四章

 翌朝、早めに朝食を終えたミトは、昨日家に泊まった蒼真たちとともに出発しようとしていた。
「いってくるね」
「気をつけるのよ」
「うん、お父さんとお母さんも。さすがの村長たちも、私の存在がバレてもまだなにかしてくるほど馬鹿じゃないと思うけど、用心はしてね。できるだけ早く許可をもらえるようにするから」
「任せろ。なにかあっても志乃は俺が守るから」
 仕事で鍛えた力こぶを見せつけるように腕をあげた昌宏は、その手でミトの頭を撫でる。
「ミトはなにも心配しないで自分のことを優先に考えるんだ」
「ありがとう」
 そのお礼の言葉にはたくさんの想いが込められていた。
 これまで村から迫害されながらも、見捨てることなくいつも味方でいてくれた両親。
 ミトを生んだことでたくさんの苦労をしただろうに、それを表に出すことなく、ミトを優先に考えてくれた。
 お礼を言っても言い切れないほどの感謝の念が湧いてくる。
「さあ、もう行きなさい」
「ひとりでも頑張るんだぞ」
「うん、いってきます」
 そうしてミトは、十六年決して出ることのなかった村の外へ出たのだった。

 村から車で数時間走ると、町並みはがらりと変わっていた。
 高いビルに、舗装された広い道路と、村人全員たしてもまったくたりない人の数。
 そのすべてがミトには新鮮で、あっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろと忙しい。
「そんなに珍しいのか?」
「はい。私は村から出してもらえなかったので、ネットでの知識だけなんです。実際にこの目で見られるとは思ってなかったから感激です!」
「そうか、なら存分に見とけ。このまま空港に行って飛行機に乗るぞ」
「おお~。夢にまで見た飛行機! そんな贅沢が許されるなんて」
 ミトは噛みしめるようにぐっと拳を握った。
「飛行機程度でおおげさな。まあ、ずっとあの小さな村の中に閉じ込められてたなら仕方ないか。まったくクズばっかりだな、あの村の連中は」
「それなんですけど、花印を申告しなかったら厳罰に処されるって話は本当ですか?」
「時と場合による。が、今回は厳罰の方だろうな。子供への虐待も含まれるだろうから、後ほど国から調査が入るはずだ」
「ふーん」
 自分で聞いておいてなんだが、正直、今となってはどうでもいいと思っている。
 両親ともどもあの村を出ることができたら、もう関わり合いになりたくないというのが素直な気持ちだ。
 向こうも目障りな忌み子がいなくなってせいせいするだろうに、どうしてあそこまで外に出さないようにしていたか分からない。
 わざわざ監視までつけてだ。
 きっと花印を持つ子が災いを持ってくると本気で思っていたのだろうか。
「お前はどうしてほしい? これまでの恨みを晴らすか? 紫紺様に頼めば一発だぞ」
「今後関わってこなければそれでいいです」
「無欲だな」
「そんなことありません。欲はたっくさんありますよ。お洒落なカフェでパフェ食べて、電車にも乗りたいし、映画館にも行きたいし、後遊園地も。それから服はネットじゃなくてちゃんとお店で試着して買いたい」
 ミトは指折り数えていくが、両の手の指だけではとても足りない。
 そんな欲望だらけの自分は、無欲という言葉とはほど遠い場所にいる。
「あの、私って村長のせいで戸籍がないんですが、それは今からでもどうにかなりますか?」
「ん、ああ。その問題もあったな。安心しろ、そもそも龍花の町に住む花印の奴らには戸籍なんてない」
「そうなんですか?」
「花印を持っているってことは、神の伴侶候補だ。人であって人の枠にははめられないのが花印を持つ者たちだからな。普通は生まれてすぐに報告がされて龍花の町に連れてこられると、龍花の町独自の名簿に名前が載るんだ。それがまあ、いわゆる戸籍みたいなもんだな」
 戸籍が必要ないとは思わなかった。
 人間の世界にある神の町。やはり龍花の町は普通の町とは違うルールの中にあるようだ。
「へぇ。じゃあ、心配しなくてもいいのか」
「そうだな。そこは気にしなくても問題なく過ごせるからいいが、龍花の町についたら、最初にいろいろ調べさせてもらうことになる」
 いろいろとはなんなのか。わずかな不安が襲う。
「調べるってなにをするんですか?」
「これまで戸籍もなく暮らしてきたなら当然国の保険にも入ってないんだろ? 予防接種や、病院にかかったことあるか?」
「全然ないです」
 物心つく前のことは知らないが、記憶にある限りではない。
「よく今まで無事だったな」
 そこにはあきれが半分、賞賛が半分という感じだ。
「昔から体は丈夫なんですよね。風邪引いた記憶ないぐらいに」
「花印を持つ奴は肉体的に丈夫な傾向にあるからな」
「そうなんですか?」
「花印は神気を帯びているから、そのおかげだと言われている」
 蒼真から聞かされる話は初めてのことばかりで実に興味深い。
「神気?」
「神が持つ見えない力のことだ」
 そう言われてもミトにはさっぱり分からない。
 蒼真もミトが理解していないことを感じたようで苦笑した。
「龍神と一緒にいたらなんとなく分かってくる」
「そういうものですか」
「そういうもんだ。それに、分かったところでなにがどうなるってわけでもない」
 それならばミトが気にすることもないだろう。
「波琉は紫紺の王? というものなんですか?」
「お前の知る波琉と紫紺様が同一人物ならそうだな。けれど、会ってみないことにはなんとも言えない。俺も、星奈ミトという名前だけで探してこいと言われただけだから、お前が紫紺様の探している星奈ミトかどうかは、紫紺様に確認してもらわないと判断できない」
「名前だけって、けっこう無茶ぶり」
 龍花の町の常識を知らないミトには難しいように思うのだが、それともそれぐらい簡単なものなのだろうか。
 だが、共感したミトに対して感激している蒼真を見るに、違うのだろう。
「お前もそう思うだろう? けど言うこと聞かないとハリセンが飛んでくるからな。神薙ってのは給料はいいが雑用係みたいなもんだ。粛々と従うしかない」
 村長たちを怯えさせていた、このチンピラのような蒼真を脅すとは随分と豪胆だ。なんだかミトの想像している波琉と違う気がするのだが……。
 まあ、ミトも直接会話らしい会話をしたことがないので、波琉がどんな人か把握しているわけではない。
「神薙ってのも大変なんですねぇ」
「俺に同情するんだったら紫紺様にガツンと言ってやってくれ」
「でも、めちゃくちゃ偉い人なんでしょう?」
「ああ。龍神の中で一番偉い」
 そんな至極当然のように言われても、ミトも困る。
「そんな人にガツンと言ったら、こっちがガツンとされちゃうんじゃないんですか?」
「お前が紫紺様の探している女なら大丈夫だ。……たぶん」
「最後の言葉で台なしなんですけど」
 そんな一か八かの賭けなどしたくはない。

 それからは、生まれて初めての飛行機--しかもファーストクラスに乗り、ひとはしゃぎし終わると、これまでの村での扱いや生い立ちなどを蒼真に話して聞かせた。
 その中には、ミトが動物と話せるということもあった。
 昨夜両親と話し、神薙になら教えてもいいのではないかと結論付けたからだ。
 花印を持つ者の中にミトと同じような不思議な能力がある者がいないか聞くためでもある。
 しかし、残念ながらミトのような能力を持った者は聞いたことがないとの答えだった。
 がっかりという気持ちは隠せなかったが、神薙という人たちも只人とはちょっと違った力を持っていると聞いて嬉しくなった。
 別に自分だけが特別というわけではないのだと。
 飛行機を降りると再び車へと乗りこんで移動することに。
 しばらくすると、どこまでも続く塀が見えてきた。
「あの塀の向こうが龍花の町だ」
 蒼真の言葉にドキドキと胸は高まる。
 龍花の町は四方を塀で囲まれたひとつの大きな町だという。
 中に入るには、まず検問所を通過しないといけないらしい。
 塀の直前で止められると、窓を開けた蒼真が警備員と思わしき人にカードのようなものを渡していた。
 自分のこともなにか聞かれるのだろうかと緊張して待っていたミトだったが、なにも指摘されることなくあっさりと通行を許可された。
 よほど興味津々に見えたのだろう。蒼真が先ほど警備員に渡していたカードを見せてくれる。
 それは蒼真の顔写真の載った証明証のようだ。
「お前のアザが花印だと確認されたら似たような証明証を渡してやる。龍神の伴侶候補であることを示すものだ。龍花の町で暮らしていくなら必要なものだから、もらったらなくすなよ」
「はい」
 こうして念願の龍花の町にたどり着いたわけだが、すぐに波琉との面会とはいかなかった。
「どうして会えないんですか?」
 すぐに会えると思っていたミトは肩透かしを食った気分だ。
「お前がただの星奈ミトだったらすぐ会わせることができたんだが、紫紺様と同じアザを持ってるせいで慎重になる必要があるんだよ」
「どういうことです?」
「紫紺様は、自分と同じアザを申し出てきた人間には、後一回しか会わないって言ってるんだ。これまで紫紺様のところには偽物の花印のアザを持った奴がたくさん来たから嫌気が差したんだろ。本当はもう会わないって宣言したのを、星奈ミトを連れてくることと引き換えに最後に一度だけ会うと取引した。つまり、お前が紫紺様と同じアザを持ってると騙っていないか、よおく調べる必要があるんだよ。これが最後の機会だからな」
「けど、お父さんとお母さんを早くここに連れてきたいです」
「あー、その件があったか」
 蒼真も思い出して困ったように頭を掻いた。
 両親があの後これまで通りに暮らせるとは思えない。
 村人から嫌がらせのようなことをされていないかと、ミトは気が気でなかった。
「気持ちは分かるが、こればっかりは俺にもどうにもできない」
「そうですか……」
 思わずため息がこぼれ落ちた。
「悪いな」
「いえ」
 蒼真を責めてもどうにもならない。分かっているが、落胆するこの気持ちは隠せなかった。