ねぇ、よかったら見て行って」

 体育館の中央では、俺ではない別の誰かがカメラの調整をしていて、舞台下でも、演劇部員が撮影をしているようだった。

もう俺の居場所は、ここにはない。

希先輩や山本にはそこにいる理由があっても、俺にはない。

「えっと、三脚を外に置きっぱなしにしてて……。なくしたり壊れたりすると問題になるから……」

「そっか。じゃあしょうがないね」

 彼女の手が暗幕にかかる。

上演が再会されれば、本当にもう、俺はここには入れない。

「また必要なときに、連絡するね」

「ちょ……待って! すぐ取ってくるから! 急いで戻ってくる!」

「えぇ? ……あぁ、うん。じゃあ、待ってるね」

 彼女の返事に、猛然と走り始めた。

こんなにも必死で走るのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

ポツリと芝生の上に立っていた三脚は、さっきまでの俺みたいだ。

それをつかみ取ると、再び体育館に駆け戻る。

俺を迎え入れたところで、暗幕は閉じられた。

舞台が再開される。

何度も台本で読んだ、知り尽くした内容だ。

薄暗く冷たい床の上で、彼女は微笑む。

「よかった。来てくれて」

「他の写真部の連中も、来てたんだ」

「うん。いいよって言ったんだけど、なんだかんだで、集まってくれて……」

 彼女の顔がうつむく。

「嫌われてるのかと思ってた」

 あぁ、そうだ。そうだった。

来なくてもいいって言われたからって、それを真に受けてちゃいけないんだった。

そんなこと、すっかり忘れてた……。

 いまどんな顔をしているのか、自分でも説明出来ない。

この場所が暗くて、本当によかった。

山本やみゆきがいたら笑われそうで、希先輩がみたら呆れられそうで、荒木さんなら……、変わらず、無視するかもな。

じっと前を向いたまま動かなくていいことに、心から救われる。

隣に座っていた彼女が、わずかに体を傾けた。

前を向いたままの、そのままで動かない横顔をこっそりとのぞき込む。

「!」

 ね、寝てる? 

回りが暗いから、はっきりとは見ることが出来なくて、なんで今が今のこの状況なんだろうと思う。

なんだよ。

こんな動けないタイミングで、なんでこんなんなんだよ。

よくも見れないし、反応のしようがないじゃないか。

もうちょっと考えてほしいよね、そういうとこ。……。

疲れたんだよね。

動画編集の練習、頑張ったんだ。

磁石に吸い寄せられるように、それは絶対的な不可抗力で、俺も彼女の方へ体を傾けた。
 学校での最後の練習公演も無事に終わって、舞台に設置された大道具や背景などの搬送が始まる。

演劇部員たちに混じって、俺もそれを手伝った。

トラックを見送ったところで、ようやく解散となる。

荒木さんもいないから、ミーティングも早い。

すっかり日の落ちた坂道を下ってゆく。

彼女と並んで歩くのも久しぶりだ。

「いよいよ、明日だね」

「うん。なんか緊張する」

「俺も」

 夜風がすぐ真横にある前髪を揺らす。

俺だって緊張している。

違うだろ。

本当に話したいことは、コレじゃない。

「もう準備は万全?」

「何度もチェックしたから、多分大丈夫」

「はは、こういうのって、いくらチェックしてても、絶対に当日忘れ物に気づくってやつだよね」

「ちょ、そんなこと言わないでよ」

 いつまでも、避けるワケにはいかない。

大きく息を吸い込んで、そのまま吐き出す。

「荒木さんと……、ハクに会った」

「ハクと?」

「ハクが人間の女の子になってて……。荒木さんと手をつないで、どっか行ってた」

「はは。荒木さん優しいな」

 そう言って笑った彼女の横顔に、外灯の明かりがさす。

「やっぱり気になるんだ」

「だれが?」

「荒木さん」

「なにそれ。うちの部長、確かにモテるけど、それは本性を知らない部外者だからだと思うよ」

「そうなの?」

「中身知ったら、そんなの吹き飛ぶから」

「……。どんなふうに?」

「そのうち分かるよ」

 上目遣いでにらみつける彼女に、思わず吹き出す。

笑い始めたら止まらなくて、気づけば彼女も一緒に笑っていた。

「怖いんだ」

「もうね、威圧的なの。異次元レベルで。自分超大好きで、他には全く興味ナシってかんじ」

「なんか分かる」

「だけど、目立つのは嫌いなんだよね。それが不思議。今回も主役じゃないし、演者でもないんだよ。監督なのにインタビュー記事とかまで、全部違う人に任せちゃってるし」

 体育館の時とは違う暗がりの中で、やっぱり彼女の横顔は真っ直ぐに前を向いていた。

「だけど、好きなんだ」

「しつこい」

 彼女のグーパンチが俺の腕に触れた。

もうちょっと強く叩いてくれないと、リアクションもしずらいんだけど……。
「そんなこと言われて、困ってたのは圭吾の方だったのに」

「なにが?」

「私とのこと」

「あぁ、それは別に……」

 いや、だからそうじゃなくって……。

「えっと、ハクの話しに戻そうか」

「うん。そうだね」

 ハッキリ言われる。

なんだか余計にしゃべり辛くなった。

終点のコンビニの灯りが、いつも以上に眩しい。

この坂、いつの間にこんなに短くなった?

「荒木さんは、どこまで知ってるの?」

「ほぼ全部。ハクが宝玉探すのを、何だかんだで手伝ってくれてる」

「進み具合は?」

「うん、全く。神社にご神体として奉納されてた宝玉は、その後地元武士の家宝にされてて、この辺りの土地をもらう代わりに、それを城の殿様に差し出したってところまでは分かった」

 宝玉と土地の交換か。

人間ってやっぱりニンゲンだな。

「宝玉って、ニンゲンに御利益はないの?」

「人に使えるものではないらしい」

「あぁ、そういうことね」

 ただ綺麗なだけで無価値な石なら、そりゃ土地の方がいいよな。

「で、その後は?」

「写真が残ってた」

「マジで?」

 スマホを取り出す。

彼女の見せてくれた画像は、古い紙の資料を撮影したものだった。

古びた木製の棚に張ったガラスが、フラッシュで反射している。

厚みのある小さな座布団に鎮座したそれは、俺の握りこぶしより少し大きくしたくらいのサイズだ。

見た目は虹色の光りを放つ透明な石で、よくある占い師の水晶玉のようだった。

「何かの雑誌に載ってたやつの、写真の写真?」

「そう。『昔の資料集に、こういう写真が載ってました』ってやつを写した写真」

「いつの資料?」

「戦前だって」

「わーお」

 随分と近づいたけど、まだ遠いな。

「……。戦争で失われた?」

「その可能性はないって、ハクが言ってた。そう簡単に壊されるものじゃないからって」

 資料の資料画像によると、戦前に建てられていたお城の、歴史資料館に飾られていたらしいけど、その資料館自身は、戦火によりお城と共に消失してしまったらしい。

「じゃあその後の行方は……」

「謎のまま。焼け跡に残ってるか、持ち出されてしまったのか……。もし、持ち出されたのなら、もうどこへ行ったのか分からないよね」

「全国の水晶玉を検索する?」

「売買サイトに上がらない個人所有のは、探しようがないって部長が……」

 ここまでか。
「で、荒木さんはハクを連れて、どこへ行ったの?」

「お城の焼け跡に行ってみるって。ほら、今は大きな公園になってるから」

「そっか」

 遠足でよく行く、地元では定番の公園だ。

だだっ広い芝生が広がっているだけで、特に何かがあるわけでもない。

「待って。じゃあもし見つかったら……」

「ハクと荒木さんが、第一発見者になるよね。私はほら、部活のことで忙しいから……」

 じゃあ、あの白銀の龍との約束は? 

いくら自分の記憶を封印して消し去ってるからって、いくらなんでも消しすぎだろ。

二人で一緒に見つけてどうする!

「ちょっ、それじゃ……」

 荒木さんを止めないと。

駆け出そうとして、ここがコンビニ前のバス停だったと気づく。

もう遅い。

「どうしたの?」

「あ……、荒木さん、ハクとか宝玉を、ネットに晒したりしないかな?」

 我ながら酷い言い訳だと思う。

そんなこと、するヒトじゃないって……。

「そんな焦らなくても、見つかってないんじゃないのかな。荒木さんからなんの連絡もないし」

「てゆうか、荒木さんは公会堂の搬入手続きとその手伝いのために先回りしたの? それとも宝玉探し? どっちがメイン?」

「さぁ……。きっとあの人のことだから、部活の方がメインだと思うよ」

 なんかもう、どこまで本気で、どこまで真面目なのかが分からない。

荒木さんも舞香も……。

俺はため息をついた。

「まぁ、そんな急いでるわけでもないのかもな。ハクも」

「うん。きっとそうなんだよ」

 彼女がうつむく。

その姿に、俺はふと我に返った。

「あ、バスの時間!」

「本当だ! じゃ、また明日ね」

 手を振ってかけ出す彼女に、同じように手を振る。

なんだかな。

これで本当によかったのかな。

そんな疑問が頭から離れない。

今日もバスは遅れてやって来る。

それに乗り込んで家路についた。
 翌日の天気は晴れ。

演劇部員は朝の7時に公会堂へ集合だったみたいだけど、俺たち写真部は8時に会場へ入った。

「リハーサルがあと10分で始まるから、よろしくな」

 当然だけど、今日は荒木さんがいる。

「私は他の準備があるから、ちょっと撮影準備の方、お願いしてていい?」

「もちろん」

 会場後方、中央部分にある機材ブースに入る。

カメラの電源を入れ、充電量を確認した。

空き容量も大丈夫だ。

舞台の幅に合わせて、映像の映り具合を調整する。

話し合った末、本番は舞香が中央全景カメラにはりつき、俺と山本が舞台下から撮影することになっていた。

 リハーサルが始まった。

細かい操作や設定、注意点を再確認する。

一緒に準備してきたんだから、そこは安心している。

開場時間を迎えた。

「圭吾。ちょっといいか」

 荒木さんに呼ばれた。

明るい客席に、誰かと手をつないで、会場通路を下りてくる。

「この子を頼む。どうしても上演が見たいって聞かないんだ」

「え?」

 ハクだ。

また小さな女の子の格好をしている。

「いいんですか?」

「あらぁ! ハクちゃん本当に来たんだ。いいよ。私が一緒に見てあげる」

 希先輩が手を伸ばした。

自分の目の前に差し出されたその手を、ハクはじっと見つめているだけで、動こうとはしない。

「なによ。やっぱり私のコト嫌いなワケ?」

「かわいーですね。妹さんですか?」

 何も知らない山本は、かっちりとした濃紺の制服を着込むハクを見下ろした。

ハクは山本を見上げたまま、つないでいた荒木さんの手をぎゅっと握り返す。

「人見知りでね。実はロクに話しも出来ないんだ」

「そうなんだ。荒木さんも大変ですね。さすがに舞台袖はちょっと無理だけど、客席なら……」

 そのハクの手が荒木さんを離れ、俺の手を掴んだ。

「はは。やっぱ圭吾がいいってさ。よろしく頼むよ」

 なんだそれ。

つーかそんな目でにらみ上げられても、俺は面倒見切れないぞ。
「大丈夫よ、私もついてるからー」

 希先輩の手が、俺の肩にのった。

全身がビクリとなったのを、ハクはフンと鼻で笑う。

いや、だから……困るって……。

 舞台下で撮影をしなければならない俺たちの席は、最前列の一番隅っこに用意されていた。

俺の補助として希先輩がつき、山本の方にはみゆきがいる。

ハクは冷ややかな目で俺と希先輩を順番に見上げたあと、俺の席だったはずのところに、ちょこんと腰をかけた。

仕方なく希先輩がその隣に座る。

「なんで来たんだよ」

 周囲に聞かれないよう、ハクにそうささやく。

ハクはこちらをチラリと見ただけで、返事はしない。

「この子、私に対しても無愛想なのよねー」

「最初めちゃくちゃ懐いてたじゃないですか。俺は未だに全然なのに」

「最初だけだったの!」

 何があったんだろう。

プリプリ怒ってる希先輩と、すました顔で前を向くハクを見比べる。

「ハク、世話になる人の言うことくらい、聞けよ」

 そう言ったら、ガツンと一発、足を蹴られた。

くっそ。

子どもの格好してるからって、ナメやがって。

「屋内では、帽子は取ろう」

 腹いせに帽子を持ち上げたら、あごひもがびよーんと伸びた。

それは素直に自分で外して、膝に乗せる。

舞台が始まった。

 何度も見たことのある、同じ動き同じセリフが、何一つ変わらないまま台本通りに進んでゆく。

ハクは練習していたのを、見てはいなかったのかな? 

他の生徒たちに見つかるのを恐れて、それも出来なかった? 

一人隅っこに座る、小さな女の子をそっと眺めた。

ハクを人間の女の子の年齢に例えたら、このくらいの年頃になるんだろうかと思うと、ちょっと複雑な気持ちになる。

希先輩はウトウトと寝てしまっていた。

何てことのない現代劇だ。

舞台は高校で、ちょっとしたミステリーを織り混ぜた青春モノ。

 ハクは人形のように、真っ直ぐ前を向いたまま、まばたきもしないでじっと見上げている。

天上に住む龍が、こんな人間のベタな物語に共感なんて出来るのかな。

俺にはそっちの方が不思議だ。

幕間にトイレは大丈夫かと、座り続ける彼女に聞いたけど、「うん」とうなずいただけでやっぱり置物のように動かない。
「面白い?」

 そう尋ねても、返事はなかった。

希先輩はそのハクにあれこれと話しかけ、世話を焼こうとはしていたけれど、それにも全くのお構いなしだ。

無反応過ぎるハクに、ついに希先輩はさじを投げた。

「何考えてんの」

 俺がサラサラと黒すぎる髪に触れようとしたら、それは払いのけられた。

意識はあるらしい。

上演は再開され、俺はまた舞台下を撮影班として、ちょろちょろと動き回る。

芝居が終わって、大きな拍手が沸き起こり、ようやく息を吐き出した。

「おつかれ」

 山本とハイタッチ。

「片付け手伝いに行こう」

「圭吾はその子連れとけよ」

 山本と希先輩は、さっさと舞台袖に行ってしまった。

俺は明るくなった客席で、ハクの隣に腰を下ろす。

「どうする?」

 無言のまま、彼女は俺の手を握った。

そりゃ舞台袖に上がりたいのは分かるけど、こんな小さな子を連れて行くのはダメだよなぁ。

かといって、本当は幼くないコイツの扱いを、どうしていいのかも分かんないけど……。

目が合った。

ハクは俺の手を引いて、撤収作業の始まる舞台下まで近寄る。

「えっと、ここまでにしとこうね」

 慣れない口調とちぐはぐな会話に、ドッと汗をかく。

その場に立ち止まると、彼女はじっと何かを目で追いかけている。

何を見ているんだろう。

顔を上げると、舞香と目が合った。

「圭吾。先に帰っててよかったのに。あぁ、ハクを任されちゃったのか」

 ハクは壇上の彼女に向かって、小さな白い手を振った。

「うん。一緒に帰ろう。待っててね」

 以心伝心? 俺には何も聞こえないのに……。

ハクは何かを言いたげに俺を見上げたけど、そんな目で見られても俺には分かんないよ。
 撤収作業が終わって、公会堂の外に出る。辺りの日はすっかり落ちていた。

演劇部員の最後のミーティングが終わると、いつの間にか用意されていた花束が、演劇部員全員に手渡される。

感動の一幕ってやつだ。

みんなは拍手と笑顔でその輪の中に入っていたけど、俺とハクは手をつないだまま、離れたところでその様子を見ていた。

ハクはまばたきもしないで、じっとその様子を見ている。

その中心にはやっぱり荒木さんがいて、やがてそれも解散となった。

「お待たせ」

 荒木さんがこちらに向かって来る。

何かと思ったら、いきなりハクを抱き上げた。

「いい子にしてたか」

 笑った! 

ずっと能面のように固かったハクの顔が、うれしそうに笑った。

荒木さんもハクのその表情に、目を細める。

抱き上げたハクの頬に自分の頬を寄せた。

「圭吾に意地悪されなかったか」

 ハクは荒木さんの頭にぎゅっと抱きつくと、その髪に顔を埋める。

声を出さず笑う彼女の姿に、俺は正直、面食らっている。

「もーね。荒木くん、ハクにベタベタのあまあま」

 荒木さんに抱かれたまま、ハクは自分で乱したその人の髪を、ちょろちょろと小さな手で直し始めた。

「はぁー。ハクはいい子だね。ありがとう。このまま抱っこしてる?」

 なぁ、兄妹だってのは、内緒にするんじゃなかったのか? 

いいのか、そんなんで? 

コレ絶対バレてるだろ。

他の部員たちはすでに姿を消していて、残っているのは俺と荒木さんと舞香、希先輩だけ。

「俺には妹がいたんだ」

 ふいに荒木さんは言った。

夕焼けの落ちてゆく日の光りが、その二人を包む。

「歳の離れた妹で、ちょうどこれくらいの年頃の時に病気で亡くして……。そっくりなんだ。だからどうしても、ほっとけない」

 ハクを見上げる目は、ここではないどこかを見ていた。

ハクもその彼の腕に高く抱かれ、じっと見下ろしている。

「にしたって、デレ過ぎない?」

 希先輩にそう言われ、ハクは再びぎゅっとしがみつく。

荒木さんの首にしがみついたまま、希先輩を見下ろした。

「黙れ。お前になど用はない」

「ちょっと! 本当の姿に戻りなさいよ。デレるのは妹キャラの時だけで、本当の姿にはこの人、全然興味ないんだから!」

「ハクちゃ~ん。そろそろ一緒におうち帰ろぉ」

 そう言った舞香の声は、泣きそうだ。

その涙の訴えに、ハクは荒木さんの腕の中で、ポンッと本当の姿であるチビ龍に戻る。