ようやく検査が始まったのは翌日後だった。
 その間、散々ヤキモキさせられたミトはやっとかと、どっと疲れたような気がする。
 しかもミトの癒しの時間である、波琉の夢を、この町に来てから見なくなってしまったのだ。
 波琉になにかあったのだろうかと心配でならなかった。
 しかし、蒼真によると、紫紺様にはなにも変わったことはないというのだから、紫紺様と波琉は別人なのではないかと思い始めていた。
「検査ってなにするんですか?」
「まずは健康状態を確認する。これまで病院にかかったことがないみたいだから、そこからだ」
 そんなことをしなくとも健康であることはミト自身がよく分かっているのだが、ちゃんとしたデータが欲しいのだろう。
「それが終わってから、本題である花印を調べる。こっちは複数の神薙がアザを確認して、全員から花印だと断定をされたら、晴れて紫紺様と面会だ」
「面倒くさい~」
 こちらは早く会いたいというのに、まだ時間がかかるのかと思うとげんなりしてくる。
「なんせ相手は龍神のトップにいる紫紺様だからな。念には念を入れたいんだよ」
「……分かりました」
 蒼真からこれまで紫紺様の元には幾人もの偽物がやってきていたと聞いていたので、慎重になる理由もよく理解できた。
 避けて通れないなら、駄々をこねるよりも協力的な方が早く終わるはず。
 早く終わらせて早く波琉かどうかを確認しなければ。
 そう、ミトは気合を入れていた。
 そして検査が始まったわけだが、血を抜くからと初めての注射を見て恐怖し、バリウムを飲んで気持ち悪くなり、他にもありとあらゆる検査を受けさせられて、終わった頃にはぐったりとなった。
 健康かを調べるもののはずなのに、逆に健康を害しそうである。
 二度とやるまいとミトが思っていたら、花印になったら年に一度の人間ドックは必須だと言われて頬が引きつる。
 検査結果が出るのに少し時間がかかったが、結果は良好。健康状態に問題なしとお墨付きをもらった。
 そうしてようやく花印の取り調べが始まったわけだが……。
 装束を着た男女含む老人たちにミトは囲まれ、怖い顔で審問攻めにされることに。
 これが世に言う圧迫面接かと逃げ出したくなったミトだが、彼らに取り囲まれていてそれもできない。
 アザのある手を虫眼鏡でまじまじと確認すると、様に張ったお湯の中にドボンと浸けられそのまま十分。
「ふむふむ、これでは落ちんか」
「今度はクレンジングだな」
 そう言うと、最強メイク落とし!と書かれたクレンジングオイルをアザの上にたっぷりと落とされ、繭玉でゴシゴシと擦られる。
 けれど、そんなもので生まれた時からあるアザが消えるはずもないのに、神薙のひとりはムキになり始める。
「なんと強情な。これでもか! うりゃ、うりゃ」
「痛い痛い。擦りすぎですっ」
「ふむ、これだけ擦っても取れないとは、本物のようですな」
 過去にはこれでアザが消えた者がいるらしい。
 もちろん、擦って落ちる花印など偽物である。
「いや、もっと慎重にならねば。紫紺様はこれが最後だとおっしゃっておるのだから」
「確かに。念には念を入れておこう」
(えー、いい加減波琉に会いたい……)
 嫌そうに顔を歪めるミトは無視され、それから何時間もありとあらゆる検査と質問をされることに。
 そして、ようやく神薙たちからのお墨付きをもらえたのだった。
「つ~か~れ~た~」
 ソファーでぐでっとするミトを見て、蒼真は苦笑した。
「まあ、これで会える手はずが整ったからそれでよしとしとけ」
「波琉に会えますか?」
「紫紺様とな。それがお前の波琉かどうかは知らねぇ」
 ずいぶんと投げやりだが、誰よりそうであってくれと願っているのは蒼真だろう。
 もし、探すように命じられていた『星奈ミト』とミトが別人だったら、また探しに行かなければならないのだから。
「いつ会えますか?」
「さっき紫紺様に確認を取ったら、すぐに連れてきていいとさ。行くか?」
「はい!」
 ようやく会える。
 ミトは胸の奥が期待で高まるのを感じた。
 車で移動して着いたのは、紫紺様の屋敷。
 大きな門がその先のものを守るように立ちはだかっており、門が開くとそのまま車で中に入っていく。
 これまで見たことがないほどに立派な屋敷の玄関に横付けされると、ミトは圧倒されながら車から降りた。
「ほわ~。すごいお屋敷」
「紫紺様の屋敷だから当然だ」
 改めて紫紺の王という存在がどれだけ上の立場かを思い知らされる。
 そんな人が波琉と同じ人なのか、ミト急に不安が襲ってくる。
 けれど、会ってみないことにはなにも分からない。
 さっさと屋敷の中に入ってしまった蒼真を慌てて追いかける。
 屋敷の中は圧巻の広さ。
 ミトの家がいくつ入るだろうか。
 蒼真を見失ったら確実に迷子になると、蒼真の後ろをぴったりとついて回った。
 そして、ある部屋の前で立ち止まった。
「ここだ。準備はいいか?」
「心臓が口から出そう」
 それくらい緊張していて、心臓がバクバクと鼓動を打っている。
「頼むから紫紺様の前で吐くなよ。吐くならトイレに行ってこい」
 ミト心配はしてくれないのか、この男は。
「大丈夫です。……たぶん」
「なら行くぞ」
 蒼真は襖の前で正座をして中へ向かって声をかえた。
「紫紺様、例の女性をお連れしました。入ってもよろしいでしょうか?」
「いいよ、入っておいで」
 思っていたよりも穏やかで優しげな声が聞こえてきて、ミトの心臓は早鐘を打つ。
「失礼いたします」
 そっと襖を開けると、一礼してから蒼真が入っていくのを見て、ミトも同じように一礼してから蒼真に続いて中に入った。
 肘置きに肘をついて座椅子に座っている男性がにこやかにミトが入ってくるのを見ていた。
 その輝くような銀色の髪と、紫紺の瞳。そして変わることのないその美しい顔立ち。間違えるはずがない。
 焦がれてやまなかったミトの好きな人。
「波琉……」
 その呟きでミトの波琉と紫紺様が同じだと察したのだろう。
 蒼真は一瞬だけミトに視線を向けると、波琉に戻した。
「どうやら余計な説明は必要ないようですね」
「そうだね。ご苦労様、蒼真。行っていいよ」
「なにかありましたらお呼びください」
 再度一礼してから、ミトを置いて蒼真は部屋を出ていった。
 蒼真が行ってしまって身の置き所に困ったミトは困惑した。
 目の前にはあれほど会いたかった波琉がいるが、どうしたらいいか分からない。
 戸惑っていると、座っていた波琉が立ち上がり、ミトに近付いてきた。
 反応に困るミトは内心あたふたしつつも、体は硬直したように動かない。
 その間も着実に距離を狭めてくる波琉に、ミトはもう波琉を見つめることしかできなかった。
 そして、手が届くほど近くに立った波琉は、ミトににこりと微笑む。
 それはいつも夢で見慣れた波琉の笑顔だ。
 そっと波琉が手を伸ばしてくる。
 いつもなら見えない壁に阻まれるその行動は、しかしなににも阻まれることなくミトの頬に触れた。
 初めて触れたその手は思ったよりひやりとしていたが、間違いなく人の温もりを感じ、波琉が自分に触れているのだと思うと感情が高ぶりすぎて声が出てこない。
「花印を見せて」
 静かで柔らかな波琉の声に、体は勝手に従ってアザのある手を差し出した。
 頬に触れる手とは反対の手で、ミトのアザを優しく撫でる。
 すると、波琉は破顔一笑。
 今まで見たことがないほど嬉しそうに笑った波琉は、次の瞬間にはミトを抱きしめていた。
「ミト、やっと会えたね」
 波琉の声が上機嫌に弾んでいるのが分かったが、突然波琉に抱きしめられたミトは人形のように硬直してしまった。
 反応が返ってこないことを不審に思った波琉が、腕の力を少し緩めミトの顔を覗き込む。
 波琉の綺麗な顔が間近にあって、余計にミトを動揺させる。
「ミトは僕に会えて嬉しくないの?」
 ミトから返事がないことを悪い方に取ったのかもしれない。
 眉を下げて寂しそうにする波琉を見て、ようやくミトの体が動いた。
「そんなことない! ずっと波琉に会いたいって思ってたもの! ……でもなんだか、まだ実感が湧かないと言うか。夢のような気がして、びっくりしちゃって。だから決して嬉しくなかったとかじゃない」
 なにせずっと波琉は夢の中だけの住人だと思っていたのだ。
 こうして言葉を交わしていることが信じられないのも無理はない。
 けれど、波琉はミトのことを夢の中だけの存在とは思っていなかったのだろう。だから蒼真に探させていたのだろうし。
「波琉は私を探してくれてたの? 花印があるって知ってて?」
「うーん、それは知らなかったんだよ。ただ、あの夢が只の夢でないことは感じていた。ミトがどこかにいるだろうこともね。あの夢を見始めたのは龍花の町に来てからだったから、なにかしらミトと波長があったんだろうなって。でも、今はそれも納得かな。ミトは僕と同じ花印を持っていたんだから、波長が合うのは当然だもの」
「そういうものなの?」
 波長と言われてもミトには分からない。
「ミトの花印からは僕と似た神気が感じられるからね」
 ミトは自分の花印に視線を落とすが、蒼真も言っていたような神気みたいなものは感じない。
「花印なんて関係なくミトに会いたいと思ったから探してもらってたんだよ。それなのに、そのミトが僕と同じ花印を持っているなんて嬉しい誤算だったな」
 波琉はにこっと微笑んでからミトの頬に手を滑らせる。
「ねえ、ミト。もう一度言ってくれないかな?」
「もう一度ってなにを?」
「壁越しなんかじゃない、ミトの声で聞きたいな。あの日ミトが言ってくれた言葉を。ミトが僕のことをどう思っているかだよ」
 耳元で囁いた波琉の最後の言葉に、ミトはなんのことを言っているのかを理解して顔を真っ赤にした。
「あ、あれは……! 言葉の綾というか、波琉には分からないと思って思わず口にしちゃったことで」
 ミトは言いわけをするのに必死だった。
 あの日の告白は、するつもるなんてなかった完全な誤爆である。
 あれをもう一度言えだなんて、鬼か。
「聞かせてよ。あの言葉があったから、我慢できなくなってミトを探すことにしたんだ。花印を持っている子に会うつもりで龍花の町に来たけど、もう花印の伴侶なんて関係なく、ミトを僕のものにしたいって思ったから」
 波琉はもう一度ミトの耳元で「聞かせて」と甘く囁いた。 
 波琉の言葉は、もうミトの想いの答えを口にしているようなものだった。
「波琉」
「うん?」
「……好き」
「うん。僕もだよ」
 ためらいがちに呟かれた告白に、波琉は満面の笑みで応えてくれた。
 そして、ミトを抱きあげると、楽し気にクルクルと回り始めた。
「わっ、波琉! 目が回る」
「ごめんごめん。あまりにも嬉しくって。だって、正式な伴侶にできるのは花印を持つ子だけがから、ミトとは人間界にいる間だけしか一緒にいられないと思ってたんだよ。なのに、ミトが僕の花印だった。それなら人間の生を終えても天界でずっと一緒にいられる。こんなに嬉しいことはないよ。ミトは? ミトも嬉しい?」
「もちろん!」
 嬉しくないはずがない。ずっと恋していた人なのだから。
 それにこうして言葉を交わしたをしたのは初めてなのに、なんの違和感もなく会話している。
 まるでこれまでもそうであったかのように。
 波琉といることが自然に感じている。
「こんなことなら最初からミトの名前を出して探させていたらよかったな。まさかミトが僕の花印を持ってると思っていなかったから、あまり深入りするのはよくないって夢の中だけで我慢してたんだ。まさかミトがそうだったなんてね。散々偽物と会わされたのはなんだったのか。ほんと無駄な時間を使っちゃたよ」
「夢の中ではお互い花印なんてなかったから」
「不思議だよねえ。まあ、これも天帝のいたずらかな」
「天帝?」
 またよく分からない単語がでてきて、ミトに疑問符が浮かぶ。
「そのことはおいおい話してあげるよ。それよりも、ミトが僕の花印の上に相思相愛なんだから、ミトは今日からここで暮らすよね? 楽しみだな。とりあえず蒼真と尚之を呼ぼうか。ミトを僕の伴侶として対応してもらうようにお願いしないと」
 なにやらとんとん拍子に話が進んでいる気がしてならない。
 まあ、ミトもそれなりの覚悟を持って龍花の町に来ることを決めていたし、相手が波琉というなら問題があるはずもない。
「波琉は紫紺様っていうんでしょう?」
「そう言われているね」
「龍神の中で一番偉い?」
「そうだよ」
 それならばなにより先にお願いしなければならないことがある。
「お父さんとお母さんをここに連れて来たいの」
「別にかまわないよ。部屋は広いから好きに使ったらいいし」
「えっと、そうじゃなくて、ふたりを連れてくるには紫紺様の許可がいるんだって。つまり波琉の!」
「どういうこと?」
 どこから説明したものか。
「えーと。そうだ、蒼真さーん!」
 ミトはとりあえず事情を知る蒼真を呼ぶことにした。