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ミトは動物たちに、神薙が来たら山で仕事をする昌宏のところで大暴れしてほしいと頼んでいた。
その混乱に乗じれば、監視の目をすり抜けることができるだろうと考えてのこと。
一緒に働く村人の目から逃れたら、直接昌宏が神薙の元へ行けるように時間を稼ぐため、たくさんの動物たちに協力を願った。
突然のお願いにもかかわらずたくさんの動物が協力してくれることになった。
一応、脅すだけにとどめてくれと頼んだので、大怪我をする者はいないだろう。
まあ、逃げる時に転んで擦り傷を作る者は現れるかもしれないが、それはいたしかたない。
彼らがミトにしてきたことを思えば軽いものだ。
深夜まで続いた話し合いでは、昌宏ではなくミトが神薙に直接会う方がいいのではないかとの意見も出た。
ミトもひとりが動くより、ふたりが行動を起こした方がより確実ではないかと思い、神薙が来たらスズメに知らせに来てくれるようにお願いすることにした。
後は見計らって家を抜け出す。邪魔が入った時のために、スズメたちが援護するといことで話はまとまったのだ。
そうして準備万端で朝を迎えると、朝早くに隣の家の老夫婦が家を訪ねてきた。
「どうしたんですか? こんな朝早くに」
「あがらせてもらうよ」
応対した志乃が了承する前にずかずかと家の中に押しいってきた夫婦は、一直線にミトがいるリビングに入ってきた。
その手にはそれぞれロープとタオルを持っており、なにをしにきたのかとミト家族は不思議そうにする。
計画がばれたのだろうかと内心ひやひやしているミトの前に立つと、夫婦はあろうことか、ロープでミトの両方の手首を合わせて縛り、轡のようにタオルで口をふさいだのだ。
あまりのことに驚きで動けないミトをいいことに、今度はミトの両足首を縛りあげる夫婦に対し、昌宏と志乃は抗議の声をあげた。
「なにしてるんだ!」
「ミトから離れて!」
昌宏はミトから夫婦を引き離し、志乃が守るように抱きしめた。
「うーうー」
タオルで口をふさがれたミトは言葉にならない声を発する。
「ああ、ミト。待ってちょうだいね。すぐに外すから」
そう言って志乃がミトの動きを封じるロープに手をかけた時、老夫婦の怒声が響いた。
「外すんじゃない!!」
「やめなさい!」
びくりと体を震わせた志乃は動きを止めてしまう。
しかし反抗するようにふたりをにらみつけた。
「どういうつもりなんだ」
昌宏はミトと志乃を背にかばい、老夫婦に対峙する。
「どうもこうもない。村長からその子を外に出さないように言われてるだろう?」
「確かにそうだが、別に縛る必要はないだろ!」
老爺の言葉に昌宏が反論すると、老婆の方が鼻を鳴らした。
「ふん。その子が言うことを聞くかどうか、信用できないからだよ」
「その通りだ。昌宏と志乃は今日も仕事だろう? その間大人しくしているとは限らないから、村長からそいつを見張っておくように言われたんだ」
「だからって、やりすぎだろ!」
これまで扱いはひどいものだったが、今日のこれは目に余る。
これではまるで罪人のようではないか。
ミトはなんら悪いことはしていないのに。
「隙をついて勝手なことをされては困るからね。村長の命令だよ。文句なら村長に言っておくれ」
「くっ……。どうしてあんたたちはいつも、いつも……」
昌宏も志乃も悔しげに表情を歪める。
ミトを忌み子と言ってきかない村長に、どんなに強く抗議したとことで聞き入れるはずがないことを昌宏と志乃はよく分かっていた。
ミトは自分の姿に視線を落とす。
幸いにも両手は前で縛られているので、多少の身動きはできる。
不便だが、一日ぐらいはなんとかなるだろう。
ミトは昌宏の袖をちょんちょんと引っ張る。
「うーうー」
「なんだミト?」
ミトは昌宏をじっと見つめながら、こくりと頷いた。
今ここで村長に逆らうのは得策ではない。
目的を達成するためには多少の我慢は大事だ。
その思いが伝わったのか、昌宏はわずかな逡巡の後、唇を引き結んだ。
「分かった。やることをできるだけ早く終わらせて帰ってくるから、ミトは我慢して待ってるんだぞ」
「うーうー」
ミトは何度も首を縦に振った。
そして心配そうな顔をしながら、昌宏と志乃は仕事に出かけて行った。
後は神薙が本当に来るのかどうかだ。
それでミトの今度が大きく変わることになる。
我が物顔でリビングでくつろぐ老夫婦に冷めた眼差しを向けながら、ミトは椅子に座ってじっとしていた。
はっきり言うと、暇である。
両手が縛られているので、できることがあまりないのだ。
仕方なく側にあった雑誌を見ていると、外から犬の遠吠えが響いてきた。
あれは村長の家のシロの声。
のどかな村では騒音も、音を遮る高い建物もないので、シロの鳴き声がよく聞こえるのだ。
普通の人間にはただの遠吠えにしか聞こえないだろうが、ミトには違うものが聞き取れた。
『神薙来たよー。全員配置につけー』
ミトは心の中で「よし!」と叫び、老夫婦に見えないように小さくガッツポーズをした。
それからも、今神薙はどこのお宅にいるかとシロや鳥たちが逐一報告してくれるので、神薙の動きがよく分かった。
「なんだか今日のシロは騒がしいね」
さすがにいつもと違うことに気がついたようだが、その内容まで理解できるはずもなく、老婆が様子をうかがおうとカーテンの隙間からのぞいた時。
「あっ」
老婆は驚いたようにカーテンから離れたのだった。
「どうした?」
「今ちょうど例の人が通ってたんだよ」
「おいおい、気付かれてないだろうな?」
老爺はわずかに狼狽した様子で外の様子を窺うが、どうやら神薙はそのまま行ってしまったらしく、老夫婦はほっとしていた。
それとは逆に、心の中で舌打ちしたのはミトだ。
(ああ、じれったい。お父さんはうまくいったかな。そろそろ動物たちが暴れ始めている頃だと思うんだけど)
さすがに山の方の状況までは把握できていなかった。
うまくいくことを願うことしかできないのが苛立たしい。
気持ちばかりが先走り、ミトのストレスはたまる一方だ。
静かにその時を待っていると、玄関の方からがちゃがちゃと鍵を開けようとしている音が聞こえてくる。
そして、慌ただしく入ってきたのは、昌宏だった。
「ミト!」
「うー」
作戦は成功したのか聞きたいのに、口をふさぐタオルが邪魔をする。
そうこうしていると、ミトの知らないスーツの男性がふたり入ってきて、縛られているミトを見ると、驚いた顔をしていた。
「なに勝手に入ってきてるんだい!」
そう叫んだのは老婆である。お前が言うな!とミトは心の中でツッコミながら、昌宏が手足を縛るロープを外そうとしてくれていた。
しかし、思ったより結び目がきつかったようで、素手ではほどけず、はさみを持ってきて慎重に切っていった。
ようやく解放された手で、口をふさいでいたタオルを自分で取ると、ミトはほっと息をつく。
「お父さん。あの人たちが神薙の人?」
「ああ、そうだ」
それはつまり、作戦が成功したことを示していた。
ミトの足の縛りを解くと、昌宏はミトを立たせて神薙の前に連れて行った。
「この子が俺の娘のミトです」
「星奈ミトです」
「俺は日下部蒼真だ。花印を持っているってのは本当か?」
「はい」
ミトはあざのある手の甲を見せると、蒼真は驚いた顔をした。
蒼真の後ろに控える男性も、ミトのアザをのぞきこんで、なにやら興奮したように蒼真の肩を叩いた。
「蒼真さん! これって、これって! この形そうなんじゃないですか?」
「分かったから叩くな。少し触るぞ?」
「どうぞ」
蒼真はなにかを確認するようにアザを指で擦る。
「確かに神気を感じるな。だがもう少し詳しく調べる必要がある。龍花の町に来てもらうことになるがいいか?」
もちろんだと、返事をしようといたのを遮ったのは村長の声だった。
「そんなことは許さんぞ!」
いつの間に来ていたのだろうか。
村長だけでなく、何人もの村人も様子を見に入ってきていた。
よほど焦っていたのだろう。靴のまま入ってきていた村長に、ミトは眉をひそめる。
靴を脱げ!と叱りたかったが、今は誰も彼もそれどころではないようだ。
「おい、じじい。これはいったいどういうことだ? ミトなんて奴はいないって言ったよな? しかも花印まであるじゃねえか。花印を持った子供が生まれたら国に申告しなきゃならないことを知らねえわけねえよな?」
「それは……」
「はっきりしろや、ああん!?」
ヤンキーさながらのド迫力ですごむ蒼真に、ミトと昌宏は顔をひきるらせると、ひそひそ話始めた。
「お父さん、この人本当に神薙? チンピラじゃないよね?」
「た、たぶん……」
昌宏もちょっと自信なさげである。
「ましてやこんなガキを縛って軟禁してるなんて、どういう了見だ。警察呼んで村人全員刑務所のまずい飯食わしてやろうかぁ!?」
「やっぱり違うんじゃ……」
ミトが不信がっていると、もうひとりの男性が笑顔で近付いてきた。
「信じられないけど、大丈夫だよ。チンピラにしか見えないかもだけど、ちゃんと神薙の試験は突破してる優秀な人だから。信じられないけど」
信じられないと二度も言った。
だが、本物の神薙であるなら、チンピラだろうがヤンキーだろうがどっちでもいい。
「あの、神薙さん」
ミトは思い切って話しかけてみた。
村長たちにがんを飛ばしていた蒼真は、ミトを振り向くと乱暴に頭を撫でた。
「安心しろ。ある程度のことはここに来るまでにお前の父親から話は聞いた。いままでよく頑張ったな」
まさかそんなことを言われると思っていなかったミトは、目を見張った後、こくりと小さく頷いた。
「花印の可能性がある以上、龍花の町に連れて行く必要がある。問題ないか?」
「はい。そのつもりです」
ミトは力強く頷いた。
まさにそのため動物たちにも力を貸してもらったのだから。
しかし村長は未だにあきらめが悪かった。
「駄目だと言っているだろう! 忌み子を外には出せん! それを許すのは死んだ時だけだ」
「てめえの意見なんか聞いてねえんだよ! 村人全員で口裏合わせるような小細工しやがって。ただですむと思うなよ」
「それって悪役の台詞では?」
思わずツッコんでしまったミトの口を昌宏が押さえる。
「思っててもそういうこと言ったら駄目だ。心の奥でツッコミなさい。ああ見えて繊細かもしれないんだから」
なにげに昌宏もひどい言い草である。
そうこうしていると、話を聞いて駆け付けたのだろう。志乃が入ってきた。
「ミト!」
「お母さん」
互いの無事を確認するように抱き合う。
「あなたも大丈夫だった?」
「ああ、作戦通りうまくいったよ」
にかっと歯を見せて笑う昌宏に、志乃も安堵の表情を浮かべた。
「これでミトは村の外に行けるのね?」
「その通りだ。そうですよね?」
昌宏が確認するように蒼真に問いかければ、「当然だ」と願っていた答えが返ってきた。
「ならん、ならん!」
まるで駄々っ子のように往生際悪く反対する村長を、蒼真は蹴っ飛ばした。
その体は後ろにいた他の村人にぶつかり、そろって床に倒れ込む。
「蒼真さん。お年寄りは大事に扱わないと」
男性がそれとなく注意するが、あまり真剣に言ってはいない。
「ちゃんと手加減はしてる。けど、俺はこういうクズ野郎どもが大嫌いなんだよ。寄ってたかって子供をイジメるなんて大人のすることか? しかも詳しい理由をこいつらは知らねえでやってんだ。たちが悪いだろ」
「わ、わしらは一族のために……」
「その一族のためってやつで、逆に一族が散り散りにならないといいな」
花印を故意に隠匿したのである。
それは龍神に対して心証を悪くするのは必至だ。花印の子を意図的に隠したことへの罰がどんなものかミトは知らないが、厳しい処罰があるという噂である。
村長たちはいつまでも隠し通せると思っていたのだろう。
実際に十六年もの間、ミトの存在をないものとしてこれたのだから、頑張った方なのだろう。
けれど、ミトと両親は最後まであきらめなかった。そしてここに神薙を導いたのは神の意志のように感じた。
「ほら、部外者はとっとと出ていけ。ここから大事な話をしなきゃならないんだからな」
威嚇する蒼真の威圧感に圧倒され、反抗することもなくすごすごと引き下がっていった。
最後に村長だけは「こんなことは許されん」とミトをにらみつけていたが、蒼真が警告する。
「言っとくが、これ以上舐めた真似するすると奥歯ガタガタ言わせんぞ。覚えとけ」
いちいち言葉のチョイスがチンピラなのだが、本当に信用していいのかまだ判断に困る。
しかし、ミトたち家族は彼に頼るしか、この村から離れる術はないのだ。