結局その日は、山本ととりとめのない話しをして一日が終わり、舞香にも希先輩にも顔を合わせることなく終わってしまった。
山本のこともある。
スマホから舞香にメッセージを送ってもよかったけど、なんとなく文字で打つのも長文になるような気がして、それもやめてしまった。
強い日差しの下、制服の白シャツと、その隣に並んだ濃紺の小さな制服を思い出す。
アレはなんだったんだろう。
俺は夢をみていたんだろうか。
いつものバスに乗って行けば、同じ時間で一緒になれると思っていたのに、こんな日に限ってそうはならない。
通学路に舞香は見当たらなかった。
周囲に気づかれぬよう通りすがりを装って、なんとなく彼女の靴箱をのぞいてみる。
元々位置もはっきり知らない状態からの確認では、それも不可能だった。
L字型の校舎で同列に並んでいない教室の中を見に行くことも出来ず、いつもと違う階段も上れないまま、俺は教室に入る。
自分の席につくと、盛大にため息をついた。
机の上にひれ伏す。
問題はもう一つあった。
こっそりと山本の席を確認する。
姿は見えなかったが鞄は置いてあるから、登校はしてきているということだろう。
学校、来るの怖くならなかったのかな。
まぁそれでも学校は来るか。
俺だって来たし。
授業が始まった。
窓から外を見下ろすと、体操服姿の荒木さんを見つける。
どこにいたって、何かと目を引く存在だ。
男子生徒の間に混じって、普通にふざけ合っている。
特に変わった行動をしているとも思えない。
ネット上でも騒ぎはない。
事情を知ってる舞香や希先輩に報告する方が先か、それとも荒木さん自身に、それとなく探りを入れるのが先か……。
まぁ、舞香に直接聞いてみるのが一番か。
俺は仲間じゃないけど、報告するくらいのことは、親切の範疇だよな。
俺は仲間じゃないけど。
迷惑がられたり嫌われたりはしないよな。
そっか。
彼女と話しをするのも、久しぶりだな。
放課後になった。
山本と一緒に写真部部室へ向かう。
ただそれだけのことなのに、俺はすっとそわそわしていた。
コイツは昨日の晩、ハクを見てしまったことで悩んだりしなかったのかな?
何から話したらいいのか、このまま話題に触れない方がいいのか、ちょっとは悩んで、コイツの方から話しかけてくるのを待つことにした。
山本には山本の事情があるだろうし……。
申し訳ないが、山本のことより、いまは荒木さんの問題が先だ。
俺なりのフォローは山本にはした。
きっと何かあれば、コイツなら相談してくれるだろう。
部室に入ると、一番にパソコンを起ち上げる。
起動するのを待つ間に、俺はスマホを取り出した。
来る予定もないメッセージを、こまめにチェックするのがすっかり日常業務になってしまっている。
最後にメッセージを送ったのは、もう2週間以上も前のことだ。
内容は動画編集のやりとりだ。
自分から彼女に何かを送るにしても、その文字をどう打つか、真剣に考えている。
『ちょっと聞きたいことがあるんだけど』とか、『今度話す時間ある?』とか、そんな文字を打っては消し、また打っては消すということを、またここで繰り返していた。
最終的に思いついたのが『もう写真部に来なくて平気?』だ。
送信ボタンを押すか押さないか最後まで散々迷ったあげく、結局それもイヤミのような気がして、消してしまう。
結局ここで何も出来なくなるのが、俺なんだなぁ。
「はぁ~」
ため息をついたところで、部室の扉が開く。
みゆきだ。
「あぁ、圭吾。ちょうどよかった。荒木さんが体育館来いってよ」
「なんで?」
「あんたがまだモデル頼んでないからだって、言ってた」
ふと気になって、聞いてみる。
「みゆきは誰に頼んだの?」
「私? 私は特に誰って決めてない。色んなところを、ただ自由に撮らせてほしいって頼んだ」
「山本は?」
「俺は1年の川崎さん。ちっちゃくって可愛くってさぁ~。いいよねー、ああいう子」
山本はやっぱ大丈夫そうだ。
心配して損した。
川崎さん? 衣装係の子か。
そういえば大量の生地を持ち込んで、そこに埋もれてたな。
「……。あれ? それって家庭科部の子じゃなかった?」
「なんだよ圭吾、お前も狙ってたのか」
「違うよ」
「とにかく、荒木さんの伝言は伝えたからね」
みゆきはカメラを手にすると、すぐに出て行く。
行き先は知っている。
俺が行けない、演劇部のいる体育館だ。
「……。希先輩も体育館かな」
「じゃない?」
山本は憐れむような目で、俺を見下ろした。
「お前ものんびりしてないで、頑張れよ」
「なにを!」
「……。舞香ちゃんと希先輩。荒木さんに夢中だぞ」
「そりゃみゆきだってそうだろ」
「イケメンは強いなー」
みゆきはともかく、舞香と希先輩は違う。
いや、違わないのかもしれないけど、俺がいま考えるべきことは、そういうことじゃないだろ。
本当は事態は、もっと深刻なのかもしれない。
出来ることなら、一番に彼女に確認したい。
体育館に行けば、そこにいるのは分かっている。
先に捕まえれば何とかなるかもしれない。
肩までの髪が揺れている。
「行くか。体育館」
決意を込めて絞り出したその言葉に、山本は呆れたように笑った。
「お前くらいだよ。来てないの」
行ってみれば、二階席のほとんどが、演劇部関係者で埋め尽くされていた。
衣装や小道具の類いが広がり、照明や音楽の担当も打ち合わせをしている。
手伝いにかり出された家庭科部や美術部、放送部員なんかまでが、勢揃いだ。
「荒木さんって、やっぱタダ者じゃねーよな。これだけの人数に動員かけて協力が得られるって、やっぱ顔だけの人じゃないんだよ。天は何とかっていうけど、圭吾もそこは認めた方がいいと思うよ」
そんなことは頭では分かっている。
分かってはいるけど、どうにもならないのがヒトってもんじゃないのか?
「舞香を探してくる」
荒木さんに見つかる前に、彼女を探して、とにかく情報を仕入れないと。
あの人と二人きりになって話しをしたとして、何の事前対策もなしでは、勝てる気がしない。
そう思っているのに、どうして彼女は荒木さんと一緒にいるんだろう。
体育館二階席の最前列、すぐ真下に舞台を見下ろせる位置に、並んで立っている。
そしてその隣には、もれることなく希先輩もついていた。
「ね、荒木くん。圭吾が来たよ」
「お、よかったよかった」
当然のように、肝心の女の子二人は俺に手を振る。
気楽なもんだ。
荒木さんは近寄ってきた俺を見下ろした。
「いや、俺は舞香に用があって来たんですけど……」
「え? 舞香? やっぱ舞香をモデルにすんの? じゃあ……」
「違います!」
「じゃあ何の用だよ」
「そうよ。素直に舞香ちゃんにモデル頼みなさいよ」
希先輩の冷やかしに、彼女は何のためらいもなく、手にしていた台本を客席に置いた。
「いいですよ。撮影行きますか?」
だから、撮影じゃ……。
「あ、荒木さんにモデルをお願いしたいです!」
自分でも、何を言ってるのか意味が分からない。
ただ俺の顔が真っ赤になっていることだけは分かる。
「……。え、俺? 本当に俺でいいの?」
「いいんです!」
本当はよくはないけど、今さら引き下がれない。
「なんか逆に申し訳なくなってきたんだけど……」
「お時間は取らせませんので、手短にお願いします!」
「あーうん。じゃあちょっと行ってくるわ」
そんなこんなで、二人で体育館を抜け出す。
体はもの凄くフワフワしているのに、どうして気分はこんなに沈むのか。
「なぁ、別に無理しなくていいんだぞ」
後ろからついてきている、荒木さんのその声だけで、顔を見なくても表情は想像出来る。
「こっそり舞香と交代するか?」
「他に誰のモデルやったんですか。写真部の女子は全員荒木さんとか?」
「いや。結局、何だかんだで、他の人とか別の写真と被るからとかで、全部潰れた」
「え、希先輩も?」
思わず振り返った。
階段の上から、その人を見下ろす。
「希は俺を指名しなかったよ」
「でも、他に希望者はいたでしょ」
「いたけど、被りすぎてみんな『やっぱいいです』ってなった。同じ被写体ばっかになるのは、みんなイヤみたいだな。個別では受けてないよ」
「あぁ、そういうことね」
もうこの人とは、一生分かり合える気がしない。
「で、どこで撮影すんの」
どうせなら誰もいないところで、一度ゆっくり話しがしたい。
「じゃあ、教室で」
人気の消えた放課後の廊下を進む。
周囲から生徒たちの声だけは聞こえてくるのに、校舎の中はひんやりとして誰もいない。
冷房をつけっぱなしにしたままの、教室の窓を開いた。
「そんなことして、怒られない?」
そう言って荒木さんは笑ったけど、俺はその姿にレンズを向けた。
「そのまま、窓の外を見ていてください」
彼は整った顔でクスリと笑うと、窓枠に肘をついて俺に背を向けた。
「撮すのは背中でいいの?」
「こっちで勝手に動くので。必要なら指示を出します」
いまの正直な気持ちを言うと、こんな撮影をさせてくれることがありがたい。
モデルを独占できるなんてことは、滅多にないことだ。
俺は机を避けながら、何度もシャッターを切る。
彼は窓枠に背をあずけたまま、ふいに教室の中を振り返った。
「退屈しのぎに、ひとつ面白い話しをしてやろう。俺がこんなことを話すのも、お前が目にするのも、この生涯でいま一度だけだと、肝に銘じておけ」
「え……」
カメラ越しに見る荒木さんの輪郭が、ぐにゃりと歪んだ。
構えていたレンズを下ろす。
白いカーテンが、大きく風に巻き上げられた。
それが元に戻ったとき、窓際にたたずむ彼の姿は、白銀の鱗を輝かす美しい龍の姿に変化していた。
「まさか自ら、この姿を人に晒すことになるとは、思わなかったな」
3メートルはあるだろう巨大な体が、机の下に沈む。
そこから立ち上がった時には、もう元の人間の姿に戻っていた。
「アレは本当に俺の妹だ。罪を負い地上に降ろされた俺を探して、こんなところまで来てしまった。顔を合わさず正体も知られないまま、天上に戻したい。助けてはくれないか」
教室の中に妙なキラキラが光っているのは、きっと気のせいなんかじゃない。
「は? な、なんだよそれ……。か、勝手なこというなよ。大体、そ、そんなこと言ったって、もうハクとは接触してるんじゃ……」
「あぁ、そうだ。そのおかげで、俺は自分の記憶まで取り戻してしまった。死んではまた生まれ変わるという輪廻の苦しみに、己を消し去っていたのに」
荒木さんは、穏やかな笑みを浮かべた。
俺はその不思議な魔力を持つ姿に、息をのむ。
「これ以上罪を重ねたくない。アレが宝玉を地上に落としたせいで、俺は引き寄せられたんだ、この場所に。近頃はこの付近ばかりで、繰り返し生まれ変わっている」
彼は椅子を引くと、そこに腰を下ろした。
ほおづえをつき静かに目を閉じる。
「アレが宝玉を手に入れたら、間違いなく俺を引きずりだすだろう。再会したい気持ちは分かるが、それではアレも罪を犯すことになってしまう」
「……。刑期は、長いの?」
外からの風が、彼の前髪を揺らした。
エアコンの冷気と生ぬるい外気とが、混ざり合うのが分かる。
「長いね。5千年だ。もう2千年は過ぎたか? だがまだ、半分も終わってない」
「なにしたの。なにをやったら、そんな罰を受けるんだよ」
「はは。それを話しても、人の子には分かるまい」
なんだよそれ。
涼しげに言ってのけるその姿は、俺の知っている荒木さんと何も変わらない。
「正体を現したことで、封印は解かれた。アレも気づいたはずだ。あまり時間はない。俺はもう一度自分を閉じる。より強力に、もっと深くだ。この話しを記憶に残すのは、お前しかいない。どうかアレが自ら罪を犯す前に、天上へ戻してやってくれ」
「協力するなんて、一言も言ってないけど」
「人の子の命は短い。あまりにも短すぎて、目が回りそうだ。どうせ俺もお前もすぐに死ぬ。好きにすればいいさ」
教室の扉が開く。
驚いて振り返ると、息を切らした舞香が立っていた。
「何があった!」
「な、なにって……」
俺は荒木さんを振り返る。
彼はぽかんとしたまま、彼女を見ていた。
「ここに誰が来た!」
コレは舞香じゃない。ハクだ。
「ここにお前たち以外の、誰かが来なかったかと聞いている!」
荒木さんと目があった。
だが彼は何も答えない。
「……。お前、ハクなんだろ?」
俺がそう言うと、彼女はキッとにらみつけた。
「そうだ。ハクだ。舞香の姿を借りて来た」
彼女は俺の胸ぐらを掴むと、グッと引き寄せた。
「何かがここに来ただろう。その姿を現さなかったのか?」
「何もないよ」
「コイツも私の正体を知っている」
荒木さんを指さした。
同じようにその胸ぐらを掴む。
「お前も圭吾が私の正体を知っていると、知っていただろう。何があった!」
「知らねぇよ。手を放せ」
その彼女の手を、荒木さんはあっさりと振り払う。
「何だか知らないが、俺はお前らに一切興味はない。いまは撮影中だ。邪魔をするなら、出て行け」
もの凄い形相でにらみつける彼女を、荒木さんは平然と見上げている。
ハクはチッと舌を鳴らすと、教室を飛び出していった。
「なんだアレ。二重人格かよ」
荒木さんはふぅと息を吐き出すと、俺を振り返った。
「お前も物好きだな」
「……。何がですか」
「応援はするよ」
龍に取り憑かれているのは、この人自身なのだろうか。
それともあの白銀の龍が、元々こういう性格なのか……。
理解の追いつかない俺は、まだ混乱している。
「おい。写真はもう撮らなくていいのか? 終わってんのなら、俺も行くぞ」
正直ムカついてもいるし、怒ってもいるけど、結局なにを言っても無駄なんだろうな。
すましたその顔を、正面から撮ってやる。
パシャリと動作音が鳴った。
本当にこのヒトは、もう何も分からないのか……。
「荒木さんは、ドラゴンを見ても、なんとも思わないんですか」
「俺の人生に関わりないのなら、どうだっていい」
「……。そうっすよね。関係ないっすよね」
「当たり前だ」
そう言って立ち上がったそのヒトを、じっと見上げる。
俺にちゃんとした判断が出来るかどうか、それは分からないけど、いま目の前にいるこのヒトは信用出来ると、その言葉になぜかそう思った。
荒木さんが教室を出て行く。
俺は部室に戻り、撮影した画像をチェックした。
画面には人の形をした荒木さんの、窓辺にたたずむ姿しか写っていなかった。
翌日、俺は舞香から空き教室に呼び出されていた。
ロック解除の仕方をマスターしたらしいハクは、鍵のかかっていたドアを開ける。
「入って」
ムッとした熱気がその視聴覚室には籠もっていて、だからってここでエアコンをつけたら、学校にバレたりしないのかなーなんて、思ってみたりなんかして……。
「どういうこと」
「なにが?」
舞香の体からハクが抜け出した。
真っ白なハクは、今日は透けていない。
なんで透けている時と、そうでない時があるんだろう。
そんなことをぼんやり考える。
「ハクが駆けつけた時には、もう気配が消えたってこと?」
「確かに現れたのだ。間違いない」
「で、そこにいたのは荒木先輩と圭吾だったと」
一人と一匹の視線が集まる。
「だから、普通に撮影してただけだって」
「宝玉がそこに現れたってこと?」
「……。気配がしただけだから……。なんとも……」
舞香の質問に対して、答えるハクの歯切れが悪い。
俺はコイツらの味方をする気はないが、邪魔をするつもりもない。
「宝玉って、自分で動くの?」
「……。そんなことはない」
「だったらその、現れたかもしれないって場所の近くを、探してみた方がいいんじゃないの? 学校の校舎の地下に、建設時に埋められちゃってるとか」
それなら校舎を壊さない限り、探れないな。
あきらめるかな。
「だけど、こないだ荒木先輩と郷土資料館へ行ったとき、宝玉の話しが出たんでしょう?」
「そう、それ! なんでハクと荒木さんが一緒に出掛けてんだよ。どこでバレたの!」
そのことの方に呆れている。
「二人で一緒に体育館裏でしゃべってたら……」
「ひょっこり現れて……」
「あっさりバレた」
「ねぇ、君たち。そんなガバガバで大丈夫なの?」
「で、なかなか資料館へ行く都合がつかなくて……」
「荒木先輩が場所知ってるっていうから……」
「姿を変えたうえで二人で出かけようとしたら、お前に会った」
本気で大丈夫なのかな、この人たち。
「で、宝玉の行方は分かったの?」
俺がそう言うと、舞香はハクを見た。
「分かったっていうか……」
「ご神体として池の底から掘り起こされ、神社に奉納された後、地元の武将に奪われ、家宝にされていたところまでは分かった」
「それって、もしかしなくても……」
「戦国時代」
「遠いな」
「その後は、この辺りを治めていた殿様に譲られた可能性が高いって」
「その子孫は?」
「さぁ……」
俺は「真面目に探す気あんのか」と言おうとして、やめた。
余計なことに口を突っ込むと「だったら手伝え」って言われるのは、決まってるし。
「ま、頑張ってね」
「あ、ちょっとま……」
俺は何の為に呼び出されたんだ?
全くもって意味が分からない。
教室を出る。
荒木さん……、いや、あの白銀の龍め。
そもそも勝手に全部を俺に押しつけておいて、好きにしろとか、随分いい加減な話しだ。
自分の不始末は自分でケリをつけやがれ。
そもそもそんな悠長な問題に、かまっている暇はない。
階段を下りる。
人気のない廊下は、少しほこりっぽい臭いがする。
本当はコンクール用の写真を撮らないといけないのに、すっかりやる気が失せた。
塗装の剥がれかけた壁に手を触れる。
そのままザラザラとする冷たい感触に、歩きながら触れ続けていると、肌はすり切れてしまいそうだ。
「圭吾」
舞香が追いかけてきた。
「待って。撮影に行くの? 途中まで一緒に行こう」
俺より少し背の低い、肩までの髪が隣に並ぶ。
なんだかちょっと珍しい雰囲気に、壁から手を離した。
「どうしたの?」
「どうしたって……」
さっきまでずっとザラザラと触れていた壁のせいで、手の感覚がおかしい。
「荒木先輩と、いい写真撮れた?」
「あ、あぁ……。まぁ、それなりにね……」
「それなり? イマイチだったってこと?」
くるりと振り返り、微笑んだ彼女は俺を見上げる。
彼女の目が、なんだかやけに眩しい。
透けるような彼女の頬が、わずかに赤らんだような気がした。
「なに?」
「……。荒木さんのこと、好きなの?」
「どうして?」
ひさしぶりに間近に並んだ顔が、ちょっぴり傾く。
「圭吾は……、希先輩?」
「希先輩は、荒木さんが好きだから」
「なんか、あっさり認めるんだね」
「だって、舞香に隠してても、しょうがないもん。見てたら分かるでしょ」
「圭吾は、希先輩のどこがよかったの?」
「じゃあ逆に聞くけど、荒木さんのどこがいいの」
「あはは。やめてよ、そんなこと」
彼女の後でスカートがはねる。
その背中は一段一段と階段を下りてゆく。
「ね。二人で撮影しながら、なに話してたの」
「別に。何も話してないよ」
「何もないことはないでしょ」
「たとえば?」
「たとえばって……。『こっち向いてー』とか」
「そんなこと、言わないし」
もしそうやって彼女に呼びかけたら、あの教室でどんなふうに振り返ったんだろう。
そんなことを考えていたら、ふいに彼女は振り返った。
「ね、私が写真撮ってあげようか」
「は? なんで?」
「いいじゃない。ちょっとやってみたい。ほら、こっち向いてー」
指で作る四角いフレームに、彼女の楽しそうな笑みが囲まれる。
「いや、そんなんじゃ撮れないでしょ」
「あ、じゃあ本気でスマホで撮る?」
いつだって、そのためのカメラは用意してあるのに……。
俺はずっしりと重たい、首にかかるカメラを持ち上げた。
彼女に向かって、レンズを掲げる。
シャッターを切った。
「ちょ、やだ! ちゃんと撮る時は言ってよ」
「だから、そんなこと言わないって言ったし」
「もう! いいよーだ。私も撮るからね」
スマホを構えたその姿に、もう一度シャッターを切る。
「ほら、こっち向いて!」
「向いてるし」
「だから、。私のはもういいよぉ」
踊り場で振り返る。
ちょっと怒ったような上目遣いが、画像に納まる。
「……。これ、荒木さんに送ろうかな」
「やめて」
「冗談だって」
はは。『はは』だって、どうした俺。
彼女の手が俺の腕に触れる。
カメラの表示画面を向けると、そこに頭を寄せてきた。
彼女の前髪が、鼻先をくすぐる。
「撮られてみた感想は?」
「感想って、別に……」
「よくない?」
「別にそうでもなくない?」
そうでもなくは、なくなくない。
「なんかちょっと恥ずかしい」
「俺は悪くないと思うけどね」
展示会の候補作品として、校内選抜にかけてもいいくらいだ。
そう思っているのに、彼女は本当に呆れたような顔で見上げてくる。
胸が痛む。
どうせならもっと、違う反応を見せて欲しい。