大きな声で蒼真を呼べば、すぐに部屋にやって来た。
「呼んだか?」
「お父さんとお母さんの許可が欲しいけど、どこから話したらいいか分からなくて」
「ああ。そういうことか」
 蒼真は納得したように頷いてから、波琉の前に座る。
 波琉も聞く体制になるべく座椅子に腰を下ろしたのだが、ミトを後ろから抱きしめるような形で一緒に座った。
 はっきり言ってめちゃくちゃ恥ずかしい。
 それとなく離れようとしたが、すかさず引き寄せられる。
「逃げちゃだめだよ」
「は、波琉」
 蒼真が目の前で見ているというのに。
 しかし、波琉にはまるで目に入っていないかのように気にした様子はない。
 蒼真も仕方なさそうに小さく嘆息して、なにも見てませんというように話し始めた。
「最初にお話していたと思いますが、彼女は金赤様によって追放された星奈の一族から連れて来ました。彼女は紫紺様からあらかじめ許可を得ていましたので連れて来ましたが、両親までは許可を得ていませんので連れてくることができませんでした」
「あー、そういうこと。なら許可を出すから連れてくるといいよ。どうせなら一族ごと連れてくる?」
「それは駄目!」
 ミトが激しく反対した。
 やっとこさあの一族と離れられると思っているのに、一緒に連れてきては意味がない。
「どうしたの?」 
 星奈の一族でのミトの扱いを知らない波琉はミトの強い拒絶に目を丸くしていた。
「これは紫紺様の探しておられるのが彼女か判明してからお話するつもりだったのですが、彼女は星奈の一族であまりいい扱いを受けていなかったようです」
「どういうこと?」
 それまで穏やかな表情を崩さなかった波琉の目が剣呑に光る。
 蒼真は昌宏から聞いていた星奈の一族でに花印の悪しき風習。
 忌み子と呼ばれこれまで村から爪弾きになって暮らしていたこと。
 逃げようにも監視されていて外へ連絡ができなかったこと。
 蒼真がやって来た時、ミトは拘束されて監禁されていたことなどを順を追って話して聞かせた。
 時折ミトが補足したが、第三者の客観的な説明の方が波琉にはよく伝わったようだ。
 ミトではどうしても感情的になってしまうから。
「なるほどね」
 顔を険しくさせる波琉からゆらゆらと見えない空気のようなものを感じる。
 それとともに、なにやら外の空模様が急速に悪くなっていった。
 雷がゴロゴロと鳴り、不穏な気配を漂わせる空。
 突然の天気の急変に驚くミトとは反対に、至極冷静な蒼真。
「紫紺様。どうか気をお静めください。彼女が驚いていますよ」
 はっとした波琉は、様子を窺うようにミトの顔を覗き込んだ。
「ごめんね、ミト。怖かった?」
「怖いと言うか、なにがなんだったのか」
「紫紺様は天候を司る龍神様だ。それで紫紺様の怒りに空が反応しただけだ」
 だけと言うが、それはかなりすごいことだと思うのだが、蒼真は冷静そのものだった。
 さすが何年も波琉に仕えている神薙だけのことはある。
「紫紺様の機嫌が天候にそのまま影響することもあるから、絶対に怒らせるなよ」
「えっ」
 そう言われても、ミトに波琉の怒りのツボが分かるはずもない。
 そっと後ろを振り向けば、機嫌を直してニコニコとしている波琉の顔があった。
 先ほどまでおどろおどろしい雲が覆っていた空もいつの間にか晴天に戻っている。
「最初に花印の偽物が来た時には、その日一日中大嵐だったからな。ほんとに気をつけてくれ。でないと龍花の町が水没するから」
 脅しが含まれた、なんとも無茶な頼みである。
「そんなこと言われても……」
「大丈夫だよ。ミトがいれば僕は機嫌いいから。でも、ミトを虐げてた星奈の一族はちょっとムカつくかなぁ」
 ミトの肩に顎を乗せながら、再び波琉から見えない威圧感のようなものがあふれ出てくる。
 なるほど、これが神気というものかとミトは納得した。
 神と一緒にいたら分かるようになってくると蒼真が言っていたのが理解できた。
「あの人たちのことはどうでもいいの。それよりも早くお父さんとお母さんをここに連れてきたい。こうしてる間も村の人たちに嫌がらせされてないか心配で」
「そっか。そうだよね。じゃあ、すぐに迎えに行こうか」
「すぐって?」
「蒼真、ミトの両親がいる場所はどこ?」
 まるでそう言われることを予想していたように、蒼真は袖から地図を取り出して蒼真に見せる。
「ここです」
「ふーん。それぐらいならすぐに行って帰って来られるね」
 波琉は「よっこいしょ」と言いながらミトを抱えて立ち上がった。
 そして、庭先に出ると蒼真を振り返る。
「ちょっと行ってくるよ。今日中には帰るから、ミトの両親を迎え入れる用意しておいてね」
「かしこまりました」
「え? え?」
 なにやら話がまとまっていっているようだが、ミトひとりがついていけずに置いてけぼりにされている。
「波琉、どうするの?」
「こうするの」
 波琉が意味深に笑うと、抱っこされたミトごとふわりと宙に浮かぶ。
「ひゃああ」
 すがるものを求めて波琉にぎゅっと抱きつけば、波琉は楽しげにふふっと笑った。
「ちゃんと捕まっててね」
 そう言うや、波琉の姿が人から龍へと変化していったのである。
 波琉の特徴的な銀髪のように美しい鱗が輝いている。
 龍の姿となった波琉の首の位置にまたがり、驚きのあまり声も出ないミトを乗せて、波琉は空を飛んだ。
 ものすごい速さで移動しているのが眼下の景色で判別できたが、驚くほどに風の抵抗は感じなかった。
 これもまた龍神の力なのだろうかと感じている間にも、恐ろしい速さで過ぎ去っていく。
 これは傍から見たらどうなっているのだろうか。
 まさかの、龍神あらわる!なんていう文言でネットニュースのトップページを飾るのではないかと心配になってきた。
「波琉、これ絶対大騒ぎになるよ! 見てる人がいるかも」
「大丈夫だよ。見えないようにしているから」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
 なんとも軽い調子の波琉の言葉は、本当に信用していいのか困ってしまう。
 しかし、話題になったとしても龍花の町がなんとかするだろうと、ミトも気にしないことにした。
 そうしてあっという間についたのは、ミトが十六年もの長い時間を過ごした村だ。
「ミトの家はどれ?」
「クリーム色の屋根の、それ」
 ミトは自分の家を見つけて指をさした。
「了解」
 移動していた時とは反対に、ゆっくりと降り立った波琉は、龍から見慣れた人の姿へと戻った。
「波琉、下ろして」
「駄目だよ。だって、ミト靴履いてないでしょう?」
「あっ」
 庭先に出た時、波琉は草履を履いていたが、ずっと抱っこされていたミトは裸足のままだ。
「じゃあ、家の中に連れてって」
「うん」
 波琉に抱きあげられたまま家の呼び鈴を鳴らしたが、何度鳴らそうともいつまで経ってもでてこない。
 仕事のことが頭をよぎったが、すでに日は落ち始めており、いつもならとっくに帰ってきている時間だ。
「家の鍵持ってくるの忘れたー」
 ミトの家は留守中は必ず鍵をかけている。
 鍵がなければ家に入ることができないのだ。それでも思わずドアノブに手にかけると、玄関の扉はすんなりと開いた。
「えっ、なんで?」
 まさか鍵をかけ忘れたのだろうか。
 そんなこと今までなかったのにと思いつつも、このタイミングで開いていてくれたのは助かった。
 まだ帰ってきていないなら中で待っていようと、玄関を開いて中へ入った。
「波琉、こっち。お父さんとお母さんが帰ってくるまでお茶でも飲んで待ってよう」
 ようやく下ろしてもらえたミトはリビングへと一直線に向かった。
 そしてリビングに入ろうとしたところで、足が止まってしまう。
「え……。なに、これ……」
 数日前まですごしていたリビングは、まるで嵐でも過ぎ去ったように荒らされていたのだ。
 花瓶は床に落ちて花が乱雑に散らばり、何度も誰かに踏みつけられたよう。
 窓ガラスも割れており、椅子やテーブルといった家具も倒されている。
 嫌な予感が頭をよぎったミトは、叫びながら両親の姿を求めて家の中を探し回った。
「お父さん! お母さん!」
 しかし、どの部屋にも両親の姿は見つけられない。
「波琉! どうしよう。お父さんとお母さんが見つからない。それとも外にいるのかも!」
 駆け出そうとしたのを、波琉が腕を引いて止める。
「ミト、落ち着いて。外も暗くなってきたし、むやみに探し回るのは危ないよ」
「けど!」
 その時、「にゃお、にゃお」という鳴き声が聞こえてきてはっと見ると、リビングの割れた窓ガラスの向こうから、村長宅の飼い猫のクロがなにかを訴えるように大きな声で騒いでいた。
「クロ?」
 割れたガラスに気をつけながらクロに近付いていく。
「クロ、お父さんとお母さんがいないんだけどーー」
『大変大変!』
 クロはミトが質問し終えるのを遮って騒いだ。なにかずいぶんと慌てているようだ。
「どうしたの?」
『村の奴らがミトの両親を連れてっちゃたのよ。皆怖い顔して、お前達のせいだって、殴ったり蹴ったりしてて』
「嘘でしょう……」
 ミトはあまりのことにそれ以上の言葉が出てこなかった。
 村の人たちはミトのことを忌み子と蔑んではいるが、比較的両親に対しては同情的な者も少なからずいた。
 村の中でも、監視をされていただけで、ミトのように虐められていたなんてこともなかった。
 だからミトがいなくなれば、むしろ関係がよくなるのではないかとすら思っていたのに、甘い考えだった。
 まさかミトへの鬱憤が両親に向かうなんて想像だにしていない。
 もし分かっていたら、蒼真がなんと言おうと無理矢理連れて行ったのに。
「お父さんとお母さんはどこ?」
『村の集会所よ』
 場所が分かったなら行かないわけにはいかない。
「波琉!」
 と、波琉を振り返ってから、波琉は動物の声が聞こえないことに気がつく。
「あっと……」
「ミトは動物の声が聞こえるの?」
「う、うん」
 波琉にはそのことをまだ話してはいなかった。
 きっと相当驚くだろうとミトは思っていたのだが、ミトの心情をよそに、波琉は楽しげに笑ったのだった。
「そうなんだー。ミトはやっぱり面白いね」
 そう言ってミトの頭を優しく撫でる。それはミトにとっては予想外の反応だった。
 あの蒼真でも最初は疑惑の目を向け、かなり驚いていたというのに。
「驚かないの?」
「驚かないよ。人間の中にはたまにミトみたいな子もいるからね」
「そうなの?」
「そうだね。長く生きてればいろんな人間を知るから」
 蒼真はミトのような人間は知らないと言っていたが、悠久の時を生きる龍神にとったら珍しくないのかもしれない。
「そうなんだ……」
 ちょっと嬉しくなりながらも、それどころではない。
「波琉、お父さんとお母さんが」
「うん。集会所だっけ? 行ってみよう」
 波琉がクロの言葉を理解していたことに目を丸くするミトに、波琉は「龍神だからね」と、説明になっているようななっていないような言葉をかける。
「また抱っこして行こうか?」
「家に予備の靴があるから大丈夫」
「なんだ」
 波琉は残念そうにしながら、集会所に急ぐミトの後につき従った。