二階にあるミトの部屋から一階にあるリビングに顔を出せば、すでに両親は起きてきていた。
 母である志乃が朝食の準備をしていたので、ミトも隣に立って手伝いを始める。
「お母さん、今日は夕方から雨降るみたいよ」
「あら、大変。あなた、洗濯物を取り込んでちょうだい」
「よし、分かった」
 ちょうどテレビで天気予報を見ていた父の昌宏は、晴れると言っているキャスターの言葉よりもミトの言葉を信じて洗濯物を取り込みに庭へと出ていく。
 最初こそ半信半疑だった両親も、何度となく天気を言い当てるミトの言葉の方を優先させようになっていった。
 まあ、ミトが予報しているのではなく、動物たちの野生の勘を伝えているだけなのだが、高確率で当たるために我が家ではテレビよりも動物たちの言葉の方が重宝されている。
 朝食ができあがって食事を始めるミトと両親。
 なんとなく食が進まないのは、ミトの心を占める波琉の存在のせいだろう。
 今思い出しても顔が赤くなってきそうだ。
 夜になるのが憂鬱になったのは初めてかもしれない。
 いつもは波琉に会えるので、眠るのが楽しみで仕方なかったというのに。
 思わずため息をつくミトに、両親も不思議そうにする。
「どうしたの、ミト?」
「恋わずらいか? あはははっ」
「うん」
 昌宏としては冗談で言ったのだろう。
 なのに、まさかの肯定。笑っていた昌宏はぎょっとした顔をしてからテーブルを叩いた。
「ぬぁんだってぇぇ! どこのどいつだ! まさか洋司さんとこのどら息子じゃないよな? あいつはやめておきなさい! ミトにはもっといい男がきっと──」
 興奮する昌宏を、隣に座る志乃が丸めた雑誌でべしりとぶん殴る。
「はう!」
「あなた、落ち着いて」
「志乃、これが落ち着いていられるかい? 重大事件だ! このままではミトが嫁に行ってしまう。そんなの許さん。どこのどいつか知らんが半殺しは覚悟しろ!」
「いや、行かないから安心して、お父さん」
 というか、行けない。
 なにせミトには戸籍がないのだから、当然結婚など不可能だ。
「だが、恋わずらいって……」
「夢の中の人にね」
「夢?」
 思ってもいない相手に、昌宏はすっとんきょうな声を出す。
「そう、ゆ、め。だから嫁になんていけないから」
 むしろ行けるものなら行きたいぐらいだ。
 しかし、この言葉は心の中で考えるだけにしておく。
 昌宏が大騒ぎしそうなので。
「そ、そうか、そうか。てっきりお父さんは村の誰かにいいやつがいるのかと思ったよ」
「そんなわけないじゃない。村の男の子たちなんて、お願いされてもごめんだわ」
 特に昌宏が名前を挙げた洋司のところのどら息子は、ミトをいじめる筆頭格だ。
 どこをどう転んでも恋などするわけがない。
「それなら問題ない。好きなだけ恋わずらいしなさい。わはははっ!」
 夢と聞いて機嫌を取り直したようで、昌宏はニコニコ顔で食事を再開した。
 敵ばかりのこの村において、ただふたりだけの味方である両親に愛されていると実感する瞬間だが、親馬鹿すぎるのは玉に瑕だ。
「どんな人なの?」
 夢と言って馬鹿にしない両親の優しさが身にしみる。
「波琉って言うの」
「イケメン?」
 聞くのはそこなのかとあきれつつ、こくりと頷く。
 波琉のことを両親に話すのはこれが初めてだ。
「ずっと小さな頃から不思議な夢を見るの。その波琉が出てくる夢でね、波琉と私の間には見えない壁があって、話をしたことはないんだけど……」
 ミトは拳を握って力説する。
「めっちゃくちゃイケメンなの! 格好いいって騒がれてる山本さん家の長男がミジンコに見えるぐらい。いや、比べるのもおこがましい。そこらの雑誌のモデルより綺麗な顔してるのよ」
「あら、お母さんも見てみたいわね」
「見せられるものなら見せたいよ。絶対お母さんも恋しちゃうから」
 冗談交じりでそう言えば、冗談の通じていない昌宏が対抗心を燃やしだした。
「待ちなさい、ミト。それは聞き捨てならん。志乃が恋するのは今も未来も俺だけだ! そんな顔だけの男に負けてたまるか」
「ただの冗談でしょ。私にはあなただけよ」
「志乃ぉぉ」
 昌宏は感激に身を震わせていたが、志乃はさっさと昌宏を放置してお茶を飲んでいる。
 さすが扱いをよく知っているなと、感心するミトだ。
「ミトも男は顔じゃないんだぞ~」
「はいはい」
 適当に返事をするが、波琉を実際目にしたらそんなこと言えなくなるはずだ。
 それぐらい人外の美しさを持っているのだから。
 多少性格が悪くても許せるほどに。
 それに、波琉はそんなに性格は悪くないはずだと、話したこともないのにミトは信じて疑っていなかった。
「はぁ、現実に波琉がいたらいいのに」
「夢の中じゃあ、仕方ないわね」
「うん、まったくだよ……」
 しかし、現実はそう甘くないのである。
 それに現実にいたとしたら、きっとすさまじい波琉の争奪戦が繰り広げられることだろう。
 ミトなど見向きもされないかもしれない。
 そう考えると、やはり波琉は夢の中の人のままの方がいいのだろう。