小さな頃は、いつか自分と同じアザを持つ龍神が迎えに来てくれるんじゃないかと期待したこともあった。
 そうすれば、今の息苦しい生活が変わると信じて。
 けれど、それはもうあきらめている。
 むしろ今となっては来てくれなくてもいいとすら思っていた。
 なぜなら、ミトの中には『波琉』という想い人がいるからだ。
 好きな人がいるのに、龍神の伴侶だなどと言われても、きっと受け入れがたいと感じてしまうだろう。
 だがまあ、その波琉とだって、心を通わせることなどできないことはちゃんと理解している。
 波琉は夢の中だけの人。
 いずれは気持ちに整理を付けなければならないだろう。けれど、今だけは想うことを許してほしい。
 そしていつかはこの村を出たい。
 そう思いつつも、十六歳となったミトは薄々気がついていた。
 村長は、それとなく我が家の動向を窺っていると。
 父である昌宏は林業をして生計を支えてくれているが、その合間でもひとりになることはないという。
 母である志乃は手先が器用なことを生かして、木を使ったインテリア雑貨をネットで売っている。
 一番村の外と交流を持つ機会があるのが志乃ではあるが、ミトの家にネットは繋がっていなかった。
 村でネットが仕えないわけではない。
 辺鄙なところだが、一応電気水道ネットなどの最低限のライフラインはあるのだ。
 昔はミトの家でもネットが使えていたし、パソコンもスマホもあった。
 けれど、ミトが生まれたことで外との通信手段をすべて取りあげられてしまったのだ。
 お客とネットでやり取りするのは村長の妻であり、雑貨を作っているのは志乃だけでなく、何人かの主婦と村長の家に集まって一緒に作業を行っているので、志乃もひとりになることがないのだ。
 両親は家の中にいる時以外のすべての時間を監視されていた。
 しかし、それはミトも同じこと。
 昼間ミトは学校に行けない代わりに、母とともに村長の家へ行き、村長宅のパソコンを使わせてもらって通信教育を行っていた。
 たとえ忌み子であろうと、せめて義務教育レベルの知識は与えてやりたいと両親が村長に頭を下げた結果である。
 村長としては、両親がいない間にミトが変なことをしないか、監視しておきたい気持ちがあったのだろう。
 しぶしぶだが、許可された。
 ミトにとってはネットを使える唯一の機会だ。
 勉強以外にも、外の情報を検索したりして調べてはいるが、なにを検索したかはミトが帰った後に履歴で調べられているらしい。
 そこまでしてなにを村長は怖れているのかはミトには分からない。
 しかし、村長や村人の動向をなぜミトが知っているかというと、ミトには両親にしか言っていない特別な能力があったからだ。
 コンコンコンと、窓が叩かれたのでそっとカーテンを開けて窓を少しだけ開くと、スズメが中に入ってきた。
『おはよう、ミト』
「おはよう、今日は天気がいいわね」
『あら、夕方からひと雨来そうよ』
「えっ、本当? じゃあ洗濯物取り込んでおかないといけないね」
 ミトはカーテンを閉めると着替えを始めた。
 それを大人しく見ているスズメ。
 ミトには昔から動物の声が聞こえるという不思議な力を持っていたのだ。
 波琉の夢と一緒で、気がついたら聞こえていたその声。
 なんの疑問もなく動物たちに話しかけるミトを、最初は子供のすることと微笑ましく見ていた両親だったが、山の動物が入れ替わり立ち替わりやって来るのを見て、さすがに不審に思った両親。
 ある時、獰猛な熊が家にやって来た時には、父親は猟銃を持って立ち向かおうとした。
 だが、それを止めたのはまだ五歳にもならないミトであった。
 危ないと叫ぶ両親の悲鳴を無視して、ミトが熊に向かって「お父さんとお母さんが怖がってるから山に帰って」と怒って熊が入ってきた戸口を指差したのだ。
 すると、熊はなにごとか小さく鳴き声をあげてから大人しく帰っていったのである。
 これには母である志乃も腰を抜かしてしまい、父である昌宏は口を開けたまま唖然としていた。
「あのね、山で鳥さんから私のことを知って挨拶に来たんだって。怖がらせてごめんねって言ってた」
 ニコニコと笑いながら告げるミトに、昌宏が恐る恐る問う。
「ミトは熊の言っていることが分かるのかい?」
「うん。熊さんだけじゃなくて、鳥や兎や猪さんともお話しするよ。お父さんたちはお話ししないの?」
 まだ無知だったミトは、当然両親も動物の声が聞こえるものと思っていたのだ。
 両親は顔を見合わせると、真剣な顔でミトに話しかける。
「ミト、そのことは絶対に誰かに言っちゃ駄目だ。お父さんの言うこと聞けるか?」
「どうして?」
 幼いミトには理由が分からなかったのだ。
「他の人には動物の声は聞こえないからだよ」
「聞こえないの? お父さんもお母さんも?」
 こくりと頷く両親を見て、そうなのかとミトは初めて知ったのである。
 確かに両親が動物たちと話しているのを見たことはなかった。
「聞こえないものを聞こえると知ったら周りの人がびっくりしちゃうからな。だからこのことは三人だけの秘密だ。誰か他に人がいる前でも話をしちゃ駄目だぞ。約束できるか?」
「うん、約束する」
 素直なミトは両親の憂いにも気付かず、よく分からないまま約束したのであった。
 十六歳となった今ではその意味がよく分かる。
 ただでさえ花のアザを持つ忌み子と言われているミトが、そんな不思議な力を持っていると知られたら、今度こそどんな目に遭わされるか考えるだけでも怖ろしい。
 両親の判断は正しかった。
 理解してからは一層のこと家の外では気をつけるようにしている。
 どうやら村長一味は、家の中に盗聴器を仕掛けるまでのことはしていなかったのが幸いだ。
 もちろん調べたのは、ミトがお願いした小さな動物たちである。
 村長は自分たちこそが監視していると思っているのかもしれないが、逆にミトの方が動物というスパイを送り込んでいるのだ。
 村長の家で飼っている猫と犬もミトの協力者である。
 昼寝をしているふりをしつつこっそり聞き耳を立てて、それをスズメ伝え、後でミトに教えてくれるのだ。
 猫などは散歩を名目に、わざわざミトの家まで来て教えてくれている。
 今では村長宅だけではなく、村人たちの人に知られたくない弱みを収集するようになっていた。
 情報とは力なり。
 いつかこれらの情報が役立つ日が来ると信じて、コツコツとミト特製のマル秘メモの内容が日々増えていっている。